文法に対する冒涜で
ある、
作家が試みた
心見た?
いや、
綻びた。
心綻びたのだ。
心臓とは違う位地にある、
ココロと呼ばれる
コロコロと
流動する概念がある。
らしい。
概念は存在する。
証明はできない。
みたいだ。
明日の存在が
証明出来ないのは
原理が後退する。
サイケデリックに
激しく
バラードを歌おうとした
一人の詩人は
その息苦しさに声を失った。
詩人は明日を求め
東へ奔走したが
今日を振り切れなかった。
今日と明日が混ざり合う地点は
いつまでも
彼の眼前に揺らめいて
瞬きの間に
隠れてしまうのだ。
狼少年の生まれ変わりが
いるのだとしとも
それは特定できないだろう。
真実と事実を
冒涜する者は
それを愛する者より多い。
***
友人遥がエムブロに腰を据えるようで。彼女のブログタイトルから、詩を綴ってみました。
まぁ、混沌。
「冒涜」、彼女のひねた性格が一面に押し出されてるタイトルですね。毎回ながら笑えてしまいます…なんて言ってると抗議の電話が鳴り出しそうなのでこれくらいに
…遅い?
知ってます(笑)
ですがこれが「ドク」の友人遥に対する親愛の科白ということも、おそらく彼女は知っています。
つくづく喰えないヤツです。
なんて言うと、遥ファンの皆様からクレームが大量発生してしまいそうなので、これ以上は黙りますか。
「冒涜」
人は何を冒涜するのでしょう?
したいのでしょう?
できるのでしょう?
立ち位置は様々かと。
私は、できるものなら
概念を冒涜したいですね。
あくまで、
詩の中だけ、
文章の中だけ、
ということにしておきます。
では、また。
読了ありがとうございます。