世界について「規約違反」
潮風が蒲公英の様に輝く黄金の髪を乱暴に靡かせる。
そして、ダンデは朽ち掛けた灯台を見上げた。その顔からは何時もの能天気さが欠けている。
はるばる同盟国から帝国領海辺の町の遠い田舎町にやって来たのには理由があった。
捜し求めていたものをアルバが見つけてきたのだ。
ダンデとアルバは長い付き合いの友人であり、ダンデが立ち上げた同じ研究所に在籍するメンバーである。
そして二人は幼い頃より「この世界」に違和感を持ち続けてきた同胞であった。
即ちこの世界は夢の中に存在する。時折、無意識的に精神が世界を俯瞰をすると感じるのだ。
だからこそダンデは見識を深め、錬金術や占星術、果ては魂についての研究を重ねて、アルバは見物を深める為に大陸中を危険承知で巡った。
時には予言の使徒なる者達とも出逢い、教主国の地下迷路の主とも言葉を交わした。
だが最近、否、大陸歴1299年を過ぎた頃だろうか。ダンデとアルバの世界に対する違和感は強いものになっていた。
"夢の中"と言う違和感から"この世界そのものが全てすり替えられてしまった"かの様な異物感、不快感。
あの薬師と少し逢う前。あの薬師に会えば何か解るかと思い、ファンレターを装い誘き出しだが、ただの善良な薬師だった。
「この灯台に流氷の民の生き残りが棲みついているのは確かだ。ソイツはケリャの、最古の消えた民族の歴史について調べている」
「なるほど」
「ただ、十年ほど前から突然、姿を見せなくなった。女の子が通っているらしいから、生きているとは思うんだ」
アルバの下調べは何時だって完璧である。
全幅の信頼を寄せているダンデは、その言葉に頷くと灯台の入口の戸に手を掛けた。
建物内は暗かったが、鍵はかかっていなかった。
まず最初に鼻孔を擽ったのは、旧い紙の匂いである。だが、不思議と埃や黴を感じなかった。
建物内も綺麗に清掃されている。生活感こそ薄かったが、この灯台は確かに、今も管理されいる。
「あー、勝手に入っちゃダメじゃないですか」
少女の明るい声音が、突如として頭上から降って来た。大の大人が驚いて揃いも揃ってビクリと身体を震わせる。
箒を片手に吹き抜けの階段を降りて来たデンリュウの少女は、侵入者に慣れているのか、驚きもしないで可愛らしく眉を釣り上げた。
「空き家だけど、ここには棲んでる方が居るので、お帰りください」
「いやいや、その主人に用があって来たんだ。僕はダンデ、しがない研究者。怪しい者さ。隣の仮面の男はアルバ、僕の幼馴染で同じく怪しい者さ」
勿論、そんな事で引くダンデ達ではない。先に名を名乗り、偽りなく怪しい者と自白する二人に少女は呆れた顔になった。
「叔父様に、用事ね...。十年も前に世捨て人になった方に、今更なんの用事があるのかしら」
疑い深げな表情を、少女はするが直ぐに溜息を吐いて仕切り直した。
「...私はグレーテル。流氷の民の生き残り。この場所に人が来るのも十年以来ね。叔父様は灯台の上で"待っている"わ」
少女、グレーテルはそう名乗ると二人の怪しい男を、いとも容易く、少し疑っただけで灯台の中に招き入れた。
その言葉に戸惑ったのは怪しい男二人の方なのは言うまでもない。
「叔父様はずっとここで灯台守りをしているわ。流浪の民の仲間になる事なんて無く、でも、流氷の民として。この柩のような灯台に閉じこもっている。私は、叔父様のお世話をする事と、一人じゃ行き届かない灯台の手入れをする為に、帰って来るの」
グレーテルはそう説明しながら箒片手に長い階段を上へと登って行く。
「十年前のある日、突然、おかしくなってから叔父様は引き篭もる様になったわ。流浪の民の歴史も調査していたのだけど、それも打ち切った。それでも、私にとって尊敬する兄に変わりないの」
辿り着いた一際、重厚な木の扉の前に立ち止まり、グレーテルは誇らしげに微笑む。
すると、ノックもしていないのに扉が開いた。灯りがついていない。部屋の中は闇に包まれた事が解る。
「喋りすぎだ。グレーテル」
不機嫌そうな重たい声。
ズルっと、ローブを引きながら不健康そうなデンリュウが闇の中から現れた。
胡乱な目をした男、
ハンス・セー・アナスンは、こうして再び現れた。
入ってくれと、視線でダンデを誘導する。二人は顔を見合わせると、促される儘にハンスの柩(へや)の中に入っていった。
<規約違反である>
グレーテルはハンスの登場を確認すると同時に何も言わずに、止める間も無く退場していった。
<"今"存在しない人物、替わりの登場人物を再登場させるのは規約違反である>
<よってこの物語は、物語は?誰が、誰が書いた、史実にはない物語を誰が>
<悲劇を喜劇にすり替えたのは、この...
