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「あれ、岩月さん?」
「深希、さん?」
岩月は不正アクセスについて相談に乗って欲しいという依頼があったため、某大学へと訪れていた。
目的地を確認するため校内図の前に立っていたところ、声をかけられた。
「助かりました。迷いそうになっていたので。」
「工学部は奥の方なんです。」
「すみません、わざわざ案内していただいて…」
「ちょうど講義が終わったところなので、きにしないでください」
「深希さん、ここで働いていたんですね」
「芸術関係の授業を持っているんです」
「あの、伊丹刑事とはいつから」
「え?」
驚いて岩月を見た深希に、岩月はしまったと顔を背けた。
「すみません、突然こんなこと聞いて…つい…」
しかし深希はあははっと笑って首を横に振った。
「やっぱり、気になりますよね」
「少し…」
「いつからでしょうね…たぶん、4年くらい前、だったかな」
「長いんですね」
「気づいたらそんなに経ってました」
「正直、驚きました。伊丹刑事に恋人がいることも、あなたのような方だったことも。」
深希は恥ずかしそうに微笑んだ。
「あなたのような方、っていうのは…きっと買いかぶりすぎですよ。確かに年は離れてますけど」
「刑事としての伊丹刑事とは、一緒に捜査をしてその仕事ぶりを見せつけられています。さすがだと思ってます。でも…」
「でも?」
岩月は「工学部」と書かれた建物を見つけ、そこへ向かって歩き出した。
そして振り返り深希を見る。
「人間性には多少問題ありかと思っていました。でも僕は間違っていたかもしれません」
岩月は一つ息を吸って、吐き出した。
「ありがとうございます」
深希はくすりと笑う。
「こちらこそ、ありがとうございました。助かりました。」
「お仕事、頑張ってください」
岩月は小さく会釈をして、工学部棟へと入っていった。
深希とはじめてきちんと話をした。
些細な会話だった。
それでも深希が、伊丹を信頼していること。
伊丹がああいう男だとわかって側にいること。
そして彼女だけが伊丹を理解できる女であること。
それがしっかりと伝わってきた。
(やっぱり伊丹刑事ってすごい人なのかも…いや、うーん…)
それから数ヶ月。
「ごめん、今仕事終わってさ」
『はあ?もう12時前だよ?!』
「いやだからこの前言ったよね、捜査本部が立っててそこに…」
『メールの一通くらい返せるでしょ?』
「そんな暇なくてさ」
『意味わかんない、彬くん本当に私のこと好きなの?』
「それこの前も言ったじゃん…」
『やっぱり好きじゃないんだ』
「そういうことじゃなくてさ」
『もういい、別れよう』
「……わかった」
『止めないの?』
「…どうしてほしいの」
『もう、いい!』
プツンと切れた電話。
真っ暗な桜田門前、その画面を見つめてため息をつく岩月。
「…めんどくさ…」
「なにひとりごと言ってんだお前」
「…なんだ、伊丹刑事ですか…」
「なんだとはなんだよ!」
背後から声をかけられたと思い振り返ると、伊丹だった。
より気分が萎えた。
場所はこぢんまりとした居酒屋へと移る。
帳場が片付いた今夜は多くの刑事たちが一息をつき、気づけば日付も回る頃。
伊丹はもちろんのこと、今回の事件にはサイバー課も参加していた。
そして先ほどの電話と自分に似つかわしくない内容について…。
深希の存在を知り、伊丹にすら彼女がいるということがすこし引っかかっていた。
たまには恋愛も必要なのではないか、と思った岩月は滅多に行かない大学時代の友人が幹事をする合コンに2度ほど顔を出し、あれよあれよと彼女ができた。
見た目も文句がないうえに警察官とくれば、惚れる女も多いわけで。
