[Springreport]
■リポート、そして。


 桜が散れば次の季節への準備。
 4月生まれの音也だが、彼の似合う季節として、夏をあげる人は多い。
 明るく元気に笑顔で爽やか。
 それに、彼にはもっと人となりを想像させる夏の花がある。
 ひまわり。その存在のように、照らすような太陽になりたくて。
 今年も彼は一足早く世間にその花を咲かせるのであろう。アイドルとしての名が知れ渡るにつれて、その花との結びつきがより広がる。彼の誕生日を祝うSNSでも、毎年様々な形でその花が添えられるようになってきた。


 毎年サプライズというわけにはいかず、特に今年は事務所のメンバーと祝うことになっていて、本人にも伝えてある。

 なにせ彼が成人する年。
 翔や七海さん、渋谷さんも今年が成人というだけあって、来年の初めには事務所からの成人式の写真も載るだろう。

 誕生日の「ちょー楽しみ!」は社交辞令でもなく、毎度目のなかに星をちりばめながら輝かせるいくつになってもかわらない。
 次の日は一日オフをもらって、音也と2人で出かける予定もある。
 もちろんプレゼントも用意してあるが、ここのところ二人きりでゆっくりと過ごす時間があまりなくて、ここぞとばかりに申し出た。それゆえここ最近のスケジュールは詰め気味ではあるが、11日を思うと没頭して過ぎ去ってくれるから助かる。

 タクシーは高架下を潜り抜ける。
 頭上を通り過ぎる夜の電車の光と音。
『線路を越えた場所がいい』
 高架工事が進み、遮断機にさえぎられることが少なくなった。
 一昔前のドラマではかねがね遮断機の情緒も組み込まれたりもするが、土地の構造の変化と、シチュエーションは年々上書きされるものだ。切符はICカードとなり、券売機の一番高い切符を意識する機会も少ない。

 あの俳優さんは故人に会えただろうか。その人に会いに、この線の上を辿りながら向かったのだろうか。
 夕方に見送った背中も、ずいぶん前のことのように思う。

 音也はこれを、外の世界につながる存在だといった。それは、たとえ遠くの場所でも、私と音也の住む場所の間でも。そうやって、外に世界があることを確かめている。
 ああ、それに。
 電車の振動は、母親の胎内から聞く音と似ていると言われている。もしかしたら、何処かに、まだ姿を探しているのかもしれない。


 ほら。また音也の事を考えている。
 いや。これは正しい表現ではない。
 ともすれば音也のことを考えることが当たり前で、考えているという感覚も薄れる時がある。
『たまには忘れたいでしょ?』
 呪いのような言葉だ。
 忘れるくらいもっと当たり前にならないと。
 中途半端な距離はかえって毒であると、まるで術中にはまったのではと思えてくるのだ。

 スマートフォンをみれば、おととい連絡を取り合ったきり、彼からの新しい通知はない。頻繁にどうでもいい連絡をよこすが、この時期だから多くを聞いては来ない。私自身の撮影スケジュールも知っているからだろう。以前のやり取りは、星の王子さまのヒツジをみて、私の絵を思い出したとのことだ。なかなかな褒め言葉だ。
 二人が付き合い始めて一年目にお祝いをしたら、盛大に戸惑われた。誕生日があるだけで十分だよ。お前記念日増やすとことごとく祝いそうだから。誕生日だけで充分。それにそれなら出会ってからの日を数えてほしい。一緒にいる時間を、一日でも長く。

 少し睨みつけ連絡がこないかなどと祈ったが、そう都合よくいかず。タクシーの運転手に行先変更を告げる。
 手はラインを開き
『今家にいますか?』
 と打ち込む。すぐに既読はついた。
『いるよ!』
『どうしたの?』
 とりわけ理由を考えずに送った自分にも驚きだが、理由を考えるよりそのままの気持ちを述べた。
『なんとなくです。今から行ってもいいですか?』
『いいよ!おいで!』
 スタンプもなにもない返事なのに、端末の向こうの表情は多分思い描いているとおりだろう。
 言葉に音がつく。
 ふふっと笑いが込み上げてきたのだが、さすがに恥ずかしくなった。
『もう駅にいます。すぐ着きますが、何かいるものはありますか?』
 そういえば、晩御飯は食べたのだろうか。この時間だからもう終わっているか。
『大丈夫。今日外寒いからね、はやくおいでよ』
 おいでおいでと、時折年下の子供のように扱われるが、今日はどうにもその言葉が心地よい。
『では遠慮なく』
 手土産がないのは、少しばかり申し訳ないが、何分急な思い付きであり、言葉に甘えたい気持ちだ。

