天井に映し出された二人の兄弟。ライル・ディランディは人工の夜空を見上げた。20光年を意ともせず寄り添う双子の姿、「いつまでも一緒に」が叶った姿。神話の世界は残酷だ。あまりにも残酷で眩暈がする。
「―――は『星座の王』と呼ばれています。……さて、次に紹介するのはこの寄り添うように並ぶ二つの星、カストルとポルックスの兄弟、双子座のお話です」
クラウス・グラードは天井に映し出された冬の星座をじっと見つめていた。先のオリオンが姿を消し、一球式のインフィニウムが次の物語への準備を始める。解説員の声と共に輝く星々を結ぶ光の線と浮かび上がり、神話の兄弟が映し出された。
クラウスのように熱心に耳を傾けるものもいれば、既に前の席に座る男性からは健やかな寝息が聞こえてくる。平日の最終投影ともなると会社帰りのサラリーマンや、夜勤前に時間を潰しに来た者が人工の夜、心地よい音楽、穏やかな解説員の声、そして終われば起こしてもらえるという安心のもと、45分という時間の中で体を休める為に来る者も多い。現に開場前に並ぶ僅かな列の中にカップルは一組ばかりしか居なかった。
「白い光の方がアルファ星のカストル。お兄さんです。そしてオレンジ色の光を放つベータ星は弟のポルックス――」
星々。神話の世界。古代人の想像力の豊かさにクラウスは感嘆の息を漏らす。彼等は光と光を結び合わせその星の物語を語り合ったのだろう。
「二人は王妃レダが産んだ卵からかえりました。カストルはスパルタ王の血を受けましたが、弟のポルックスは大神ゼウスの血を受けたため不死身でした」
しかし、今は違う。光と光の間に広がる真空にも人間の手は及んでいる。
「兄弟は仲良く成長し、カストルは戦術に優れ、ポルックスは格闘技の達人になりました。双子はともに様々な冒険に駈り出ます」
そこにあるのは神話ではない。此処には映し出されていないが、星々の間には人工衛星の光が点在する。今まさにこの映し出された宙には何千何万の人間が行き交っているのだろう。中には天上人の名を語った存在も居たが、今となっては彼らを過去形で語らなければならない。
一度瞼を閉じ思い描く。
光は作り出すものではなく降り注ぐものと信じた時代に、夜空を指差し自分は何を語るのか。神話が存在したその時に生きる自分の姿を。クラウスはこの人工の夜空の中で、この時代に生まれたことを少しばかり呪った。
その時。隣の席からクラウスの手を握る存在。別に驚くことはなかったが、困惑はした。
横にいたのは同じカタロンの構成員として活動している同士、ライル・ディランディ。入館前に「寝ててもいいか?」と聞いて来た彼の事だからてっきり宣言通り眠っているものだと思っていたのだが。
先ずは手首に、その後掌を探すように線をたどる指先に擽ったさを覚えた。
「しかしある時、仲間の裏切りによりカストルは命を落としました」
掌にたどり着く僅か手前ビクリと跳ねた。そこで硬直したライルにクラウス自ら手をからめ「どうしたんだ?」と聞けない代わりに指先に力をこめる。今解説員が何か言っていたきがするが、ライルに気を取られ聞き逃していた。
弱く握り返してくる掌。
「後に残ったのは不死身のポルックス。彼は死ぬにも死ねない己の身を嘆き悲しみ、不死身をとくよう、ふたりでいつまでも一緒にいられるようゼウスに願い出ました」
こうされることは些か困る。何せクラウス・グラードという人間がライル・ディランディに向けている感情が触れ合った部分から否応なしに伝わってしまいそうな気がして仕方がないからだ。しかし意思と身体のリンクがおかしいのか、指先は僅かに触れる面積を離すまいとガチガチに固まってしまった。二人は掌を合わせるようにして握り合う。さしずめ恋人繋ぎだな、と考えては見たものの、ライルの指先から感じる言い表せない不安感のような質量はクラウスに向けられたものではない。人工とはいえ星の光ばかり見続けた目では暗闇の中にいる相手の顔をぼんやりとしか伺うことが出来ない。ライルは天空を見つめたまま、長い前髪がその表情を隠すように遮っていた。
「ゼウスはその願を叶えたのです。こうして兄弟は半年を天上で過ごし、あとの半年は地下の国で暮らすようになったのです。これは、双子座が冬から春にかけて宵の空で見られ、あとの半年は見えないことから考えられた物語でした」
ああ、双子の話は終わったのか。天井に描かれた双子は次の冒険について話し合っているように見える。兄弟がいない自分だが、相手を失う悲しみは理解できるつもりだった。仮に、今この手が繋ぎ止めている存在を失ったりしたら……そこで考えを止めた。昨今の世界、自分達のしている行い。ゼウスに言葉は届かない。
「しかし皆さん。この二つの星、寄り添っているように見えますが実は、二人の間には20光年の距離があるのです。アルファ星のカストルの方が遠く、ふたごでもお兄さんの方が控え目で、うしろに離れて見守っているのですね」
「…っ、は」
「ライル?」
今度ばかりは口から言葉が出てしまった。相変わらず前髪で表情こそ見えないものの、確かにライル・ディランディは空に向けて一笑した。それは何かを払うように、それでいて何かに縋りたがっている、そんな笑い方だった。薄れ行く二児の姿に彼は何を見たのか。もう一度天井を見上げると二人の姿は完全に消えはしていたものの、白いアルファとオレンジのベータだけは寄り添うように光っている。
それからしばらくして横から聞こえ始めた健やかな寝息。初志貫徹。宣言通り。クラウス・グラードはいつの間にか掌から失くなっていた熱に残念さと安心とが混ざり合った苦笑を零した。
のこり20分。
09,11,15
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参考図書
「プ/ラネ/タリウムのふたご」(い.しい.しんじ)
「N/ewto/n別冊 改訂版星座物語」