記憶喪失@





深希の務める大学でとある事件が起きた。

 

相も変わらず特命係が捜査一課を出し抜く形で事件を解決。

情けないと思いつつも、伊丹と三浦、芹沢は杉下の華麗な推理を黙って聞くほかなかった。

 

犯人は大学の学生。

それもあって、例によって深希もこっそりと捜査に協力していた。

 

深希の手前、手柄だけもらっていくなんて本当に情けない。

そうは言っても後の祭り。

次の事件で名誉挽回といくしかないか、と伊丹はひとつため息をついた。

 

「それでは警部殿、神戸警部補殿、いただいて行きますよ」

 

「ええ、どうぞ」

 

 

犯行を認め、うつむく犯人の男に手錠をかけようとしたその時だった。

 

 

「おい待てこら!」

 

「きゃ、あっ!」

 

 

犯人の男が突然深希の腕を掴み、隠し持っていたナイフを深希の首筋に突きつけた。

 

 

「やめなさい!」

 

「うるさい!!」

 

 

杉下の声が響くが、犯人はそれを遮り深希を人質にしたままじりじりと後ずさりする。

 

 

「おい、落ち着け…もう逃げられねえぞ…」

 

ナイフを突きつけられた深希は身動きが取れず、怯えた目で伊丹を見つめる。

 

「伊丹さ、ん…」

 

自分は悪くない、咎められるようなことは何もしていない、そう喚き散らす犯人は当然冷静さを欠いており、伊丹と神戸がその隙を突いて取り押さえるのは容易だった。

 

 

そのとき、犯人を取り押さえ深希を引き離すことに夢中だった伊丹と、その場にいる誰もが息を飲んだ。

 

「あ…っ!」

 

 

深希は未だ暴れる犯人に強く肩を押されてしまい、階段から足を踏み外した。

 

「深希…っ!!」

 

 

 

 

 

 

咄嗟に伸ばした伊丹の手と深希の手は、触れ合うことはなく。

 

 

 

深希はそのまま階段から転落した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝都大学病院。

 

「先輩!深希ちゃんは…」

 

一度本庁に戻った芹沢が、伊丹が付き添う病院に駆けつけた。

 

病室には傷だらけになった深希と、項垂れる伊丹の背中。

 

 

 

「…まだ意識不明だ…命に別状はないらしいが…」

 

 

痛ましい深希の顔を見つめながら、伊丹は下唇をかみしめた。

 

 

「…犯人、観念してすべて話してます。今、三浦さんが聴取を」

 

「…ありがとな…」

 

「まさかあんな風に錯乱するなんて…思わなかったですし…」

 

「…」

 

 

何も言わない伊丹に、これ以上声のかけようがない芹沢も黙り込んでしまう。

 

きっと、責任を感じているに違いない。

 

 

「先輩もちゃんと休んでくださいね」

 

 

それだけ言い残して、芹沢は病室を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伊丹は深希の手をそっと握り、その体温に少しだけ安堵した。

 

大丈夫、そのうち目を覚ます。

こんなにも温かいのだから。

 

そう自分に言い聞かせ、深く呼吸をする。

 

こんな風に事件に巻き込んで危険にさらしてしまうのは、一度や二度ではない。

 

そもそもこうなる前から事件に首を突っ込んでいたし、元はといえば特命係のせい…そして亀山のせい…

 

 

そんな言い訳ばかりが浮かんでくるが、そんな深希を頼ってしまっていたのも事実。

 

 

(俺が守ってやる)

 

 

歯の浮くような台詞を吐いて、関係が深くなってからもそれは変わらなかった。

 

恋仲になったのだから、事件にはもう関わるなと釘をさしておけばよかったのだ。

 

考えれば考えるほど、後悔が後悔を呼ぶ。

 

 

 

深希の頬を撫でて、長い睫毛に触れた。

 

 

「ごめんな…」

 

 

翌朝、病室に訪れた杉下と神戸に深希のことを頼み、伊丹は一度本庁に戻ることにした。

 

自分が挙げた(ということになっている)犯人を、三浦と芹沢に任せきりなのも気が咎める。

 

しかし、深希をあんな風にした犯人だ。

まともに取り調べなんて出来る気がしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼過ぎ、伊丹の携帯に杉下から着信。

 

 

『伊丹さん、深希さんが目を覚まされました』

 

「本当ですか!すぐに…すぐに行きますんで!」

 