しかしながら刑事という仕事柄時間の自由はあまりきかない。
恋愛とは思っていたよりも難しいものらしい。
「で?振られたてほやほやなわけか」
人肌の燗を飲みながら、伊丹が言った。
「ええ。まさか伊丹さんに愚痴を聞いてもらうことになるなんて、不覚としか言いようがありません。」
「愚痴は聞いてやるが八つ当たりは受けねえぞおい」
「…正直、好きかどうかと聞かれると素直にそうだとは言えない相手でした」
「なんでそんなんと付き合ってんだお前…」
「まあ、成り行きですね」
「おまえ、まさか俺なんかに彼女がいるから自分だって、とか思ってたんじゃねえだろうな〜」
「鋭いですね。さすが捜査一課の刑事です」
「って!図星なのかよ!」
岩月は枝豆を口に入れ、それをビールで流し込んだ。
「正直伊丹刑事のことが羨ましいです。深希さんは、可愛いうえに理解ある方のようなので。」
「なんだよ急に…」
「この前大学で深希さんにばったり会いました」
「ああ、聞いたよ」
「すこししか話しませんでしたけど、すぐにわかりました。」
「ん?」
「「刑事」という仕事を理解してくれる器を持った女性なんだと。僕の直感は間違っていないと思います。」
伊丹はふーん、と頷いて酒を注いだ。
「おまえは一体何を焦ってんだよ」
「別に焦っているわけじゃないです。ただ、随分そういうことがなかったなと思って。」
リハビリです、と言い、出し巻きについた大根おろしに醤油をかける。
「…俺はよ」
伊丹が、静かに口を開いた。
「あいつに会うまでは女運がないなんてレベルじゃなかった。いいなと思った女には悉く問題があったし、そもそも相手になんかされたことねえ。」
「でしょうね」
「おまえな、いい加減にしろよ?…まあ、古谷間は俺と腐れ縁だった刑事が妹みてえに可愛がってた女でよ、そいつは特命係だった。だから特命係のおまけみてぇにくっついてくるあいつが最初は目障りだった。」
「その方はもういないんですか?」
「ああ、警察やめてサルウィンに行っちまったよ」
「サルウィン…」
「でもすぐに…あいつと妙に波長が合うことに気づいた。一緒にいると楽なんだよ。俺もあいつも、ひとりだったからかもな」
「意外です」
「ん?」
「伊丹さんが一目惚れでもしたのかと思ってました」
伊丹はふん、と笑う。
「悪かったな、らしくなくてよ」
「いえ」
「けど…俺はその時既に歳が歳だったからな。あいつと一緒にいるようになって、これまでの女運のなさも頷けた」
「…」
「お前はまだ若い。焦るようなこっちゃねえだろ。」
「いろんな意味で説得力がありますね」
「真面目に話してやったのにどの口が言ってんだ?ん?」
伊丹は舌打ちして岩月の頬を捻った。
「いたたたたた!芹沢刑事仕様を僕に使うのやめてください!」
岩月はつねられた頬を触って、言った。
「僕も今まであまりいい思い出がないので、そういう女性がいつか現れるってことですね。どうですか、これでいいですか?」
「なに開き直ってんだよてめえはっ!まあでも、そういうことじゃねえか?…たぶん」
「こんな遅くまで飲んでて、深希さんは大丈夫なんですか?」
「帳場が立ってる時はなにも言わねえんだよあいつは。さっき終わったってメールしたし。」
「寂しいでしょうね、刑事の彼女って」
「…」
岩月ははっとした。
「これは嫌味とかではなくて…」
「わかってるよ」
「失礼しました」
「…帰るぞ」
「深希さんに会いたくなりましたか」
「お前今日よく喋るな〜!」
「酒の席なら多少は無礼講でしょう」
「会いたくなったら悪いかよ」
「人間らしくていいと思います」
「お前…俺をなんだと思ってたんだ?」
「仕事馬鹿でしょうか」
「それはそっくりそのままお前に返してやる!」
岩月彬、なんだかんだ言って伊丹憲一を尊敬しているが、決して口には出さないのであった。