4月11日
お誕生日おめでとう!

ツイッターでたくさんのお誕生日絵を拝見しておりました。
追いきれないくらい沢山あったなかで矢張思うのは、春に向日葵をみる不思議さです。いや、不思議というより、夏生まれだから向日葵ではなく、音也の生い立ちなどを踏まえての存在なのが凄い。だからこの季節に向日葵を持った絵をみることが違和感無いのが不思議なんです。ジャンル外の人が見たらどんな感想を抱くのかな〜と聞いてみたいな、って思います。

花がこれだけ存在の象徴になるひとを他に知らない。カレーやから揚げ、肉や甘味など、特定に持つイメージはそれぞれありますが、名前や生まれた季節に関係ない、物語を知ったからこそ持つものが「花」という存在なのが、何度考えても美しいと思えます。

いや、とりわけ感情を向けているキャラクターだからのフィルターもあるんですけど、年々「美しい」に進化する子です。やんちゃ無鉄砲元気かわいい、から男の子が青年になり男性になる。その過程をじっくり10年かけて見せて貰ってるのって……凄く贅沢なことです。
二次の存在として動くのならばある程度過程を端折ることもできるじゃないですか。ある時点と時点のギャップがかなりあったとしても、その間を埋めるエピソードを後に加えるだけである程度説明が可能だし、それで人間の脳は勝手に時間軸をならして成長過程繋げて一本線にすることができます。

でもそれをしないのがここのジャンル。ある程度過去の事は既存情報だけにして、あとは未来への情報を増やす。だからキャラクターから「あの時は」と語られることに良い意味でゾクッとしてます。でも本人が全てを出しきっているわけではないから時おり不意の情報、今のキャラクターの内心だからこそ口に出せた思い、などがあって、暴いて出てくるのではなく、口に出せるくらい今の自分が過去を受け止めたから出てきた言葉にまた見解を開かされたりする。

『愛と呼べる木の下で』の時にはじめて知った「顔を洗う鏡の前が怖かった」こと、「先生にちゃんとただいまは言いなさい」と言われていたこと。ブックレットの本人コメントで「今だから言った」と出たとき、受け取り手として衝撃を受けたと同時に「あぁ」と納得した。パイフロの時に一人で泣いた姿を見てきたから、矢張どこかまだ語らない深層が沢山ある人で、それがいつかの未来に開いても良いと思えるときまで待とう……そう思う。そのためのこちらの人と同じように時間が必要なところ、一緒に成長する感覚も伴い、共に歩み続ける存在としての呼吸がわかるところ、少しずつ知るからこそ永く見続けたいと思う。



改めて11日は「太陽のような笑顔」それがキャラクター自身が貫きたい姿であり、それがまっすぐぶれることなく届いている様に感動してました。
2020年もおめでとう音也。
今の難しい状況のなかであなたの笑顔か溢れたことがとても救いです。