決戦は金曜日 3




「……」

 

「……」

 

「出ないな、紫絵」

 

「仕事中でしょ」

 

はぁ、とひとつため息をつきソファに深く沈むのは、仕事帰りに紫絵と那智の住む部屋に寄った直樹。紫絵に会いに来たというのに、よもや那智と二人きりになってしまうことになるとは。直樹は酷く項垂れ、那智をジトリと睨みつけた。

 

「紫絵がいないのは私のせいじゃないから〜」

 

那智はへらへらと笑いながらコーヒーを淹れるため、ひとりがけのソファから立ち上がる。

 

「もう10時だぞ」

 

「この時間に帰ってこないなんて日常茶飯事だから」

 

あんた紫絵のこと何にも知らないんだね、としたり顔の那智。直樹はチッと舌打ちをして再び柔らかなソファに沈み込んだ。

 

「何でお前なんかとルームシェアを……」

 

「羨ましいでしょ」

 

「うるせえブス」

 

「あたしの作戦勝ちだね」

 

「はあ?」

 

「あんたも一緒に住もうと思ってたでしょ」

 

「……くそったれ那智」

 

図星だった。

もう少し資金が潤沢になったところで、紫絵と一緒に住もうと考えていた直樹。悠長にしていた理由は、いくら那智が紫絵を好きだといえどまさか一緒に住もうなど考えつくとは思わなかったからだ。

 

嫌いとはいえ昔からよく知る仲。那智が自分のテリトリーを大事にしていることはよく知っている。好きな男でも、好きな女でも、日々生活を共にするなどこの女には到底無理だからとたかを括っていたのだ。

 

「どういう心境の変化だよ」

「別に? 紫絵なら一緒に住めると思ったから」

 

「あーそう……」

 

こうなってしまったものは仕方ない。

嫌いな女だが、見ず知らずの男と紫絵が一緒に住むよりは幾分ましか……いや、どっちもどっちか、いや……

そんな堂々巡りの考えを放り投げて、直樹はもう一度紫絵に電話をかけた。

 

「ねえしつこいってシスコン」

 

「男か、もしかして」

 

「気持ち悪いよ直樹」

 

「まあ那智のブスといるよりはましだよな」

 

悪態をつきハハハと笑う直樹だったが、次の那智の反撃に沈み込んだソファから大きな体が勢いよく飛び出した。

 

「そーだね、だって流川楓だし」

 

「はあ!?」

 

185センチもある巨体が一瞬宙に浮くほどの驚き。それはバスケ経験者の直樹なら、耳にタコが出来るほど聞いてきた名前だった。

 

「る、流川……!?」

 

うん、と頷く那智はそれ以上何も話す気配がない。素知らぬ顔でガリガリと音を立てミルでコーヒー豆をひく那智のそばに駆け寄り、情報を求めた。

 

「何で流川!?」

 

「何でって、知らなーい」

 

 

「おいちょっと」

 

詰め寄る直樹をするりと交わし、ドリッパーに挽いた豆をセットする那智。焦る直樹の様子が愉快でたまらない。

このシスコン男は、学生時代は粋がって姉の恋を応援しようとしていたけれど、20代半ばに差し掛かった今、姉への執着が顕著になってきている。

出来た姉を慕うあまり異性への理想は山のように高い。

そして自身のスペックも高いばかりに、紫絵の相手に対する理想もまたエベレストの如し。

 

「紫絵が流川と付き合ってるってこと? あの流川?」

 

「UCLA卒業して戻ってきたらしいよ〜」

 

「それで何で紫絵? まさか向こうで紫絵と付き合ってた!?」

 

「うるさいなあもう、本人に聞けば〜? “紫絵”にさ」

 

直樹はまたも舌打ちして今度はソファに倒れ込んだ。

そしてしつこくもまた紫絵に電話をかける。

 

「紫絵まだ出ないんだけど」

 

「へー」

 

さっきから紫絵、紫絵とうるさいものだ、とドリップされるコーヒーを眺めながら那智は思う。

 

(紫絵には「姉ちゃん」って呼ぶくせに)

 

「シスコン」

 

「うるせえ……」

 

突っ伏したソファの隙間から、くぐもった直樹の声が漏れ聞こえた。

 

 

***

 

 

「っ、あ……流川く…」

 

「……」

 

さっきから止まないキスの雨。

人通りが少ないとはいえ、誰かに見られるかもしれない。

そしてこのキスは、誰かにうっかり見られてしまうには大変都合の悪い類のキスだった。

 

噛み付くようなキスかと思うと、下唇をねっとりと唇を啄まれ、ぺろりと舌で舐められた。グッと腰を引き寄せられて、また深いキス。

 

「…ん…」

 

さっきからやたらスマホが震えている。仕事の連絡かもしれない。でも頭が沸騰してどうにもこうにも思考が回転してくれない。

でも、ずっとここでこんな濃厚な口付けを続けるわけにはいかない。たとえ知り合いでなくとも、路上キスを見られても構わないという価値観は残念ながら紫絵には備わっていないのだ。

 

「ま、って……流川くん……」

 

「待たない」

 

「こ、こんなとこで…こんな……」

 

紫絵がそう言うとようやく流川はキスをやめ、不服そうな表情で紫絵を見た。

 

「……電話」

 

「え……?」

 

「ずっと鳴ってる」

 

流川が紫絵のハンドバッグをジトリと睨み付ける。どうやら流川も、やたら煩いバイブレーションの音には気付いていたらしい。

 

「ごめん、か、会社かな……」

 

とりあえずこのキスの雨からは脱出した。この隙を逃してなるものかと、紫絵は慌ててカバンの中のスマホを取り出す。電話を話題に出した流川が悪いのだ。

 

画面を見ると、実に10件以上の着信。いったい何だこんな時間に、と確認しようとした瞬間再び電話が鳴り始める。

 

「わっ」

 

「……誰、直樹って」

 

いつの間にか流川も画面を覗き込み、着信画面を凝視している。

 

「直樹は、私のーー」

 

「誰」

 

「えっ、あ」

 

紫絵のスマホを持つ手を掴み、電話に出ようとするのを阻止する流川。

 

「出る気?」

 

「へ…だって…」

 

そして再び浴びせられる激しい口付け。苛つきを含んだ、少し乱暴なキスだった。

 

「俺とキスしてる時に男の電話に出るなんて」

 

「っふ……ぁ…」

 

「許さん……」

 

きつく手首を掴まれたまま、言い訳する隙も与えてもらえない。言い訳なんてないのだけれど。

 

「あ……ち、違う、の!」

 

「む」

 

掴まれてないほうの腕で力を振り絞り、流川の厚い胸板を押し返した。流石の流川も、離しはしないもののようやく手の力を緩め、黙って紫絵を見た。

 

「……弟なの」

 

「……直樹」

 

「そう、弟の直樹」

 

「……でも許さん」

 

「何で!?」

 

流川はそれだけ言うと、紫絵の掴んでいた紫絵の腕を引きずんずんと歩き出した。もちろん直樹の電話にも出られなかったが、仕事の連絡じゃくてひとまずよかったと胸を撫で下ろす紫絵だった。

しかし、有無を言わされる間もなく今向かっているところはおそらく−−

 

「あの、もしかして」

 

「俺のうち、行きましょう」

 

(……なんて、強引な……)

 

高校時代のプレースタイルそのままではないか。

焦りもあるが、どこか何かに期待してしまっていることを紫絵は否めなかった。

 



02/23 15:50
[SLAM DUNK]

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