名もなき雨の前奏曲(PRELUDE )11 Unplugged -2B 《受け継がれるもの》


話題:連載創作小説


破格の申し出を固辞する店主。しかし彼女は、それを受けて尚且つ、いささかの躊躇いもないように云い放った。

「お気持ちは判りました。しかし、それでも私の提案は変わりません。これは修理代というよりは資格の問題なのです。貴方にはこのピアノを所有資格がある。私はそう判断したのです」

「ですが…私はご覧の通り、しがない一人の楽器職人に過ぎません。弟子も居ない。そんな私にこのピアノが相応しいとはとても思えない。勿論、修理はします。楽器職人としての誇りにかけて。しかし、私の仕事はそこまでです」

店主は店主で食い下がる。が、老貴婦人も退き下がる気配を全く見せない。それはまるで、二つの強い高気圧が真っ正面からぶつかり合う不思議な天気図のようでもあった。

どちらの圧力が強いか。強い方が相手を圧しきる事が出来る。そして二人の場合は僅かながら老婦人の気圧の高さが優っていた。

「それは重々承知しています。だからこそ、貴方にこのピアノを託したいのです。このピアノは、楽器を大切にし、音楽を愛する者の手によって受け継がれていかなければならなりません。そういう約束なのです」

唐突に出てきた“約束”という言葉に店主が反応する。

「…約束ですか?」

「そうです。今からおよそ百三十年前、当時の当家の主とこのピアノの持ち主との間で交わされた約束です」

「楽器を大切にし音楽を愛する事が、このピアノを所有する唯一の資格である…そういう事ですか?」

「その通りです。実際、当家はこれまでそのようにしてこのピアノを守り続けて来ました。しかし…」

彼女はそこで一度話すのを止め、息を深く一つ吐いた後、話の先を続けた。

「残念な事ですが…先の戦争(第二次世界対戦)の混乱でこのピアノは一度所在不明となってしまったのです。どうにか再びその所在を掴み、取り戻したのが昨年。ですが、ご覧の通り、ピアノは激しく壊れていました。何とかしてこのピアノを元通りの美しい姿にと私たちは強く願いました。しかし、現在の当家は斜陽の一途を辿っています。借財は膨らみ、それに連れてよからぬ者達の出入りも増えて来ました。このままでは、このピアノが今後がとても不安です。それはつまり、もはや当家にはこのピアノを所有する資格がないという事です」

「その約束は、そこまでして守られるべきものなのでしょうか?」

「私はそう考えています。約束は守られなければならない」

二人の間に一時の沈黙が訪れる。それを最初に破ったのは楽器職人の方だった。


《続きは追記からどうぞ♪》



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名もなき雨の前奏曲(PRELUDE )10 Unplugged -2A 《見てくれを復元するだけでは》


話題:連載創作小説


―Unplugged short story-2A ―

1969年 パリ 初夏。

セーヌ左岸から少し離れた、落ち着いた雰囲気の裏通りに一軒の楽器店、兼、工房があった。店を入ってすぐの狭い販売スペースには数台のピアノがところ狭しと置かれ、壁にはヴァイオリンやヴィオラなどの弦楽器が掛けられている。奥には簡素なレジ場があり、その背後には分厚い一枚の壁を挟んで製作や修理の為の工房があった。

店の主はセーヌ左岸には珍しい日本人の男性だった。年の頃は五十前後だろうか。小柄な痩せた男であったが、引き締まった肌や鋭い眼光はどこか強靭な精神性を感じさせていた。

普段、店に客の姿がある事はあまりない。通りがかりの人間が物見がてらにふらりと店の扉をくぐる事はあるが、楽器に貼られている値札を見た途端、あたかも急な用事を思い出したかの如く一目散に店を飛び出すのだった。

