[Springreport]
■オールトの雲より


「住むのなら、線路越しに会いに行ける場所がいいな」
 芸能の世界へ本格的に足を踏み入れる第一歩として、とにもかくにもまずは住居の確保だ。学生寮、事務所の寮、マスターコースの寮、年々目まぐるしく引っ越し作業が伴ってはいたが、これからの仕事と生活を考える流れになり、彼はそういった。一緒に住むとまではまだ行かなくとも、付き合っているのだからてっきり住む場所も近くを選ぶと思っていたら、電車で15分。どういったわけだ?驚きと、少しばかりのショックを受けていた。


「会いに行きたいから」
 決まった住処に荷物の運び入れも終え、近くのカフェで一息つく。
 離れていると、会いに行きたくなる気持ちがぐっと強くなるんだ。学生の頃のこの男からはきっと出なかったであろう言葉。
「美味しいアイスを買ってもさ、すぐに届けにいけないし、だから二人で買いに行こうと思うだろ。あ、でも作りすぎたからちょっとお裾分け!ってのが出来ないのはな〜。ってトキヤ作りすぎることないか。俺の作ったもの食べてくれる?ありがとう。でもそんな距離がある訳じゃないから、自転車でビュンって届けに来るよ!タッパーに詰めて。え?食べに行くから呼べ?へへへ。トキヤも自転車乗れば?バイク?あ、車か〜うん。いつ来るのかな?って待ってくれてると思うと、早く会いたいなー!って思うわけ。それにね。会いに行くのも好きだし、待つのも好きだよ。いつか来てくれるってわかる人を待つのは」
 それとて都心区の中にあるのだから、遠距離なんてものではないが、気安く訪れるにはなにか足がないといけない。音也は一人暮らしと共に持ち始めた自転車が乗りたくて仕方がないようだ。
 会いに行くから、会いに来て。
「近くだったら、それはそれでいいこと沢山あるけど、離れていることでもいいことってあるんだよ。あれ言えるじゃん。言ってみたいんだ。『今日は帰りたくない気分。泊・め・て』って」
 上目遣いに何かを参考に模したのかは知らないが、文章に起こすと主張するであろう中点のノリは、自分たちを鍛え上げてくれた先輩の存在がちらつく。
「それを言われた日には真夜中だろうと、大雨の中だろうと、帰れという自信しかないですね」
「トキヤが言ってくれてもいいんだよ」
「そんな風に言わせてみてから言ってください」
「うん!……ん?」
「それはそうと。線路のこだわりは何なんですか。純粋な興味として」

「線路ってさ、俺の中の旅の代名詞なんだよ」
 施設にいたころ切符をかってカンちゃんたちと……施設で一緒に育った兄弟みたいな存在なんだけどね。カンちゃんたちとサッカーの試合を見に行った時、初めて電車に乗った。違う場所に連れていかれるんだって。俺は東京で生まれて、ここしかしらない。はじめて切符をかって電車に乗っていったのは埼玉だったけど、ワクワクすると同時に、怖かったんだ。もう戻れないかもしれない。でもここに置いていかれたら、俺はどこに戻ればいいの?って、カンちゃんの手をずっと握ってたんだ。だから、今も線路は、目に見えるのにね、電車は、どこかとここをつなぐ場所だと思ってる。乗る人の中にはさ、そのままどこかに行って、ここに帰ってくることのない人も、いるかもしれないじゃん。

 ヒマラヤの雪山にビッグフットと戦いにいった男のセリフとは思えない。県外どころか国外すら出ているのに、外の世界をつなぐのはこの連なる箱なのだ。
「トキヤはさ、福岡からこっちに来たときどう思った?生まれた場所を離れる時、心細くないの?」
「線路は魔物でしたね」
 東京へ越してきて、何より一番困ったのは駅の広さと、路線の多さだ。せんろはつづくよどこまでも。旅情とは裏腹、東京の路面図を見た途端選択肢の多さに、タコのようなモンスターだと思った。
「今は飼いならしていますけど、あの頃の私にも魔物と戦うのだと、思っていました」
「魔物って。なんだかそのトキヤ想像するとすっごくかわいい。いや、必死なんだよね?ごめんごめん。そういえば福岡の、どこだっけ?実家」
「博多駅には近くはありました(※)。空港からも距離はあまり遠くないですし。ただ、子供のころどこかへ遊びに出回ることもなく。小学校を卒業してからこの業界に入って、駅と空港と家。正直それくらいですよ。産まれの地について私が知っていることなんて」
「そっか」
 心細くはなかった、とは言えない。どんな家だったにせよ、離れてみて自分が違う場所に『帰る』という事への違和感を中々ぬぐうことができなかった。
「ああ。でも最近は地元の駅の装いも随分変わったみたいです。テレビで見ましたが、知らない場所になっていました」
「へぇ。いつか行ってみたいな。トキヤの故郷」
「……ええ、いつか」
 あなたと共に色々な景色を見たいですね。
「…あ!複雑って言うと俺の中学ん時の修学旅行大阪だったから、それも県外になるか!あれだよ。梅田ダンジョン!」
 ……雰囲気づくりという言葉はこの男にはないのか。

「そういう考えなら、一緒に暮らすのはそれに満足した後でしょうね」
「もう考えてくれてるの?」
「例えばの話です」
 果たして満足するのだろうか。先々のことを考えても前途多難だ。度々、なぜ自分はこの男のことが好きなのだろうかと哲学してしまう。好きに理由など要らないとも知らしめるのも、結局この男なのだ。
「自分の時間大切にしたいだろうから、一緒にいると俺、お前の時間、全部自分の物にたくなりそう。たまには一人になりたいでしょう?あ、でも完全に忘れちゃやだよ?寮生活の時は期限があって、今からはそれがない。それに今からどんどん忙しくなるんだからさ!お互いすれ違うことか、家に帰らないことが多いかもしれないけど……」
 一緒に暮らすのに、一人の家。
「ならばお互いどちらかが音をあげるまでそうしてみましょうか」
「頑張ってみるよ!」
「……頑張るという事は、一日でも長く私と離れていたいと?なるほど」
「え!ちがっ!トキヤはそうやってちょいちょい揚げ足とるなぁ」
「私は勝つ自信しかありませんね。早く根負けしてください」
「そういわれると、意地でもトキヤから言わせたくなるじゃん」
 変なところで意地を張り合う。くすくすと肩を揺らして笑っていたのに。
「ただいまとお帰りが、一つのところに集まったらいいな」
 夢のように語ることに、彼の中では夢のままという。眉間にピクリとしわが寄ってしまったが、何とか受け流す。無垢な残酷さを感じた。いや、この男の踏み込めない場所と、それに踏むこむための自分の勇気が足りないのだ。いつもどこか目の前の私ではなく、遠くにいる存在に祈っているようで。軽々と飛び越えてきたこの男の、本当の気持ちの形が、実はまだ見えてはいないのだ。まるで何かが流れてくるのを待っている、ゆるい川が二人の間に流れているようだ。





(※)どこもかしこも捏造ですが、博多周辺設定にしてます。音也の修学旅行先も本編にはそんな話ありません。駅も、阪急などが入る前の駅など、時系列も捏造捏造。
音也と電車のイメージは、ゲームの初登場が電車の中だったので、そのイメージと、趣味です。