 頬を暖かいてが包み込み、
「おかえり。わ、ほっぺたつめた」
「……ただいま」
 ほっとした。五臓六腑に声が染み渡る音也の声。
 数少ない二人の決め事の内、ひとつはいらっしゃいお邪魔しますではなく、ただいまとおかえりで、行ってきますといってらっしゃい。
 あいさつをしたいといことだ。どちらの家に出入りしようと。
 踏み込んだ室内は暖かい。
「今帰りなの?」
「ええ。先ほど撮影が終わったので」
「わー…かなり押したんだね。お疲れ様。トキヤは晩御飯食べた?」
「現場で急遽お弁当をいただいたので。そちらで」
「そっか。俺も今から晩御飯。今日はなんと、じゃがいもごろごろの……シチューだよ!」
「おや、浮気ですか?」
「え」
「……いえ、あなたにしては珍しい。その具材ならカレーにしそうなのに」
「シチューだって好きだよ!こ、この前番組でやっててさ」
 妙な間が出来てこれが失言だと理解した。
「ああいえ、あなたがシチューを作るは初めて聞いたので。すみません」
「寒い時ってさ、シチューってイメージあるよね」
 すぐに気を取り直して、話し始めたことにほっとした。
 カレーとほぼ同じ工程で、作られるものなのに専門店がないよねって、って番組で言っててさ。そういえば俺もどうしてなんだろ〜って思ったらつい。やっぱりカレー好きだからカレー!って思ってたけど、そういえば牛乳あったなって思いだしたらもうこれはいくしかないって。
「あ!お湯沸かすの忘れてたっごめん!コーヒーちょっと待ってね」
「ありがとうございます。自分で淹れるので、あなたはゆっくり晩御飯を食べてください。日付が変わってしまいます」
「そ?トキヤの好きなメーカーのドリップ、引き出しにあるよ」
「ありがとうございます」
「そして俺にカフェオレ入れてちょうだい、マスター」
 はいはい。
 音也の方も、何かあったのだろう。この時間に夕食とは。
 鼻歌交じりの食事が始まった。
 キッチンの暖かさにほっとする。
 生活のぬくもりを感じる。
 存外、音也は何でもかんでも包丁一本で料理をする。本人はあまり得意ではないといい、手の込んだことはしないが、特別料理が壊滅的なわけではない。何度も口にしたことはある。学園時代も備え付けのキッチンで料理をする姿を見かけた。それを口にしたことはないが。人の作った食事をおいしそうに横取りする姿を思いだす。何故そんな人間に、今この感情を抱くようになったのか。人生とは奇なるものだ。
 目の前で大口でシチューをほおばる音也に、当時から変わらない食べっぷりを重ねる。
 その姿を眺めながら、いつもよりゆっくりとコーヒーを口にする。
 さて。こういう時に何と言えばいいのだろう。


 明日は夕方までオフになりました、と奇をてらうことなく、伝えれば良いのだが。このまま泊っていくのもやぶさかではないが。何の考えもなくここに来て、そういう口実切り出しのレパートリーが私にはまだ少ないことを体感する。
 もちろん、撮影が前倒しになったのもあるのだが、彼らのことを口実にするのはすこし憚られた。
『近くだったら、それはそれでいいこと沢山あるけど、離れていることでもいいことってあるんだよ。あれ言えるじゃん。『今日は帰りたくない気分。泊・め・て』って』
 いつぞやのやり取りがよぎった。実際のところ、この構文は使われたことはない。音也の方は遠慮なく私の家に泊まっていくし、仕事の兼ね合いでお互いの家に泊まることは何度でもあった。もちろん、そういうこと前提で泊ることだって。なんにせよ、口実はそれなのだからまったくもって問題ないのだが。問題は自分のプライドだけで。ついにあの構文を使う時が来てしまったのか。これは役者にならねばならぬ。オフ状態でスイッチなど入れたくないが、すぅっと息を呑む。
「あ!」
「はい?」
「今何時?俺見たい番組あったんだ。トキヤも一緒に見ようよ〜前、俺が気になるって言ってたアーティストさんがでるやつなんだ。ってかもう今日は泊っていきなよこんな時間だし。……明日は、朝から?」
「……いえ、その撮影が今日のうちに終わったので明日は夕方までオフです」
 そう告げると目が燦々と輝いた。
「俺も!じゃあそうしよう!」
 それから〜、とこちらの意向を聞かずどんどん突き進む展開。内心、かなりほっとしている。いやいやこれはまた後攻だ。頭のなかで時折出てくるスコアボードに点数が加算された。いつぞやの歌番を一緒に見たいだとか、福岡のグルメ番組だとか、新しくできたテーマパークの特番がだとか、止まらないアレコレに、止まったスプーンの先を見やる。
「シチュー、ひとくち頂いても良いですか?」
「ん?いいよ!ならジャガイモとニンジンも、大きくないからいいだろ?はい、あーん」
「……」
 問答無用でのせられた具材の向こうに目尻を細めてほほ笑む顔が映る。口を開けばそっと傾け流し込まれる。こういうことすらやれる相手になったのだなと頭の片隅に冷静な自分が遠くから微笑んだ。
「どう?」
 野菜の甘味と、クリームのまろやかさ。それでいて、少し水が多かったのだろう薄目のシチュー。落ち着く味だ。