しかし、もしも彼らが店内に置かれたヴァイオリンやピアノを試しに弾かせて貰ったならば、その優雅で深い音色に腰を抜かした事だろう。男の作る楽器には、その高い値段に見合うだけの価値が間違いなくあった。そして、その価値を知る人たちがこの店の財政を支えていた。その中には著名な音楽家や文化人、芸術に造詣の深い財界の人間や王公貴族などが含まれていた。

そんな、初夏のある日。

男の工房を一人の老貴婦人が訪ねて来た。やや時代がかった上品な白いサマードレスに同じくツバの広い白の帽子、手には淡い花柄の日傘がたたまれている。

彼女がやんごとなき身分の女性だと云うのは、壁のヴァイオリンがパイプオルガンでは無いのと同じくらい明白な事柄だった。

老婦人は店頭に置かれている売り物の楽器には目もくれず、開口一番にこう言った。

「実は、見て頂きたい物があります」

「…それは構いませんが」

店主が怪訝な面持ちで答える。女性が身に携えているのは日傘のみである。まさか、その日傘を見て欲しいなどと言い出すつもりではあるまい…。

すると彼女はそんな店主の意を察してか、直ぐに次のような台詞を付け加えたのだった。

「助かりました。では今から楽器を此方へ運ばせます」

見て欲しい物が日傘ではなく楽器である事に安堵しながら店主が訊ねる。

「その楽器は今どこに?」

「表に停めてある車の中です」

彼女が向けた視線の先を見ると、店の前の路上に停車するトラックの姿があった。マットな銀色のシトロエンHトラックだ。

間もなく、上等な黒の背広服に身を包んだ体格の良い四人の男たちがトラックから姿を現したかと思うと、大きな黒い布で覆われた物を荷台から降ろし、既に開けてあった入口の両扉から店内へと運び込んで来た。

「ありがとう」先ず女性は男たちに礼を述べ、次いで「では、布を取り払うように」と申し付けた。

彼女の言葉に従って黒い布が取り払われると、その下から姿を現したのは見るからに古そうな一台のピアノであった。

そのピアノを一目見るなり、店主の身体に雷光のような衝撃が走った。

それはピアノと云うよりは“元ピアノ”、或いは“ピアノのなれの果て”とも云うべき物であった。破損状況がかなり酷い。

しかし、それでも…。店主の目が細く、そして鋭くなる。

「これは…ただのピアノでは有りませんね?」

店主の問い掛けに老婦人が落ち着いた口調で答える。

「ええ。これは、とても古い時代に作られた当時の最高級モデルです」

ところが店主は、その返答に対して首を横に振り、再度質問を投げかけた。

「いえ、私が言っているのは“そういう意味”では有りません。このピアノには独特の空気と時間が染み込んでいる。それは薫りで直ぐに判ります」

「…薫りで?」老婦人の眉が少し持ち上がる。

「そうです。言葉で説明するのは無理ですが、兎に角そうなのです。このピアノには“只ならぬ気配”のようなものが漂っています。或いは“強い想い”と言い換えても良いかも知れない。私が先程『ただのピアノではない』と言った事の本当の意味は、このピアノが過ごして来たであろう“時の深さと濃密さ”を指しているのです」

すると、老婦人の表情は陽光が差したように明るく、希望に満ちたものに変わった。

「やはり…」

彼女はそこで一拍おいてから言葉を続けた。

「…やはり、この店を選んだのは正解だったようです。このピアノを甦らせる事の出来る人間は恐らく世界に何人もいないでしょう。そして貴方はその数少ない人間の一人です」

しかし店主は、そんな賞賛の言葉など耳に届かなかったかのように話の先を続けた。

「それよりも、このピアノがどのような由緒を持っているのか、それをお話し頂きたい。このような特別な楽器を甦らせる為には、楽器そのものについて出来るだけ詳しく知る必要があります。見てくれを復元するだけでは意味がないのです。そういう訳ですので、もし、それをお話し頂けないのであれば、残念ですが修理は御断りさせて頂きます」

