なかじまんの生存記録。

2022/ 9/ 5
8/15は、熱気バサラと真田遼の誕生日!(はい全然 間に合ってません!爆)

誕生日おめでとう。

さて今回は、彼らの誕生日に ちなんで(?)息子の話をしま〜す!(ぇ)

産まれてから殆ど…産院は母子別室、授乳時・沐浴指導とか以外、あまり頻繁には会えないシステム(産後で瀕死なのに、いきなり慣れない新生児のワンオペ育児や、来客対応等で疲弊し過ぎなくて良いなと思った)、夜は ずっとカーテンで隠されて見えない新生児室に居たので、その間はサッパリ分からないが、かつて1度も夜泣きをしたことがない息子(現在19歳)。

寝かせたまま揺らせて あやしたり(別にグズっとらんが、触れば揺れる状態にしておくと、主に長男猫が時々、興味本意で揺らして勝手に遊んでくれてた←働かず、昼間っから酒 呑みながらネトゲで遊び呆けてる実父よりも、ずっと育児に積極的なイクメソ黒猫、イケメソ過ぎね?www)4歳くらいまでの椅子にも出来るベビーベッド&チェア(?)を早々に卒業後、まだ乳児な息子と添い寝中(ネコズ4匹も満遍なく、べったりくっついてデカくて柔らかいカラフル猫団子状態)。
元旦那だけ2段ベッドの上(イビキが酷く寝相も悪い。新婚でダブルベッドの時には寝返りで胸orみぞおち辺りに裏拳を落とされ呼吸困難でコロされかけたりもしてたので、息子の身の安全を最優先にした←ついでに私の呼吸も守れるwww)。

とある真冬の深夜。

息子「おれのうたをきけえ!(クソデカボイス)」
息子「♪れっつごー!つーきぬけよーおーぜ!♪(声量オバケ)」
私「…寝言(叫び?)と寝歌(何気に上手いな?)は良いからさ、ちょいと起きて、おっぱい飲んでくれんかね?(夜中に突然 起こされ、乳も張って痛いし、“添い乳”をしてみたかった)」
息子「とちゅうたいじょうおんなー!(聞いちゃいねぇ)」
息子「スヤァ…(-.-)」
私「…キッチンで乳搾ってきま〜す…(寒い)」

(元旦那やネコズ、何故アレで起きない…?)

搾乳機は生後半年程で2台使いました。
手絞りタイプは即、腱鞘炎になりかけたので(多分、今でも握力1桁。でもネコズ4匹全員を一気に抱き上げて運ぶ腕力はある←全集中の呼吸?www)、電動式を追加購入。
離乳食等の進行中には、デザート(スイーツ?)的な感覚で食後に飲ませてました。
そうこうする間に、搾乳機を使わなくても直接おっぱい飲ませる&飲めるコツを習得(母子は一緒に頑張りました!(`・ω・´)キリッ)。
更に母子共に身体が慣れてくると、息子の喉が渇くタイミングで、私も乳が張るようになりました。
げに素晴らしき人体の神秘よwww
『たとえ無理してでも、完全母乳で育児しないと駄目!』って圧を掛けてくるような、頭おかしい知り合いも別に居なかったし(たとえ居ても文句言われても聞くつもりはないがな。子育てについて、何に重きを置くかは私が息子の仕草や反応で見極めて、息子にとって最良であろう方法を決めて行動する)。
私自身、息子の反応で、母乳が足りてない感じがある時は、粉ミルクを追加で作って飲ませてたコトもあるし(それで余ったら私が残りを飲むwww←母体の栄養管理も大事なので!どんだけ食っても母乳に全振りで、授乳期間中は、ずっと48kg以上に ならんかった)。
ストローで紙パックの野菜ジュースとか、コップトレーニングの麦茶とかも、上手く飲めてた。

そして、生後1年2ヶ月、とある日の食後。
私「なぁ息子(仮)、もうそろそろ、おっぱい止めてみんか?」
息子「うん!おっぱいのむんはあかちゃんやもんな!おれ、もうあかちゃんやめる!おにいちゃんになる!」
私「じゃあ今日のん最後に飲んだら、おっぱい卒業な? 約束しよか(^-^)」
息子「うん!やくそく!(^-^)」

