[観察日記]
■ひろくん。


もちろん施設にはたくさん家族がいた。
かあさんだけじゃないんだ。ご飯を一緒に食べる人は。
でもそれ、家族っていうより、学校だろ。
そういわれて、そうかもしれないって思っていた。小学校や中学校で暮らしているのとどこか似ていて、今にして思えば、一番近いのは寮生活なのかもしれない。
それって、でも、寮が寮だってわかるのって、寮じゃないところで暮らしていたからなんだ。
俺も、本当は知っていた。でもこれは俺の家族。家。みんなもそう思っている。そう思うようにしている。
毎年誰かがいなくなって、新しい子が入ってくる家族。おとうさん おかあさん おじいいちゃんおばあちゃんは いないけど。兄弟が沢山いる、家族。おかあさん おとうさんってそう誰かを呼ぶことって、長らくなかったな。

アイドルになってビッグになる!って言ったとき。ドラマの役者さんもやるの?ってチビたちに聞かれて、その時はよく考えていなかった。アイドルって歌うだけじゃないのは知ってるけど。ドラマは皆と一緒によく見てたし。そこに描かれている家族を知っていれば充分だって。ちゃぶ台をかこんで、同じテレビをみて、一緒に晩御飯を食べて、おかえり、ただいま、いってらっしゃい、いってきます。そんなの俺たちだって言ってる。

初めて「おとうさん」と呼んだのはドラマではなく、役名もない、怪獣映画で逃げ惑う民衆のエキストラ。
準所属として言い渡されたのは『ファンを1万人にして、ライブ会場を満員にする事』だった。だからまずは知ってもらわなきゃ!貰える仕事はひたすら受けた。

崩れる予定の駅から逃げ惑う民衆。
一緒になった俳優さんは親子といっていいほど年が違って、お父さんがいたらこれくらいの年齢なのだろうかと、息子は君くらいになってただろうね、って話になって。あまり多くを聞いてこないその距離感が心地よかったし、そういわれたのがくすぐったくて。一度だけ試しにおとうさんって、呼ばせてもらった。口をそう動かすことに慣れてなくて、変な感じだねって笑い合って、その後ちゃんと「今度ライブやるので、よければ見に来てください」って宣伝した。

撮影本番。逃げ惑いひしめく数百人の中、それでも誰もがカメラを意識して何かを演じ合う。俺は怪獣がいる、だろう場所を何度か振り返りながらもうまく言葉が出てこなくて、あの俳優さんの姿を無意識に追う。周りの必死さに焦るばかりだった。
視界からあの人が消えた。足がもつれこけてしまった。こんな混乱のシーンだ。ひとりふたりこけた人がいる方が臨場感があるかもしれない。今にして思えばそうだけど、ただ単純にその人はそのままだと逃げ切れない人だと、思ってしまった。巻き込まれて、死んでしまう人。ついさっき、ほんの一瞬だけ生まれた親子。せっかく俺を息子と呼んでくれた優しい人。

「おとうさんっ!」
引き上げるように手を伸ばした。その人も目を丸くして、それでいて手を伸ばしてくれた。
「ヒロッ」
そういって手を取って足をかばう父を支えながら逃げるほんの一瞬の。ストーリーはない。2人だけのドラマ。もちろんオンエアではかろうじてこけた姿こそ使われたものの、画面の端で、俺は一、二秒くらい。駆け寄った足元と、その役者さんを支えようとする腕を回すその一瞬だけ。悲鳴にかき消され、その言葉が残ることはなかった。だけど、そのときそこに、一組の親子がいたんだ。