 風呂から上がると、リビングはもぬけの殻。寝室へ向かうと、ベッドの上に布団をかぶらず横たわる音也がいた。
 先程までのが動ならば急にスイッチが入ったように静になるのも特徴。
「風邪をひきますよ。今日は特に冷えますから」
「おかえり」
「ただいま」
 風呂から上がってもおかえりとただいまなのはよくわからないが、音也のいる場所がただいまの基準なのだろう。
「寄ってください。入れません」
「トキヤが壁の方にいきなよー」
 おいでおいで、と壁際の方へ誘う身体を、押し込む。
「私の方が目覚めも早いので。今日のお礼に朝食は私がしますよ。さあそっちこそ眠たいのでしょう?腕枕をして子守唄を歌って差し上げますから、ゆっくり眠りについてください」
「あっは、それもいいかも」
「やりませんよ」
「えー、やってよ」
 ふふふと笑いながら音也は体を転がす。寝転がっていた部分は暖かく、抜き取ると音也にかぶせ、自分も布団の隙間に身体を滑り込ませる。
「どうせすぐに寝るでしょう?」
 ころんと向き合うように体勢を変えてきた。
 目にかかる前髪を指で払い、額、目尻、唇へと口づけを落とすと、くすぐったそうにしながらもとろんとした目つきで受け取る。
「まだだいじょうぶだよ」
 何が大丈夫ですか。声にまどろみがにじむ。それでもぽつぽつと音を紡ぐ。
「きょう、来てくれてうれしかった。トキヤは俺の心の声、きこえた?」
「知りませんよ。ただ何となく、です。本当に」
「そっか」
 それはこちらのセリフだと思ったが、音也も同じだった。聞こえたのか?いやまさか。聞こえれば楽だと思うくらいだ。ごそごそと腕の中にまるまる体は暖かい。
「トキヤ来る前まで、キッチンが悲惨でさ、洗い物がたくさんたまってたんだよ」
「……疲れていたのですか?」
「なんとなく。最近コンビニ弁当ばっかりだったし。や。新商品続出でってのもあって気になっちゃって!」
 あぁ、分かってしまう。その言葉が100%真実ではないことが。私は耳がいいのですよ。あなたの声に関しては特に。これは直感だ。もちろん、この声を誰より意識して聞き続けた、私の経験による直感だ。
「洗って捨てるだけなんだけどね。このままじゃトキヤが来たときなんですかだらしない!って怒られそうだなって、思って。片付けたんだ」
「シチューもね、買えばいいかなっておもったけど、ルーの方かってさ。カレー作ろうと思った具材はあったし。またカレーですか、たまには他の物にもって声も聞こえてくる…………トキヤが来たときに、来たときにって考えながらすると、ちゃんとしようって思えるんだよ。……そしたら本当に連絡来て。……神様って、なっちゃった」
「まるで抜き打ち調査みたいな扱いですね」
「突撃となりの晩御飯って言ってよ」
「それでコンビニ弁当なら取れ高は工夫しないと」
「へへ。いいじゃん。……今のおすすめの弁当はって……さ」
「…………明日もいます。もう寝なさい」
「うん……」

「今日は、ただいまって聞けて……」
 いよいよ言葉の間隔が広がる。腕の中の暖かさに、こちらも緩く意識が遠のいてきた。
「ありがとう……」
 ただいまにありがとうなのか。それは帰ってきたことにだろうか。帰る場所にえばれたことにだろうか。そういって数拍ののちに聞こえた寝息。
 そうですね。私もそうだ。
 いつもは飲まない甘いカフェオレもストックしてある。音也が来た時でないと食べないカレー用の調味料もある。同じですね。
 いつきてもいいようにと願いながら過ごすくらいなら、いっそ。
 転がっても落ちない大きめのベッド。男二人が寝転がってことたりるが、壁際へ押し込み抱きしめる。



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シチューは友人に見せて頂いた関J…8さんの番組を拝見して参考にさせていただきました。
トキヤがマスターっていわれるのは2014年2月20日のプリツイより。