『ひとつ、お伝えしておかなければいけないことがあります』

 

「…なにかあったんですか…!」

 

『深希さんは…どうやら、記憶を失くされているようです…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「伊丹さん、来ましたか」

 

病室に到着した伊丹は、恐る恐るベッドへ歩みよった。

 

「怪我は、しばらく入院していれば大丈夫だそうです」

 

神戸が言った。

 

 

目を覚ました深希が、そっと背の高い伊丹を見上げる。

 

「…」

 

「…み……古谷間…」



咄嗟に、下の名前で呼ぶのを躊躇してしまった。

「…あの、ごめんなさい…私…」

 

 

その深希の反応に、杉下が言ったことは本当なのだと。

もちろん杉下がそんな悪趣味な嘘など吐くはずがないことは、無論承知の上だ。

 

しかし今回ばかりは、そんな悪趣味な嘘だと思いたかった。

 

 

「頭部を強く打ったことによる、逆行性健忘症のようです」

 

「…そうですか…」

 

「深希さん」

 

「…」

 

 

自分の名が深希であるということをつい先ほど聞かされた深希は、杉下の呼びかけにいまいちピンときていないといった表情でゆっくりと顔を上げた。

 

 

「僕と神戸くんは、少し席を外します。伊丹さん、よろしくお願いします」

 

「え、ちょっ、警部殿!」

 

 

そう言って出て行った杉下と神戸。

 

伊丹は立ち尽くすが、やがて振り返り深希を見た。

 

 

「…あの…貴方も、刑事さんですか…?」

 

ああ、本当に。

 

「すみません、私…何も覚えていないみたいで…」

 

ようやく繋がった想いは、こんなにも簡単になかったことにされてしまうのか。

 

 

「……警視庁捜査一課の、伊丹です」

 

「伊丹、さん」

 

「こうなってしまった原因は、その」

 

「さっき、杉下さんと神戸さんから伺いました」

 

「その…巻き込んでしまって、申し訳ない…」

 

「私は、自分でお手伝いをしていたんですよね」

 

「…あ、ええ、まあ…」

 

たどたどしい物言い。

 

どう接していいのか、わからない。

 

「伊丹さんとも…その、もともとはお知り合いということですよね」

 

「…」

 

伊丹は黙って頷いた。

 

「…ごめんなさい、私、自分のこともよく分からなくて」

 

「謝らなくていい」

 

 

伊丹の言葉に、深希は顔を上げた。

 

 

「俺の不注意だった。お前は、何も悪くない」

 

思わず出た、いつも通りの言葉。

 

頼むから、他人行儀はやめてほしかった。

 

 

「…あの…」

 

「なんだ」

 

「いえ…その……気を遣わず、いつも通りに話してください」

 

「…」

 

「なんだかさっき、すごくほっとしたので」

 

「あ……そうか……それなら、良かった…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深希の身の回りの世話は、たまきが引き受けてくれた。

 

こんな時に美和子がいてくれたら、と伊丹は初めて痛感する。

 

 

「きちんと、深希ちゃんに話したほうがいいんじゃありません?」

 

伊丹から、深希の身の回りのものを受け取ったたまきはそう言った。

 

 

「まあ、そうなんですがね…」

 

「だって、退院したらお二人の部屋に戻ることになるでしょう?」

 

「そうは言っても、一体どう切り出したらいいのやら…」

 

 

既に同棲を初めていた伊丹と深希。

 

それなのに、自分達が恋仲であることを、深希が目覚めて3日経った今も伊丹は言えずにいた。

 

 

 

正直、自分が恋人だと伝えて、記憶を失った深希がそれを受け入れてくれる自信がない。

 

深希に拒否されるのではと、そんな不安ばかりが過って仕方がない。

 

 

いっそ、杉下がうっかり口でも滑らせてくれたほうがよっぽど楽だ。

 

 

 

「お手数おかけしてすみませんね」

 

「いいえ、私は全然構いませんよ。がんばって、伊丹さん。深希ちゃんなら大丈夫ですよ」

 

「ああ…どうも」

 

 

 

 

深希のいない部屋に帰るのは思いのほかしんどかった。

とはいえ、今は着替えとシャワーに帰るくらいだが。

 

まだ一緒に暮らし始めて間もないが、もう深希のいない生活は考えられなかった。

 

もしこのまま記憶が戻らなかったとしても、深希はここへ帰ってきてくれるのだろうか。

 

 

