悲劇と喜劇について「規則違反」
「何をもってして悲劇と呼ぶか。人それぞれだと思わないか」
開口一番、ハンスはそんな事を言った。
滅びゆく歴史を憂い、軌道修正した者が居る。
その行為への否定を前提としての言葉だった。
「その暖炉の薪は、グレーテルが去年のクリスマスツリーだった木を貰ってきた、リサイクル品だ」
暖かな、或いは身を焼く炎に包まれながら灰へと至る薪を見やる。
それはそれは、見事なクリスマスツリーだったらしい。流浪の民の彷徨う名無しの森で、そのもみの木は切られた。
「最後まで他人の為に役に立った勇敢な、もみの木は悲劇役者かね」
「自分の為に生きて居るものにとっては悲劇かもしれないね」
「犠牲という恩恵を受けながらよく言うな」
ダンデの言葉にハンスは苦笑いした。もみの木が人の役にたてて喜ぶような性格なら喜劇、自分の栄光しか考えぬものなら悲劇と言い切ったからだ。
しかし暖炉のお陰でぬくもりを感じられているのも事実である。それはダンデ達にとっては悲劇ではない。
「物言わなぬものの幸不幸なんてわかんないよ」
興味が無いと言った様子のダンデに、アルバは少し仮面の下で悲しそうな顔をした。
利己的かつ自己中心的なダンデには、薪の事など関係ないし、興味の対象でもない。ただ消費されゆくものだ。
アルバはそういう考えには至らない。ハンスが何が言いたいのかなんとなく解る気がした。
「...なぁ、この世界が紙綴りの世界だったとして、これは喜劇と悲劇。どちらに思う?」
「悲劇」
言葉は重なる。
今ここで生きている者達を差し置いて、この世界に介入しないでくれ。
きっとそれは、外なる世界を知覚できる殆どのものが出す答え。
「やっぱり、そうだよな。俺もずっとそう思ってきたよ。ここで俺たちが絶滅しても、罪重ねた数千年の歳月を悲劇とは思えない」
ハンスは手にとった本をぺらぺらと捲る。
「グレーテルの書いた童話は大概はバッドエンドやら悲劇やら言われるが俺はそうは思えない。何よりも誰よりも大切なものを見つけて、愛し続けれたならそれは幸福だ。誰かを不幸にしてまで愛を貫く覚悟を持って逝くなんて勇敢じゃないか。悲劇じゃない。武勲だ」
それは自分が描くはずだった物語なのかもしれない。
「みんななくなっても。最後の最後に一粒だけ奇跡のような幸せが残っていたら、喜劇でも良いと信じている。史劇ユーロスはそういう意味では真っ当に滅び、再生した喜劇だ。こんな悲劇じゃない。悲劇というのは切り捨てられた者達の事を言うのではないか」
ずっと負の感情を作者<けんじゃ>に向けていたハンスの顔は驚くほど険しい。
そうだ。このハンスと言う男は、要らないものとしてグレーテルという少女にすげ替えられている被害者なのだ。
悲劇と答えたアルバは考える。
無駄な延命をされた可哀想な世界を。そんな理由ですげ替えられていた自分達の世界への違和感を。
悲劇と答えたダンデは考える。
ならば作者は何をしている。史実を逸脱させて、どう和平を作るのか。世は刻一刻と暗い情勢になっている。その暴走を作者は止められて無いように思えた。
つまり、今、この世界に介入する外なる存在は存在しない。居たとしても、ハンスに施した妨害程度だ。
ダンデ達は今、本当の意味で自由なのである。
気付いたダンデを見て、ハンスは小さなナイフを手にとった。
「医学知識があるのはどちらだ」
「ダンデです」
震える声でアルバは言う。信じられないと言う顔でダンデがアルバを見やる。
「いいか、狭間の図書館は、俺たちからしたら生と死の狭間にある。片道にならないように祈ってほしい」
「ちょっと...!?」
「図書館内にはリドル兄弟が待っている。その先にについて教えてくれるさ」
制止の声を上げるダンデ。
椅子から立ち上がり一歩下がるアルバ。
椅子から立ち上がり、ナイフを持ったままアルバに歩み寄るハンス。
「図書館に住み着いた獣。あれが、きっと作者だ。詳しくはリドル兄弟に聞け」
「他に方法はないのか!?」
「残念だダンデ。無い」
縋るダンデを一瞥もしないでハンスは語る。
「意識を乖離する必要がある。夢の中とは言い得て妙だ。確かにそうだ」
ナイフからパチパチと電気が散った。
「眠っている時なんて死んでいるのと一緒だもんな。眠る事と死ぬ事は同意義だ。失敗しても、私は死んで居ないと柩の横にメモでも置いておく様に友人に頼んでおこう」
アルバの耳の後ろで雷が弾けた。
激痛。友人の怒声。暗闇。
気付いた時は意識は真っ黒に塗りつぶされ世界とアルバを繋ぐ糸は切れた。
まりで、眠っている時のような虚無の世界が、彼の全てを侵食する。
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そして目覚めたアルバの視界に飛び込んできたのは見事な双丘であった。
布の上からでも解る豊満な胸に目が釘付けになる。
目の前には女が居た。大凡、イキモノとは思えぬ程の神々しさと恐ろしさを兼ね備えた女だった。
一目見て女神と思える、蠱惑的な、アルバには見覚えがある女だった。
真実と理想から切り離された虚無なる欠片。氷の魔竜エリアンテ。
「久しぶりだな。アマデウス」
魔竜の後ろに控えるのは何時もの色違いのガチゴラスとラムパルドではなく、見慣れないエーフィとブラッキー。
「ナギトとカイトは此処には寄越せないから今日は一人だ。間違えないで欲しいが私は客人。今の図書館の管理人は...」
「俺は兄のルートヴィヒ、彼方では伊勢と名乗っている」
「僕は弟のヴィルヘルム、彼方では土佐と名乗っている」
エリアンテの言葉を遮るようにエーフィとブラッキーが名乗りを上げた。
自分達こそが狭間の図書館の主人であると主張するように。
名乗る事も忘れたアルバはぐるりと図書館を見渡す。確かに刺された筈だが、何処にも傷は無かった。痛みもない。
壁一面が本棚。様々な、色とりどりの表題の本に囲まれ、鏡もない。頭上を見上げれば星が輝いている。
此処が"ウルトラスペース"と言う所なのだろうか。確かに異様な空間だった。
戸惑うアルバをよそに全て知った様な顔の客人と、兄弟の管理人は一つ、頷いてみせた。
「君達のお陰で、漸く彼方と完全に繋がれた。ハンスからは説明はされたかな。この物語の"黒幕"、即ち喜劇役者を今から喚びだそうと思うのだけれど、どうだい?」
一切、説明を受けていない。
ルートヴィヒはとんでもない事を言い出し、そして楽しそうに笑った。