【その他感じたこと】
●避難所生活
自分のほかにも200人ほど参加者がいて、寝泊まりは体育館でした。
擬似避難所生活の感想をば。
当たり前ですが、寝れねー寝れねー笑
腰、痛っ!
一週間ばかでコレですから、住宅のほうでお話しを聞くと二ヶ月とか三ヶ月とか皆さん生活してらっしゃって、
もうとてもとても…
睡眠て、健康状態にめちゃめちゃ影響しますよね。
今回自分は睡眠導入剤もって耳栓もって、おかげで毎日気分爽快でしたが、
期間中体調くずすメンバーも多くて。
そりゃ崩すよねぇ
この経験をネタに、住宅の皆さんと話がひと盛り上がりしたりするので、個人的にはまーよかったですが。
しかし、ねぇ。
食事に関しても
期間中、お弁当が毎食支給されていましたが、基本揚げ物主菜のずっしり弁当で、
これが地味にきつかった。
も、文句じゃないっすよ!
住宅のみなさんも
「毎日肉が多くてねぇ、海育ちだから、魚がほしくて…」
と。
聞いたときはメンバー全員、全力肯定です笑
そうです!
今まさにそれです!
みたいな。
ちなみに一度だけ、うっすーいカツオのたたきが出たそうで、
そのときは周囲の人達とガッツポーズしたそうです笑
「避難所生活で早寝早起きになってねぇ…」
という声も。
その方は7時寝の4時起きだそうです。
むーん。
ただ避難所で知り合った!という人もけっこういました。
仮設住宅はプライバシーは保たれてますけどねぇ、
難しいですねぇ。
●誰かのために
200人の学生が集まったプロジェクトでした。
思ったのは、
「誰かのために、と思ったときの人間のパワーはすごい」
ということです。
まるでどこかの選手会長のような言葉ですね。
しかしガチです。
自分らは現地にいって、
今まで画面の向こう側でどっかフィクションのようだった「被災地」や「被災者」が目の前にあって、
ずっと何かしたい何かしたいと思ってた対象が目の前にあるときの
その、溜め込んだパワーが爆発したかんじでした。
チャラ男もオタクもギャルも天才もいて、
200人もいたら一人くらいアレな人がいそうなもんですが、しかし誰もいなかった。
どこにこんな素敵な人達が200人もいたんだ、というくらいみんな熱くて真面目で真剣で、
ということは日本人みんなこんな感じなんだと思います。
熱くて真面目で真剣な人らが集まってできとる国なんだと思います。
ただ、その気持ちをどこにどうやって向けていいかわからず、
過ぎる時間に埋もれて、その熱い思いが、だんだん見えにくくなっとるんだと思います。
自分も、あと一ヶ月、二ヶ月すればそうなっていくでしょう。
だんだん埋もれて、まるで火が消えてしまったのでは、と思うような。
でも消えてません!
本当はちゃんと灯ってます!
道路一本で繋がったところに「被災地」はあります。
魚屋さん、高校教師、大学生、小学生で4年2組、イケメン消防士、元特攻隊員、ジーンズ売り場のお兄さん…
みんな「被災者」です。
身近に感じて、伸ばせば手で触れられることを常に思って、
それで「忘れない」ことが一番なのかなと思います。
プロジェクトを主催した岩手の大学生さんも
(同い年です。本当すごい)
「岩手を忘れないでください。そしてまた岩手に帰ってきてください」
と最後に挨拶してました。
「おじいちゃん、おばあちゃんになったら、孫と一緒に遊びにきてください」
という言葉に、
いつか来るのだろうか、そんな日を想像して、泣けてきてしまいました。
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レポートは以上です。
長々とすみませんでした。
最後はなんだか松岡修造のようになってしまってすみませんでした。
これをそっくりそのまま、活動報告書として大学に提出するかもしれません…
ふふ、ずるいずるい…笑
読んでいただいてありがとうございました。
冒頭にも書きましたように、何かあればなんでもお伝えください。
ホークスは昨日は、すばらしい勝利でしたね。
一週間テレビもなにもなかったんで
もう浦島太郎状態です