用事を済ませ、今夜もがらんとした部屋を後にした。

 

 

夜な夜な病室へ通い、眠る深希の寝顔を見る。

 

昼間はどうしても長く時間が作れず、一言二言会話を交わして捜査へ戻っていた。

 

深希はいつも笑顔を見せてくれた。

自分がどうして毎日そんな他愛もない言葉を交わすだけのために訪れるのか、理由を聞くわけでもなく。

 

 

 

今夜もそっと深希の病室へ行くと、深希はまだ起きていた。

 

「伊丹さん」

 

しまった、と伊丹は思うが、深希はいつも通りの笑顔で迎え入れてくれる。

 

「…悪い、こんな時間に」

 

「いえ、今日はなんだか眠れなくて」

 

「大丈夫か?」

 

「ええ。なんとなく、伊丹さんが来てくれるんじゃないかと」

 

「…は?」

 

深希は柔らかく微笑んだ。

 

「いつも、来てくれているんですよね」

 

「あ…それは、その」

 

「どうしてなんですか」

 

「…」

 

深希に見つめられて、うろたえる伊丹。

自分はとことんこの目に弱い。

 

全て持って行かれてしまう。

 

「教えて欲しいんです」

 

 

 

伊丹はベッドの側に腰掛けた。

 

 

「何から、話したらいいんだかな」

 

「私、家族がいないんですね」

 

「…ああ」

 

「家族がだれも来ないから」

 

「…施設で育ったって聞いてる」

 

「杉下さんとは、長いおつきあいなんですよね」

 

「ああ、そうだな、かれこれ5年くらいか」

 

「伊丹さんとも」

 

「同じくらいになる」

 

「私の入院の手続きだとか、身の回りのこと、たまきさんがしてくださっていますけど」

 

「ああ」

 

「伊丹さんが、してくれているんですよね」

 

「…」

 

「教えてくれないんですか…」

 

「それは…」

 

「伊丹さんは、私の…何なんですか…?」

 

まさか、こんな形で核心に迫ってくるとは。

 

 

「毎日、毎晩会いに来てくれるのはどうしてなんですか」

 

「……聞いたこと、後悔すんじゃねえぞ」

 

「それ、どういう」

 

「深希」

 

「あ…」

 

「最近、一緒に住み始めたところだった」

 

 

深希は目を丸くして伊丹を見た。

 

それは、一体、どういう感情なのか。

 

 

「つまり、お前は俺の…」

 

「恋人、なんですか?」

 

「…そうだ」

 

 

深希はそれに返事をすることなく、考え込んだ様子で。

 

ほら、やっぱりな、と伊丹はため息をついた。

 

 

「なんで、って思ったろ」

 

「え?」

 

「釣り合ってねえ」

 

「…」

 

「わかってんだよ、最初から」

 

「伊丹さん」

 

「歳も違えば、人間の出来も違ってよ」

 

「…」

 

「でも、お前が…俺なんかがいいって言ってくれっから…」

 

「安心しました」

 

「…は?」

 

「そうだったらいいなと、思っていたので」

 

 

 

想像もしていなかった答えに、伊丹は呆気にとられた。

 

まさかそんな風に言われるとは。

 

 

「すごく落ち着くんです、伊丹さんといると」

 

「…深希…」

 

「でも、すごくドキドキしてるから」

 

「…っ…」

 

 

少し顔を赤らめてそんなことを言う深希に、抑えていた感情が溢れ出しそうで。

 

 

「きっと、そうなんじゃないかと思って」

 

「馬鹿…」

 

 

記憶を失ってもなお、深希のそういうところは変わらなかった。

 

いつだって驚かされる。

 

伊丹の不安を信じられないほど大きな器で受け止めてくれる。

 

 

「敵わねえよ、お前には」

 

「ごめんなさい、まだ思い出せなくて」

 

「いや、焦らなくていい…」

 

「…」

 

「犯人も捕まってるし、それに、お前がその……」

 

「…伊丹さん?」

 

「俺でいいって言ってくれんなら…」

 

「…明後日、退院なんですけど」

 

「ああ」

 

「その…」

 

「うちでいいのか?…俺と住んでる部屋で」

 

「…伊丹さんさえよければ」

 

「…帰ってきてくれ……」

 

 

思わずこぼれた伊丹の願いに、深希はくすりと笑って頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

To be continued…

 

 

 

 

 

 

 



08/10 01:41
[伊丹]

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