[Springreport]
■リポート


 「お疲れ様でした」の言葉に、体から力が抜ける。

 今日の撮影時間は当初の予定より押した。
 いや、大幅な前倒しになったのだ。
 メインキャストを務める俳優さんが、訃報を受けた。本番前の控室で、携帯電話を見つめ微動だにしない姿に、ほかの出演者が「そろそろ出番です」と声をかける。そこでようやく時間が動き出した。目を大きく見開いたままの瞳をゆっくり細め、静かに吐き出す。手を組み額を押し当て「そうかそうか」と小さく唱える姿は祈るようだった。
 直接の血縁があるわけではないが、自分を育ててくれたのはその人だ、と慕う人らしい。今夜は通夜で、明日には葬儀が組まれている。
「ここから随分と離れているしね、すぐに会いに行けないのは重々承知だったが。こういう日がいつか来るとは思ってたけどなぁ」
 見上げた空は青く雲一つなく、明日もこの天気だといいな。そしたらあんひとも、迷わず空まで登っていけるだろう、そう言って目を細めた。葬儀の時間は、彼を含めたメンバーでの撮影の予定が入っている。
「そうか。そうか」
 冠婚葬祭において、葬儀だけが、いつ訪れるかわからない。間に合うも間に合わないも、見送るときばかりは、心の準備をさせてくれない。
 まだ身の回りでそれを経験したことのない自分は、その人の後ろ姿に、出会う前、小さな彼の姿を重ねた。

 それを知ってからの監督の判断は早かった。撮影の順番を大幅に変え、その俳優の方のシーンを先にまとめて撮り、次いで未成年の出演者の携わるシーンを、最後に残りのシーンをまとめて撮る方向へ変わった。
「もうこのまま残りのところもやっちゃおっか!」
 不在の出演者に声掛けをすれば、今日明日に必要なシーンの人材も運よくそろうとのことで、こりゃいい!と決まりだ、と。
「そうすりゃ俺も明日まるっと休みになんのよー」
 と軽いノリで言うが、誰もそれを非難はしなかった。それはその俳優への配慮もあってだから。

 明日はゆっくりお見送りを、と出演者に送り出されるその人は、深々と頭を下げる。
「こんなにしてもらって、俺まで一緒に行っちまいそうだ」
「そりゃ困ります。ちゃんと手え振ってさよならして。明日の夜には帰ってきてくださいね。あ。土産とかもいらないんで」
 監督から行った行ったと押し出されるまで、何度もありがとうと、涙ぐみながら言葉をかけていた。最後を見届けることのできる安堵が、表情に現れている。その表情を見て、姿知らぬ故人の笑顔が思い浮かんだ。なにより、長年この業界で生き続けたその俳優の、堅実に培ってきた人徳にもよるのだ。

 急遽の事で出演者にはと弁当が夕食として配布された。スタッフが気を遣ってくれ、弁当を買い出しに行ってくれたが、この時間だからコンビニの梯子で、内容もばらばらだった。若手の自分は年長者に先を譲り、残ったのはカロリーのそこそこありそうな揚げ物の詰まった弁当だった。今は無性に、それも生きる糧だと感じた。すぐには食べきれないだろうが、有り難くいただこうと手を合わせた時、
「あ。一ノ瀬さんがお弁当食べてる。葉っ……野菜しか食べないって君のとこの事務所の、一十木くん、彼が言っていたから。……サラダも買ってきたけど食べる?」
「……それは、いらぬご心配をおかけしました。他の方々は?もし誰もいらっしゃらなければ助かります」
 どこからでもひょっこり現れてくるのだから気が気ではない。このスタッフと音也がどういった関わりなのかは気になるが、こんな形で助け舟を出されるとは思わなかった。
「スイーツの方が好評だったみたいで…….よければ貰ってやって」
 結局、サラダと揚げ物弁当が手元にやってきた。

 もうひとふん張りだぞーと、監督の声が響く。当初の時間はかなり過ぎているが、事をなしえた達成感がこの場を一つにまとめている。この世で誰かが一人旅立った後だと言うのに、どこか心地よさすら感じる時間だった。

 予定外の出来事ではあったが、現場はかえって緊張感が漂い、シーンと合間っての一発撮りで通ったのだ。
 朝から入り、夜の10時半。長時間にわたる撮影だった。
 それでも最後まで残った面々からはタイミングが良かったね、監督やスタッフの切り替えの早さだよと、みな、今頃は通夜に向かっているであろう俳優への安堵と、予定外のオフの時間をどう過ごすか、話題が花咲く。
 私も、明日は夕方からST☆RISHでグループ出演する番組撮影だけだ。半日以上の時間をどう有意義に過ごすかを考えていた。


 夜空を見上げ、寒さに身体が縮こまる。
 花冷えという言葉がある季節だ。
 ここ数日暖かかったのに今日はぐんと気温が下がる。
 この時期、服の着合わせは人々の悩みだ。春物のコート下ろしたのに寒すぎて着られない。
 日中暖かいからって薄着できたら死にそう。昨日まであんなに寒かったのに何でこんなに今日は暑いのか。
 ニュースキャスターが夜は冷え込みますから、調整できる服装を。
 毎年のこととはいえ、予想はつかない。まるで誰かの様だ。

 今年の桜は三月末が満開で、もう一週間としないうちに薄紅は新緑へと変わっているだろう。植物たちからすればこの季節はどう思えるのだろうか。
 明後日からまた急に暖かくなるらしいと、この気難しい季節に彼は生まれた。
 そう。あと数日で音也の誕生日だ。