頭抱えてうずくまったまま消え失せる

話題:怖い

我慢は大嫌い。耐えるのも大嫌い。
ものすごい短気だから、何でもすぐにぶっちんとキレてイライラしてしまう。
騒がしい教室が本当に嫌いで嫌いで仕方ない。四年制大学っていってもすごい小規模なところだから、仲良しこよしが固まって授業一緒に受ける率が高い。資格の講演会もそう。
人のざわめきなんか耐えれば良いんだけの話なんだけど、寂しいとかは通り越してもう怖い。勝者の圧力のようなものを感じる。人間的資質という意味で、私は彼らに劣っている。勉強も運動も容姿も何もかも私は敗者なわけだから、蔑まれ笑われている気がする。
学校だけじゃなく、近くやすれ違い様に笑い声がしたら、自分が嘲笑されているようで怖くて怖くて仕方ない。頭抱えて耳塞いでうずくまりたい。そのまま消えたい。そんな衝動に襲われる。
でも、言うだけでちゃんとふてぶてしく居ますけどね。出席日数ぐらいしかないですからね。

騒がしい集団の中で一人でいると、自分が孤独だと痛感する。集団に属せない。正直属したくないのかもしれない。めんどくさいのが嫌いだから、人の顔伺って話あわせて媚び諂うのが嫌いだから。そっちのほうが私は胃が痛くなる。

実は、頭悪すぎて、自分が孤立しているということが中三になるまで理解できなかった。
一人でいるのが当たり前で、むしろ集団というのが分からなかった。中三のマラソン大会で、母に言われて初めて気づいた。
「なんであんた一人でポツンとしてるん。恥ずかしいわ」
って言われた。わけが分からなかった。でも、すごく悲しかった。勉強できないし運動もできないし家事もできない何も出来ない。おまけに友達を作ることもできない一人でいないようにするためにどうすればいいのか分からない。
勉強できないとかそういう意味でじゃなくて、頭悪すぎて辛い。この頭には本当に脳ミソ詰まっているのか疑う。すっかすかのスポンジなんじゃないか。

今日、教職に関する講演会があった。
「自分の将来について悩むのはいいことだ」とか、「人は自分の人生を生きなければならない」とか仰ってた。
また、今読んでる本で、
「人は何にでもなれるんやで、鬼にも、仏にも」
という台詞があった。ここで言われてる「何にでもなれる」っていうのは人間の性質的な意味だけど。

全然分からないんだ。分からない。
分からないのも怖い。自分が分からない。








追記
10/05 20:57
[日常]
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