「気にしない方がいい」
耳鳴りが酷い。と、ダンデは思った。アルバも同じ意見だ。吐き気すら感じる。
誰かのがなりたてる聲無き声が頭の中に響いているような感覚。
そんな二人を椅子に座らせ、薄暗い部屋にランプの明かりを点けながら、ハンスが言った。
「まあ、無理か。お前達には聞こえるんだろう?本題に入る前に幾つか話をしよう。あんた達をあそこに招くべき者かどうか確かめたい」
そう言いながら、ハンスは薪をくべる。此処だけ灯台の中では無く、切り取られた空間のように思えた。
書きかけの書を見ると歴史の研究者と言うより、作家を髣髴とさせる。
「帝国は寒いしな、ご足労様"アマデウス"」
「...ん、あんたもこの世界が夢の中と知っているクチなのか。予言の使徒の交流者かい?」
"アマデウス"。予言の使徒達を束ねる氷の魔竜ことエリアンテが自分達をそう呼んでいた。
曰く、外なる世界を無意識に知覚する者の名称。"神に愛されし者"。始まりは、たった一つの奇跡に起因するが干渉は許さない。
先天的に色彩の異常がある者にしか起こらない現象であり、総ての者に起こる現象でもない。
彼等を愛する神が何者なのかは、以前、明らかになっていないが、そう言う子供は生まれてくる。
そして、真実を求めたがる。ダンデの様に。
「ははん。夢の中ね。そう解釈しているのか。予言の使徒は伝承でしか知らないね。見ての通り引き篭もりなもんで」
「ああ、グレーテルが言ってたな。おかしくなったて。とても狂人には見えないが」
「当たり前さな。突然、この世界は誰かが書いた小説の世界で<規約違反だ!>俺たちはインクの滲みだなんて大真面目に言い出したら、誰が信じる?」
ハンスの口に出した言の葉が、あからさまに揺らぐ。台詞には雑音が入り、何かが邪魔をしていた。
そんな事は慣れているのか、やれやれと肩を竦めたハンスは机にもたれかかる。
「今の...」
「気が触れた者の言葉に聞こえるらしい。あんた達にはどう聞こえた?」
「雑音...君の台詞を掻き消そうとした何かを感じた」
「理解が早くて嬉しい。トントンで話を進められそうだ」
ぎしぎしと世界の空気が張り詰める様な感覚。大きな手に握り潰されそうな圧迫感。空から大きな目がギョロリと自分達を見ていそうだった。
とても大きな存在が、ギリギリの所で自分達を止めようとしている。が、ハンスは御構い無しで、止めようとする力も弱弱しく思えた。
「狭間の図書館と、とある作家崩れの話をしよう」
始まりは一人の少年が狭間の図書館に迷い込んだ事である。その時、図書館は彼を選んだ。
狭間の図書館がいつから存在しているのかは解らない。が、あの場所は他の世界とこの世界の中継地点のようなものだった。
色彩異常者でなければ入れない、不思議な場所。ハンスはそこに足を踏み入れた事など無い。
リドル兄弟の見た世界では"ウルトラスペース"と呼ばれているものの類似品らしい。
そしてこの"狭間の図書館"。何を隠そうダンデ達の生きる世界の魂の墓場である。
人は死ぬと血をインクに、肉を皮羊紙に替え、その人生を綴られ、頁を閉ざされる。
狭間の図書館は墓場であり、ユーロスの歴史を観測する世界の要であった。
さて、物語を愛した少年は青年になり、やがてユーロス史を書き上げようと思い始める。
世界を呪う、祈りの魔術師による滅びと平和が約束された、それまでのユーロスの物語を。
とある子供のタツベイの寝物語を聞かせる時に、王子の冒険を、剣士の悲劇を、兵隊の日常を、大きな歴史の流れと共に語り聞かせながら。
全ては上手くいっていた。青年の世界ではユーロスは滅びている。滅びにむけて、歴史をなぞり書けば良かったのだ。
だが、青年はあまりの不条理な歴史に、ユーロス史の終わりに、憤りを感じた。滅びゆく世界がとても悲劇的に見えて、
悲劇を喜劇に塗り替えようとしたのが10年前。
お陰様で、この世界はぐだぐだだらだら未だ混沌と血に塗れ、闇を抱き存在している。
死ぬべき運命でない者が死に、死ぬ運命のものが生き残った。
「あんた達の感じる違和感の正体はそれだろう。ユーロス史って奴はそこに置いてある。リドル兄弟が言うにはこの世界は、もう男が綴った世界じゃないらしい」
「なんだそりゃ!なんだそりゃ!なんだそりゃ!」
「一旦ユーロスは滅んで、俺たちの半数以上は死んで、一からやり直して平和になったのが男の暮らす世界のユーロスだったんだ」
「ああ、理解しようと必死なんだ。ごめんね。怒鳴ってしまった」
「別に良いさ。よくある事だから。んじゃ引き続き、男とこの世界。そしてあちらの世界の話をしよう。史実において、何が悲劇か、何が喜劇かも、含めてな」
ハンスのくべた薪がパキリと音を立てて割れた。
部屋は暖かく、寒さの苦手なダンデとアルバの心を落ち着かせてくれる。
この世界は、ダンデが思っていたよりも夢見がちでは無かったのだと、今更ながら思った。
このウルトラスペースに棲息する者が居るのならば、デンジュモクである。
紙もペンも木で作られる。頭に光るのは自意識か。
だから、この場所を愛した君も、いづれ......。