話題:突発的文章・物語・詩
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「薮クリニックの事」
【土曜日】
(晴れ、時々、TOKIO(沢田研二の))
突如として何を食べても回鍋肉(ホイコーロー)の味しかしなくなったので、慌てて掛かり付けの病院である薮・スーパーインテリジェント・ホイミスライム・クリニック=通称・薮クリニックに行った。
「どうしました?」薮先生の問診に私は(かなり異様な症状なので)信じて貰えないのを覚悟しつつも包み隠さずに症状を話す事にした。「何を食べても回鍋肉の味しかしないんです」
。すると薮先生は「ああ、なるへそ。それはカオマンガイ症候群ですな」と事も無げに答えたのだった。流石は薮先生。ワールドドクターマガジンの【世界の名医100人(紙一重編)】に選ばれるだけの事はある。
私「カオマンガイ症候群ですか?」
薮医師「うむ。但し、カオマンガイ症候群というのは通称で、正式には味単一性脳味噌億劫症候群と言います。読んで字の如く、全ての料理の味が単一に感じられてしまう病です」
味単一性……初耳だが、症状はピタリ当て嵌まっている。しかし……
私「カオマンガイというのは?」
薮医師「ああ、最初に報告された症例がカオマンガイだったのでその名前がついただけで特に深い意味はありません。ちなみに、カオマンガイは東南アジアの料理らしいです。私は基本的に流しソーメンしか食べないので食べた事はありませんがね」
なるほど。かなり特殊な症状なので、もしかしたら未知の病なのではないかと心配していたが、どうやらそうではないようだ。それより、流しソーメンしか食べないというのが気になる。新手のジョークだろうか?
薮医師「最近けっこう多いんですよ、ガパオライス症候群」
私「カオマンガイ症候群では?」
薮医師「左様左様。原因はどうやら脳にあるようでしてな……」
私「舌ではなく脳ですか」
薮医師「うむ。インターネットの進化とか交通網の発達で世界中の食材やレシピが簡単に手に入るようになったでしょ。必然的に選べるメニューは増えますわな」
私「そうですね。20年前には聞いた事も無かったような料理が今じゃ普通に店で食べられるようになったり、材料がスーパーで手に入るようになったり」
薮医師「ですな。選択肢が増えるのは喜ばしい事ではあるが、同時に選択する手間が増えるという事でもある」
私「確かに。メニューが多すぎて迷っちゃう店とかたまにあります」
薮医師「それが原因です。毎日毎日何を食べるのか、いちいち考えるが面倒臭くなったんでしょうな、脳みそ本体が。それで何を食べても同じ味がするよう神経回路に指令を出した。何を食べても同じ味ならメニューを選ぶ必要など無くなりますからな」
私「なるほど。それで、正式名が脳味噌億劫症候群なんですね」
薮医師「左様。最初の患者は中高生の子を五人持つお母さんだったらしい。毎日のお弁当を考えるのを脳みそが拒否したのでしょう。まあ、そんなこんなで症例もかなり集まっており研究もかなり進んでいます。それに伴い治療法も“それなりに”確立しつつあるのでね、取り合えず安心して良いでしょう」
……良かった。私は胸を撫で下ろした。このまま一生、何を食べても回鍋肉なのは辛すぎる。
私「で、治療法というのは?」
薮医師「食事の前に錠剤を一錠飲んで貰う事になります」
拍子抜けしてしまうほど簡単かつ明瞭な回答だった。
私「ホッとしました」
薮医師「では、お薬をお出ししましょうかね。えーと、確か、何を食べても海老チリに感じるのでしたな」
私「いえ、回鍋肉です」
薮医師「左様左様」
言うと薮先生は机上のパソコンのキーを叩いた。すると、カパっと音がして天井の一部が四角くハッチのように開き、机の上に錠剤の束がバサッと無造作に落ちてきた。
薮医師「では、これを食前に一錠飲んで下さい」
普通は処方箋を貰って薬局で薬を受け取るのだが、この薮先生は[歩く調剤薬局]の資格を持っているので自分で薬を出せるのである。
私「それで回鍋肉の味じゃなくなるんですね」
