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退院したら

退院したら、自宅ではまず、こんな感じでお寿司を食べたいな。

画像は、入院前に自宅で食べたお寿司ですが、お寿司は何度食べても飽きないものなんですよね。



さて、私は明日、退院します。


今日午後、私の病室に、私が尊敬する命の恩人のすばらしい先生がいらしてくださいました。

午後、他の手術をされる前に、お寄りくださったのです。

明日の退院に備え、頭痛の源である髄液の漏出を抑えるためお昼寝をしていた私はびっくりしました。

先生は、私の手術の経過や、今後のこと、体重を落とすこと、その他を、私を笑わせるジョークも交え、和やかにお話しくださいました。

この分野の世界一の先生です。

この先生に巡り合えた幸運、縁、私の回りの方々の尽力、恩・・・

さまざまな温かいものに、感謝いたします。


先日まで私は、病院食は味が薄い、パサパサだ、とか、わがまま放題このブログに書いてしまいましたが、この病院も私の健康、回復のために、考えられたメニューを作り提供してくれたのです。

それなのに私は、好き放題のことを書いて、病院食以外に食べたものを各種アップしてしまった。

あれらは、食べたとしても、病院食を否定するようなことは書いてはいけなかった。
反省している。


退院したら、ダイエット、カロリーの心配だけでなく、塩分量のことも真剣に考えたい。

私の地方では昔から、しょっぱいものを食べてご飯をガッと食べる習慣がありますが、それはたまにはいいけど、私は退院したら、1日の塩分量を勘案し、食事内容を構成したいと思っています。
塩分を控えると、体内の余分な水分量も減り、喉もあまり渇かなくなり、体重も減ると確信します。


まずお寿司。お寿司を食べたら他は薄塩で。

体をしっかり改善していきたいです。

甘エビアーン

コミックのタイトルみたいですが。

甘エビ。はい、アーン。(新婚かっ(笑))


病院に入院していると、食べ物の煩悩がわいてくる。

薄塩、薄味の、油っ気のない、パサパサした、色気のない、単調な病院食(病院の管理栄養士さんごめんなさい)を、更に病室の、カーテンが引かれたクリーム色の、薄黄色の光の部屋で食べ続けていると、気持ちが沈んでくる。(病院関係者の皆さま、ごめんなさい)。

じっさい、例えば薄塩。変な話、気の荒い囚人に無塩の食事を与え続けていると、とってもおとなしくなるらしい。そんな話を聞いたことがある。
これには他にいろいろな要因はあるでしょうが、薄塩については状況がわかる気がする。

あと、以前デヴィ夫人がおっしゃってましたけど、階級の上流、下流の上下は、王家とかのテーブルの上流下流も表しており、調味料たる塩が上流の人のところにしか流れなかった、その調味料たる塩の流れのことも表しているらしい。
で、塩が流れてこない下流の人と流れる上流の人の間で、塩を巡って命までかけた争いもあった、らしい。

それくらい、人の意欲、本能には塩の要求、必要性が影響を与える。


先の記事に書いた、玉子かけごはんの話にしても、今回の甘エビアーン、にしても、おいしい塩味の効いた醤油が重要な位置を占める。なければ「おーいしーい」も成立しない。

だから、病院でも、塩気のあるものが必要なのだ。


甘エビアーン、は病院のコンビニにお刺身は置いていないので、退院してから楽むこととします。

いつか、はほとんど来ない

前記事で宣言した病院でのTKG、たまごかけごはんです。

さすがに病院地階のコンビニには生たまごは売ってませんでしたので、温泉たまごでのTKGです。

トライしてみたことはしてみたのですが、私的にはなんとなく不満。

不満、と申しますのは、醤油がなかったことなんですね。
買おうと思ったけどやめた、と。
温泉たまごにはタレが付いているから。

でも、やっぱり、タレは薄かった。

やっぱりTKGでは醤油が必要。
それも、濃口醤油。

あの、たまごの黄身、白身に映える濃厚な色の醤油。そのコントラスト。

温かいご飯とからめ、いただくと、「うーん、たまらない。」

それをこの病室で味わいたかった。


次は、温泉たまご&醤油、だね。



さてところで。
題名の「いつか、はほとんど来ない」についてなんですけど。

よく、久しぶりにお会いした人と、「今度、いつか飲みましょう」とか「いつかまた、遊びにきてください」とか言って別れたりするのですが、その「いつか」ってなかなか来ないんですよね。
おそらく、まったく来ないことが多い。いや、まず来ないだろう。

「いつか。」

「いつかまた」と言う、そうした気持ちがいちばんあるその時に、「じゃ、いついつ」と決めれないのなら、いつか、は来ないのです。

そのうち、「いつか、やろう」「いつか、お会いしよう」と思ったことは、そのほとんどが単発、その時に思っただけ、社交辞令、場の区切り、なんですね。
「いつか」の時期を、いちばんその気、意欲があると思われるその時に決めれない、決める意欲がないのなら、いつか、は来ないと言ってよい。