きっぱりと云い放った店主だが、内心は内心でまた少し違っていた。職人としての彼の目は半ばガラクタのような状態のオールドピアノを見つめながら、早くも『どの部分からどのように手を付けていくべきか』をレントゲンのように探り始めていたのだった。


《続きは追記からどうぞ♪》


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名もなき雨の前奏曲 (PRELUDE )9《雨の音楽葬》


話題:連載創作小説


その日は朝から雨が降っていた。

彼女は、焼香する場所から少し離れ、木々の立ち並ぶ屋外に傘を開いて立っていた。

黒い服に身を包んだ人たちは誰もが伏し目がちで、今日という一日が哀しい日である事を教えていた。身を寄せてひそひそと会話を交わす集団もあれば、彼女のように独りで立っている者もいた。

彼女が名曲喫茶【平均律】で初めてプレイエルのピアノを弾いた日の夜。帰宅した彼女は留守番電話に一件のメッセージが残されているのを見つけた。それは、古い知り合いからのものだった。

もう何年も交流のない人物からの突然の連絡に、彼女は少し嫌な予感がした。そして、その予感は当たっていた。

それは、彼女が三歳から十五歳まで師事していたピアノの先生が亡くなったという知らせだった。

古い知り合いは、葬儀の日時と会場の場所を急ぎ口調で告げ「逢いに来てくれると先生もお喜びになると思います」とメッセージの最後を結んだ。

先生とは、最後にお会いしたのが何時だったのか忘れるくらい縁が遠くなっている。そんな自分が果たして葬儀などに出て良いものか、彼女は少し迷った。

しかし、先生には随分とお世話になった事もまた変えようのない事実だった。彼女にピアノの弾き方のイロハを教えてくれたのは先生で、そういう意味でも彼女の人生にとって最も思い出深い人間の一人である事は間違いない。

やはり、先生には最後にきちんと挨拶をして感謝の言葉を一言でも述べておきたい。こうして彼女は、亡き恩師の葬儀に参列する事を決めたのだった。


棺の中に眠るかつての恩師は、安らかな顔をしていた。ロマンスグレーの長い髪は艶やかで美しく、頬はうっすらと紅色に染まっている。その姿は、彼女の知る頃から少しも歳をとっていないように見えた。

彼女は恩師の亡骸に「ありがとうございました」と小さく声をかけ、その場を離れた。そして、そこから少し離れた木々の下に立ち、静かに葬送のセレモニーを見つめ続けた。

冬の日の葬送は少し哀しい。
雨の日の葬送は少し切ない。

けれども、そこには何処か胸に響くような美しさがあるように彼女には映っていた。

もしかするとそれは、人間や人生と云ったものが、その死や終焉をも含めて美しい存在である、という事の一つの証明なのかも知れない。彼女は何となくそんな事を思った。

恩師の葬儀は、生涯ピアノ教師だった人間に相応しく音楽葬の形をとっていた。

クラシックの有名な曲がピアノ曲を中心として、冬の空に流れ続けている。それは、花の咲かない季節に誰かから贈り届けられた音楽の花束であるように彼女には思えていた。

ラヴェルの《水の戯れ》が終わり、次の曲が流れ始める。その曲に、彼女の体が反射的にピクンと小さく反応した。

それは彼女がピアノを習い始めるきっかけとなった曲だった。

幼き日に偶然その曲を耳にした彼女は、家にあった玩具のピアノの鍵盤を叩き始めたらしい。彼女自身はよく覚えていないが、彼女の母親はそう言っていた。そして、夢中で玩具のピアノを弾き続ける彼女の姿を見た母親は、父と相談して彼女にピアノを習わせる事を決めた。その時、近所でピアノ教室を開いていたのが棺の中の恩師で、彼女はその教室に通うようになった……。