…そう笑顔でハキハキ喋るが、まだ自力で歩けない程の赤子なんやぞこの子www
待て待て、なにこの子、天才過ぎん?Σ(゚д゚;)ビクビク

(その日から息子は、ちゃんと約束を守り、スムーズに卒乳し、私は心療内科に通い始めました←元から、その為の卒乳。PC内職は、事情を知った医師から即、辞めさせられました。私が稼げない分、元旦那が義母さんと義兄さんたちから、返す気のない借金を増やすだけなんやけどなぁ…orz)


…でも、息子の言動が当たり前でなんかないコトは、当時は全然、気付かなかったんですわ(息子より4ヶ月だけ年上の姪っ子も、同じように喋ったり歌ってたから)。
集団予防接種会場に行った時の『地獄絵図』を見るまでは…(((;°Д°)))ガクブル

(個別の予防接種は済ませてた。初の集団接種では、流れ作業で数種類の注射をする為、順番待ちの間は広い畳の部屋に通される)

皆、完全に母子の言葉が通じてない…てか赤子たちが息子みたいに喋ってない!(当たり前だ!とか突っ込まないで…いやマジで…orz)
母子の意思疎通なんて一切 出来てないのに、息子よりデカく、泣き叫び暴れる赤子たち、必死に制御しようと もがく母親たち…。

こ こ が 地 獄 か … 。


私は、深夜の前期破水から緊急入院した後、すぐに陣痛促進剤を大量に飲まされ、同様の点滴や注射もされまくり(人体の限界まで摂取させないと羊水も足りないし、相当 危なかったそうな)、緊急帝王切開、待ったなしの難産(分娩台に朝イチから深夜まで乗せられっぱなし。隣の分娩室では4人の赤子が次々と産まれて行った。その産院では1日で5人の出産は最多記録だったらしい)で、息子は臍帯が首に巻き付いて、かなり弱った状態、産声も小さく、低体重児ギリギリ状態で産まれた。
私の身体が小さかったから、頭だけは人並みにデカイが、身体までは大きく育ち切れなかったんやて…orz
私の身体が他人より小さいのに、息子の頭だけは他の子と同様のサイズと言うコトは、まぁ…察してもらえるかな…(;^_^A

ぶっちゃけ骨盤がタヒぬ(爆)。

そして何とか産まれた後、感動の対面なんだが…可愛い可愛いと、わぁわぁ泣いてる私の腹を容赦なく押して後産処置すんのは、少し待ってはくれんもんかね看護師さん?(TдT)
情緒がタヒぬ(←最近のお気に入りパワーワード)。


産後は好き嫌いもなく、たくさん飲み食いしても、基本が活発過ぎるのか、筋肉に全振り(固太りタイプ)で、見た目よりは、ずっしり重たいから、母子手帳の成長指数(体重)だけ見とる時には全く気付かなかったけど。

…他の赤子、ふにゃふにゃぶにぶにしてて大きい!
そんなに力一杯 暴れたら、母親の手から落ちて、熟したトマトみたいにベチャッって潰れそうで怖い!(涙目)

そんな状況に、内心パニック起こして立ち尽くしてたら、息子が私に更にしっかり抱き着いて「おかあちゃん、だいじょうぶ」って言ってくれてハッとした。

息子も予防接種では毎回 泣いていたが、注射が痛いからだけではなく、私から引き離され、知らない人(医師や看護師さん)に押さえ付けられるコトを最も嫌がって泣いていた。
私には「息子(仮)、大丈夫、大丈夫だから」と声をかけるしか出来ない。
でも、私の「大丈夫」は、ちゃんと届いてたんだって分かった。

あんな光景、小さな息子のほうが、よほど怖かっただろうに。
弱く情けない母でスマナイ(TдT)

強く優しい子の母になれて幸せでした。
↑今回、コレが言いたかっただけ(爆)。
バサラ&遼、息子ネタのダシに使って ごめーんwww(>∀<)←謝罪感はログアウトしました。


ほなまた(^-^)ノシ


(1)




prev | next
book mark

-エムブロ-