話題:流星群
流星群のはなし。
夜中、ばあちゃんと見に近くの公園へ出ました。
20時と23時と25時半の3回、30分ずつ程。
服をもふもふ着込んで、手を繋いで、くっついて、寒空を眺めました。
住んでる所が星の町というだけあって、オリオン座とかあとよくわからん星とかけっこう見えます。
昨夜は雲一つなかったしなかなか良いコンディションでした。
でも結局見れたのは僕とばあちゃんそれぞれ4つずつ。いくつかは一緒のを見ましたが。
最後に見たのが一番きれいではっきりとしていました。ほくほく。
実は流星群の来るたびばあちゃんと深夜徘徊してます。
たのしいというかなんというか、おだやかで、ここちよくて、僕はその天体観測ごっこがとてもすきです。
そしてばあちゃんがすきです。
ばあちゃんが死ぬより先に死にたいくらいに、ばあちゃんが死ぬまで自殺は控えようと思うくらいに。
びっくりする程矛盾。でも両方ほんとう。
時間が止まって、ずっとふたりきりで過ごせたらいいかもしれないのになあ。
余計なものなどなにもない家で、ばあちゃんの料理を食べて、僕のお菓子を食べて、あったかいお茶を飲んで、テレビを観て、すきな絵を描いて、一緒に出かけて、たまに花札をして、ただふたりで笑って。
そういう風に、シンプルにもし生きていけたら、しあわせだろうなあ。
たとえば学校サボっちゃって二人きりの午後とか、誰もいない夜とか、休日とか、そういう時の
こっそり二人で食べたチョコレートケーキとか、特製のお好み焼きとか、前日からわくわく準備して作ったホットケーキとか
ふたりでみた流れ星とか
他愛もない話、ばあちゃんが「世界に二人だけになったみたい」と笑ったこと、穏やかな温度
そういう時間を過ごすたびに、このあたたかなまま時間が止まればいいと思う。
そういう時間を思い出すたびに、肋骨の内側がぎゅうっとなる。
そしてそういう時間を過ごせなくなるいつかを考えるたびに、僕は、……。
僕らはあといくつ、流れ星を見られるのだろうか。
僕はばあちゃんの、あとどのくらいそばにいられるのだろうか。
とてもタフなひとだから、ちょっとやそっとじゃ死にそうにない けど
僕がくじけるのが先かもしれないけど、それでも
それでもひとは 必ず 死んでしまう。
死んでしまったらもう、この世界のどこにもいなくなる。
それは当たり前なんだけど
僕はそれがこわくて 苦しくてたまらない。どうすればいいかわからない。
流れ星を見に行っても、その時間を尊ぶことでいっぱいで、願う余裕など僕にはないけれど
けれどもどうか あんな時間の なるたけ長く なるたけ多く これからも どうか どうか続きますように。
どうか まばゆい、だいじな時間のひとつひとつを どうか どうかたいせつにできますように。
流れてしまった星を瞼に再生して、今さらながらせいぜい祈ります。