で、そのすぐあとに、また、「いつかやろう」ということが出てきたりして、先の「いつか」のことはまったく忘れてしまう、と。


だから、「いつか」には3種類のものがある。

それは、「いつか○○であったらいいな、まあ、それがなければなくても困らないけど。」レベルのもの。
私はこれを「まあ、いっかレベル」と呼んでいる。

もう一つは、「いつか」と言った時点で、頭の中にはその大まかな実施時期が描かれているレベルのもの。
そうした場合で、その時に相手がいる場合、相手にも共通認識を持っていただくのが実践に当たって後々いちばん楽、実現可能なものになる。相手がいて、お互いに「いつか○○したい」というのなら、その場で時期を決めるのがいちばん実現する「いつか」となる。
チャンスの神には後ろ髪がない。だから、機会は逃してはならない。
私はこの具体性を持ったいつかを「それは何時(いつ)かレベル」と呼ぶ。


更に。もう一つの「いつか」とは。



それは文字どおり「5日」です。5日以内、とか、何月5日、とか(笑)
このレベルは・・
つか、これは文字どおり5日だよっ!!(笑)


「いつか濃口醤油でTKG」実施日は、もう私の中では決まっています。




いつか病院でTKGを

はー・・・なんとなくむなしい。

手術後、ICUでは固形物を食べないようにして4日過ごし、病室に戻り食欲もないまま減塩食、塩分量1日5グラム設定の病院食をいただいているのですが。

薄味すぎて食欲が出ないんですよね。

で、パンとか、ときにはおかず、残している。
ごはんはすべて残している。

そうなると、1日塩分摂取量は5グラムを割り、私はさらにやる気が出なくなる。
気持ちがむなしくなるのです。


第一、病院食、体重40キロの人も、120キロの人も同じ一律の塩分量なんておかしくありませんか。

もちろん、同じカロリーの病院食を患者に出さなければならないのはわかる。一人の人には塩分5グラム、もう一人の人には塩分8グラム、という設定はできないのはわかる。


人体の塩分量は、人体に占める水分量、だいたい体重の60%の約0.85%と言われている。そうなっているらしい。

そうなると、私のように、成人男性の約2倍の体になると、体内の塩分濃度を適度に保つには、塩分はちょっと多目に摂らなければならないことになる。

そのような理論から、私はやむを得ず、病院の中階にある売店から画像のように桃屋のメンマをひっそり誰にも迷惑をかけず購入し、麦飯をやむを得ずこのような形で半量をいただかざるを得ないのだ。
「ひっそりと誰にも迷惑をかけず」とは、看護師さんとかに「これこれこういうことだから、買って食べてもいいですか」とか、質問しないということです。当然ですが。
すべては私の判断。
病院関係者も正面切って尋ねられると否定するしかありませんからね。それはわかる。


で、私は桃屋のメンマ、台湾深山産の良質な筍の節から上の部分を丁寧に処理した、ちょっとしょっぱいメンマをいただくのです。


このようにして私は、今度は人体が必要とする1日のたんぱく質量はいくらなのか、理論構成し、退院までのここ数日以内に、地階コンビニで売っている温泉玉子でTKG、つまり玉子かけごはんにトライしてみたいな、と考えています。


今日は雨、か・・・

東京は今日は雨、か・・・

とつぶやいているボスですよ。皆さんお元気でしたか。


私?
私は今週、やっとICUでの拘束を解かれ、おかげさまでなんとか無事に歩いております。

このたびの手術に当たりましては、みなさまから温かいお言葉や拍手、お祈り、念、オレンジジュース、ザーサイとかいただき、まことにありがとうございました。

  オコトバ オイノリ 念
 拍手ヽ(´∀`)/ザーサイ ←イメージ(笑)
   オレンジジュース

この場をお借りし、厚くお礼申し上げます。


ICUでは特に、カテーテルの痛み、トイレの我慢がつらかったですね。

で、今は頭痛とたたかっている。



手術は順調でした。

私が尊敬してやまないスーパードクターが、また、素晴らしい手術をしてくださいました。

なんと感謝してよろしいものか。




ところで。
私は全身麻酔の手術後、いつもすごいものを見るのです。

それは目覚めてすぐか、と思うのですがそのときに、目を閉じているのですが、頭の中で、例えるなら100倍速で同時に100本のビデオを見るような、見せられるような感じで、瞬時、同時に、もう、頭が爆発するくらいものすごい勢いでパパパパパパ---ッと映像を見るのです。

そして、それらはおそらく、私が現世で、どこかで見た風景なのです。
それらが圧縮データが頭の中で解凍するみたいに、一気に爆発的に再現されるのです。
それはそれはもう、気が変になるくらいのものすごい情報量ですよ。


私は、こうした体や頭脳が極限状態になる際、例えば他に、あの世に行くときには、ほら、よく言うじゃありませんか、「今までの人生が走馬灯のように駆け巡る」と。あんな感じで、ほんと、人生で見聞きしたもの、経験したものがはっきり、一気に、頭のなかを駆け巡るのではないか、と思ったりするのです。

そして最期には脳内のドーパミンやアルファエンドルフィンが全放出されお花畑を見たり(極楽のイメージ)、あるいは強く執着するものによっては執着事象が無限にリピートし苦しむとか(人生の審判、無限じごくに例えられたりするもの)、そうしたことがあるのではないか、と、今、改めて思ったりしているのです。



さて。
今回の手術で、おそらく私の血管手術はほとんど終わりました。手術があっても次回は部分麻酔でやっていただける感じ、と先生のお弟子さんの先生がおっしゃっておりました。

これからは、人生を、満足して悔いなく、ホッと安心して終えられるように、大事に使って行きたいと思っているボスでした。
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