「紅郎ちん、今日はずっと携帯気にしてるな。何かあったのか?」
「おう。仁兎。いや、ちょっとな…色々とな…」
どれくらい呆けていたのか。手の内に収まる携帯の真っ黒になった画面をぼんやりと眺めていたようだ。辺りを見渡せば放課後のHRも終わり、教室は自分と仁兎だけになっていた。
面倒事、といえばかなりの面倒事ではあるが、そう言ってしまえば事の当の本人が落ち込む姿が目に浮かぶ。
「言いづらい事は無理には聞かないけど」
濁した物言いに常とは違うものを感じ取ったのか、仁兎も深くは追求をして来なかった。
「もしも悩んで一人じゃどうしようもないときは俺が相談に乗るぞ。それで解決できるかはわかんないけど…言わないよりはマシになるかもしれないだろ。どんと頼ってくれ!何たって紅郎ちんよりにーちゃんだからなっ」
ニシシと犬歯を見せながら笑う。
仁兎は一ヶ月前に誕生日を迎えた。鬼龍の誕生日は年を越えてからだから、同輩といえど一年のうちで仁兎が年上と言い張れる時期は長い。
家では長男で、もちろん兄はいない。以前の荒くれていた頃には目上の人間を兄貴と慕ったことはあるが、こうやって穏やかな日常の中にも自分の兄たる存在がいるのか。
実際、色々抜けているところはあるが、仁兎は頼りがいのある男だ。Rabitsという自分の家を持ったからかもしれないが、元来このような兄貴分の素質は持ち合わせていたのだろう。
しっかり頼れと胸を叩く。いざとなった時に相談に乗れる存在があるだけでも幾分今の状況に気持ちのゆとりが生まれた。
「おう。そんときゃ宜しくな。頼りにしてるぜ兄貴」
兄という言葉が嬉しかったのか、「任せとけよ」と顔に似合わず男前な返事で鬼龍の眉間の皺をぐりぐりと一押しし、教室を去っていった。
「本当にな、何があったんだ?」
再び独りになった教室で事の顛末を振り返る。


『守沢千秋は鬼龍紅郎が見えなくなった』のだ。

昨日の昼の出来事だ。外傷もなく、目の異常でもない。打ち所が悪かったのかもしれないと念のため急ぎ診てもらったが、それでも特に異常はなかった。
その前の日までは普通に話していたのだ。なんせ近くに行われる流星隊のライブについての衣装を請け負う話を付けたばかりだ。
そして一夜経った今のところ原因も不明で一過性のものかも分からず解決の兆しも何もない。

鬼龍からしてみれば、守沢の姿も見える、声も聞こえる。なんら日常は変わらないのだ。
世界が変わってしまったのは守沢ただ一人である。彼の世界から鬼龍だけが消え失せたのだ。姿も見えず、声も聞こえないらしい。さっぱり意味が分からない。
(まあ、触ればいる事は分かるみてぇだが…)
逆に姿が見えないものに触れられるのだ。そりゃ驚かれる。どうにかして意思表示をした後に触れなければならない。声をかけても聞こえていないのだ。状況を知っている南雲がいるなら彼を通して伝えられるが。
『大将が腕を触るぞって言ってるッす。…ちょっとこれ恥ずかしいっすね』
だろうな。
四六時中南雲を通すわけにもいかず、どうしたものかと考えあぐね、現状は携帯のメールで意思表示をすることにした。
(横にいるのにメールでのやり取りってのがどうにも面倒くせぇ……せめてでも電話が出来たらいいんだが…声が聞こえないのはここでもみたいだしな)
日頃から頻繁にはメールをしない自分にとって、数分のやり取りだけでも辟易する。何時もは蓮見の旦那のメールに内容の是非の意を添えたメールを返すだけなのだが、今回は自分から文面を考えて発信することも増える。そこを気遣ってか、昼に守沢から午後の大まかな活動状況のメールが送られてきた。『何時くらいには何をしている、もしも尋ねてくる場合は連絡をくれ』と。その最後の文には『面倒ごとに巻き込んですまない』そう書き記されていた。
(お前ぇだけに原因があるって決まったわけじゃねぇんだから、謝んなよ…ってここで考えていても仕方がない。守沢のメールに書いてあった通りなら今からレッスン室でライブの練習だな。衣装の型あわせにでも行くか)
うっし!パンと顔を叩く。気合入れだ。

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閑話。
未だにスマホと書くのに抵抗があるので文面では携帯と書いてしまいます。