桜の時期待機。

オー・ヘンリ『最後のひと葉』という物語の在り方は、私の中のガイとルークなんです。ジョンジーのルークとスー、ベアマン兼ねたガイ。
それを描きたいのだけどイマイチしっくりくる形にたどり着けない。
グッナイゴルディロックスもまだ行き着いてないのにな( ´ q `

どうして死ぬことばかりを考えるんだっていう苛立ち、結局自分ではどうもしてやれない詮無さ。

「石にしがみついてでも、生きることを考えろ」
ガイのこの台詞好きです。
ルークについて色々考えるのですが、多分、ガイの考え方が一番身に馴染みます。ゲーム中も卑屈、というか諦めみたいなのを感じているところに「てめぇ、ばっかやろう!」と思うんですけど、その残りをどう生きるかを考えあぐねる姿も好きだから、ああ、多分ガイもこんな気持ちかな、と勝手に思ってました。
ルークって、キービジュアルで燃えるような赤髪で、ちゃらそうな服装と生命感あふれるポイント高いのに、何でこんなに儚い末路になるんだ、って思わせてきますよね。今アビメ再放送ですから、新しく見始めてくれる人いてくれー、そして思ってくれーって念じてます。
焔という消し消える存在を念頭に置いた色設定、憎いが拍手するしかない。

そんなわけで、ルークに対して、「消える」と「散る」のイメージが定着し過ぎてますわ。それでも最終的に消えるまでがあの子のあの子だけの物語だと思ってます。
今ではアビス二次創作で、ED後のなんやかんやで生きて戻って来れたルークとアッシュ系の話見れなくなったんですよね。見れるとしたらそれこそ「屍者の帝国」になります。やりはじめの頃はドタバタ系見れましたが、基本原作の流れ重視なのでEDまでの間を考えるのが哲学タイムなので、ED以降はバトンタッチ。
EDのアッシュとガイも一筋縄いかない人間関係生まれるのでもう、辛い。どちらとも辛い。でも楽しい。屋敷にいた時とも鮮血のアッシュとも違う、3度とも立場の違う関係から友となりたい思いで近づく二人がいるので、ここでもときめきがうまれる。
一度公式が殺した存在を、別の物語に書き換えて命を宿す、って想像力が無いって話なんですけどねー。まあ存外合間を埋めるのは楽しいからいいんですが。

さて。久しぶりに冒頭原著を読んで不覚にも泣きそうになりました。
ガイはベアマンさんのようにはなれないけれど、それでもガイは生きてるから、それは尊いのよ。