螺旋状に突っ走って死にたいプロフィール
2014/12/26 Fri 07:30
クリスマスが来なければ、誰が愛を語るだろう


話題:クリスマス

今年はクリスマスを意識していこう!と思っていたのにとくに何もしないばかりか、ケーキさえも食べていないのであります

中途半端すぎる
クリスマスを意識するならば、クリスマスが終わるその瞬間まで全力でクリスマスと向き合うべきなのだ

昨日、帰宅横になったら朝だった
起きて思ったのは、しまった!顔洗って寝てない!歯磨きしてないから、口の中気持ち悪い!
だったという体たらく
ちなみに半額で買ったローストチキンが生暖かくなっていたのが悲しくて辛い

たまに祝おうと思ったらこれだよ!
たまにはクリスマスと向き合おうと思ったらこれだよ!

わかった、もう二度とクリスマスは意識しない!
無視だよ、無視!黙殺!

アイアム仏教徒!
ファッキンクリスマス!くたばれ!ジーザスクライスト!
アイアムアンチクライスト!

でも新約聖書のこの一節は好き

世界で最も有名かつ最古のラブソング

薄っぺらい愛を語り合うカップルどもはまずこれを暗唱できるようになってからまぐわえ

だいたいね
クリスマスというイベントのためにセックスするとか愚か極まりない

クリスマスにセックスしないと死ぬの?
普段してないの?
クリスマスこそ、あえてプラトニックでいるってのも良いと思うんですよね
それで二人で朝まで語り合うの

そういうのやれよ
お前らは猿か

セックスすんなって言ってないからね

わざわざクリスマスというイベントのためにセックスをするという主体性の無さを責めているのだよ

普段あまりあえずに、クリスマスを口実にセックスしまくりたいカップルはかまわん、存分にやれ
末長く幸せに死ね

いつものようにセックスのためにセックスをするカップルがこれからの日本を作っていくことでしょう

クリスマスというイベントのためにセックスするカップルの別れる率は高いと思う

何度も言うが、セックスそのものと、クリスマスにセックスすることは責めていないからね

クリスマスに踊らされてセックスする馬鹿を責めている

クリスマスを利用するならまだしも、クリスマスに踊らされるとは何事ですか!

それでもおまえら人間か!


それでは聞いてください



新約聖書『コリント人への第一の手紙』第13章より
“愛の讃歌”





たとえわたしが、人々の言葉や御使いたちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしはやかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
たとえまた、わたしに預言する力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、また、山を動かすほどの信仰があっても、もし愛がなければ、
わたしは無に等しい。
たとえまた、わたしが全財産を人に施しても、また自分の体が焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。愛は寛容であり、愛は情け深い。またねたむことをしない。
愛は高ぶらない、誇らない、無作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みを抱かない、不義を喜ばないで、正義を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
愛はいつまでも絶えることがない。
しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分に過ぎない。
全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
わたしたちが幼な子であった時には、
幼な子らしく感じ、幼な子らしく考えていてた。
しかし、大人となった今は、幼な子らしいことは捨ててしまった。
わたしたちは今は、鏡に映すようにおぼろげに見ている。
しかし、その時には、顔と顔とを合わせて見るであろう。
わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。
しかし、その時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
このように、いつまでも存続するものは、信仰と、希望と、愛と、この三つである。


このうちで、
最も大いなるものは、
愛である。




これ何回読んでも目頭が熱くなる
美しいよね



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