つい昨日の出来事のように彼女はそれを思い出していた。


《続きは追記からどうぞ♪》



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閑話休題(私は歩く雪ダルマ)。


話題:雪景色


いやはや……思わず、『ここはソチ五輪のアルペン会場ですか?』、と訊ねたくなるぐらいの大雪です……と言うか猛吹雪です(/´△`\)。

豪雪地帯から見れば“まだまだ甘い”のかも知れませんが、こんな猛吹雪はホント何十年ぶりだろう?という感じです(*_*)。

先程、果敢にも犬の散歩に行って来たのですが(犬が「気合いで行きましょう♪」と言うので仕方なく)…映画【八甲田山】を思い出しました。或いは【ロッキー4】の雪原でのトレーニングシーンを。私も犬も“歩く雪ダルマ”のようになっていました。(◎o◎)

ひっきりなしに救急車や消防車のサイレンが聴こえています。大事が無ければ良いのですが……。

皆様も雪や風には十分お気をつけ下さいませm(__)m。


下の写真は、犬の散歩中、半ば雪に埋まりながら撮った物です。吹雪いている感じが全く出ていませんが、吹雪いているのです(*_*)。




名もなき雨の前奏曲 (PRELUDE )8《ジュ・テ・ヴ》


話題:連載創作小説

いざピアノを弾き始めようとして、彼女はふと今の今まで横にいたはずのマスターの姿が消えている事に気づいた。……どうしたのだろう?そう思っていると、それまで店内に流れていたラフマニノフの曲がピタリと止んだ。なるほど、そういう事か。演奏の邪魔にならないよう、マスターはレコードの針を戻しに一旦この場を離れたに違いない。飄々としている割りに細やかなところに気のまわる人だ。

マスターが戻ってくると彼女はその配慮に対し短く感謝の言葉を述べた。この、ちょっとした間(ま)のお陰で、それまで張りつめていた場の空気が少し緩み、彼女の緊張も幾分和らいでいた。

彼女は自分の体に体温が戻ってくるのを感じながら、鍵盤の上の虚空に空気を柔らかく包み込むように手のひらを置いた。そして静かにゆっくり呼吸を整え始める。それは彼女がピアノを弾き始める時に必ず行う、云うなれば儀式のようなものだった。

思えばピアノにはもう七年もの間まったく触れていない。物心のついた時分から毎日何時間も弾き続けてきたピアノとは云え、七年というブランクはそう簡単には埋まらない。

彼女は少し迷った末、曲をエリック・サティの《ジュ・テ・ヴ》に決めた。軽やかな優美さを持つこの曲は、その華やかさの割に難易度はかなり低い。流石に長期のブランク明けで、リストの《超絶技巧曲集》を選ぶ自信は彼女にはなかった。

マスターと常連客たちの見守るなか、彼女はゆっくりと1837年製プレイエルの鍵盤の一つに指を下ろした。

鍵盤に触れた指先に象牙のひんやりとした感触が伝わる。その瞬間。伸びやかな歌声のような美しい音が、蜜を吸った蝶が花弁から舞い上がるように店内に響き渡った。それは、シンギングトーンと呼ばれる最高級のプレイエルに特有の音色であった。

正直、実際にこうして鍵盤に触れる迄、彼女は自分がちゃんとピアノを弾けるかどうか、全く自信がなかった。しかし、彼女の指先は彼女の心はピアノの弾き方を忘れてはいなかった。彼女の白い指先が、まるでそれ自体が意思を持つ生き物であるかのように鍵盤の上を軽やかに舞い、踊った。

そして、気づいた時には彼女は一つの音符をも違える事なく《ジュ・テ・ヴ》を完奏していたのだった。

周囲で小さな拍手が起こる。マスターも常連客たちも、初めて耳にするプレイエルの音色と彼女の見事な演奏に感嘆のため息を漏らしていた。

「いや…素晴らしかったです」

芯から感心したようなマスターの言葉に他の常連客も頷く。

彼女は少し顔を赤らめながら椅子から立ち上がると、軽く頭を下げた。その様子は如何にも、曲を無事に弾き終え、安堵している演奏者のそれであったが、彼女の内心はそれとはまた少し違う事を思っていた。


《続きは追記からどうぞ♪》


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