薮医師「そうです」
実に簡単。礼を言い立ち上がろうとする私の動きを止めたのは「そうです」に次いで薮先生が放った一言だった。
薮医師「その代わり、何を食べてもナシゴレンの味になります」
……ちょっと待った。それでは駄目だろう。
私「いやいやいや、それでは困るんですけど」
薮医師「でも、取り合えず回鍋肉ではなくなりますよ」
私「そうじゃなくて、普通の味覚に戻るようにして欲しいんです」
懇願する私に、薮先生はパソコンの画面に目を落として言った。
薮先生「それがですねぇ、現段階では、回鍋肉からはナシゴレンにしか行けないのですよ」
私「まいったなあ。何とかなりませんか」
薮医師「では、こうしましょう」
薮先生は膝をぽんと手で叩いた。
薮医師「一度ナシゴレンの錠剤を飲んで貰って、次に錠剤2をお出ししましょう」
私「それだとどうなります?」
薮医師「何を食べてもナシゴレンの味だったものが何を食べてもプーパッポンの味に変わります」
私「ですから、それだとあまり意味が……」
薮医師「そう言われても、ナシゴレンからだとプーパッポンにしか直行便が出ていないのです」
何だか乗り次ぎの便の悪い旅行みたいだ。
薮医師「兎に角ですな、そうやって錠剤3、錠剤4、錠剤5……というふうに味を乗り換えて行くより他に治療法はないのです」
ブラックジャックも裸足で逃げ出す名医・ドクトル薮がそう言うのならば本当にそうなのだろう。
私「最終的には治るんですよね?」
薮医師「それは大丈夫。治ります」
それならば仕方ない。しばらくは我慢するとしよう。
私「で、乗り継ぎの順番は?」
私の問いに薮先生はパソコンの画面を此方に向けて見せた。
薮医師「この順番になりますな」
画面にはこう表示されていた。
回鍋肉→ナシゴレン→トルコライス→パッタイ→…何かちょっと癖のある物が多い気が…チリコンカン→ミーゴレン→骨っこ→ちゃおちゅーる…ペットフードじゃないか…→エッグベネディクト→シークケバブ→回鍋肉
私「ちょっと待って下さい。結局最後、回鍋肉に戻っちゃってるじゃないですか」
薮医師「そのようですな」
私「治ってないって事ですよね?」
薮医師「いや、実はこの病気、放っておいても半年で自然に治るのです。全症例がそうなので間違いありません」
私「じゃあ、薬は何の為?」
薮医師「だってほら、半年間ずっと一つの味では飽きるでしょ?」
私「つまり、料理の味を変える為だけの薬で根本的な治療薬ではない、と」
薮医師「左様。でも、一周目二周目三周目と周回を重ねるに従って味のグレードが上がって行くという特典がありますぞ」
私「特典はいらないんです。食べた物の味がするようにして欲しいんです。と言うのも、私、今の部署が【おもてなし事業部】なので、料理の味が分からないと何かと接待に差し支えるのです」
薮医師「そうですか……なら、仕方ないか……実は、まだ認可の降りていない薬があって、それなら元に戻るのだけれども……どうします?」
私「それでお願いします」
薮医師「ただ、認可が降りていないので保健はききませんよ」
私「一錠幾らぐらいなんです?」
薮医師「98円です」
こりゃまたえらく安い。
私「それでお願いします」
薮医師「分かりました。ではお出ししましょう」
天井のハッチがパカッと開き、薬がパサッと落ちて来る。見馴れた光景だ。
薮医師「では、これを気が向いた時に一錠お飲み下さい」
私「ありがとうございました」
私は薬を受け取り薮クリニックを後にした。
薬を飲んだのは夕飯の前。確かに効き目はバッチリだった。カツ丼と天ざる蕎麦のセットを頼んだのだが、ちゃんとそれぞれの味がした。やれやれ。私は胸を撫で下ろした。が、それも束の間、薬には副作用があったのだ。
誰に会っても顔がバカボンのパパに見えるのだ。味覚は戻ったが代わりに視覚の相貌認証がおかしくなったらしい。これは味覚以上に困る。また明日、薮クリニックに行くしかない。薮クリニックは常に空いているので予約を取る必要がない。このクリニックを掛かり付けにして本当に良かった。
〜おしまひ〜。