こんばんわ(・◇・)
寒い日が続いてますが、皆さんお元気ですか
私の周りではインフルエンザが流行ってきました
手洗い、ウガイはもちろん…マスク着用も考えてる今日この頃デス
さて、日付が変わり今日1月28日は、私の父の命日デス。
毎年この時期は大好きだった父を思い出しマス。
まだ生きてたら?なんて考えたり…
私のよき理解者だった父。
あの元気な父との別れがあるなんて、いつかは来るとは思ってたけど…まさかこんな早くに。
あの頃の私は千葉に住んでて、神奈川の父の居る病院までよく通ってマシタ。
個室になってからは、いつ行っても良いと、面会許可もあった為、急遽夜中に車飛ばして顔見に行って早朝帰宅したり。
1月はホント寒くて…
医者に年を越せるか?って言われてたから、年が明けてからはいつ急変してもおかしくなかった。
いつも気がきぢゃなくて…携帯が鳴るたびにビクッっとしてた。
あの頃の私の支えは、子供達と、皮肉にもA・B・C子だった。
年越せるか
と余命一ヶ月を宣告された時、B子は電話ごしで泣いてクレタ。
父が死んでしまい、通夜・葬儀の段取りに追われる私に、私の旧友に連絡してくれたのはA子だった。
C子は毎日電話きてて…心配してクレタ。
もう終わった奴らの事だけど、そんな背景もあった。
あれから5年経ったなんて…
早いな。
5年の歳月には色々な事があった。
たまに思うんだよね。
『あ〜
今お父さん見てるかなぁ〜って
』
馬鹿な娘を天国から心配してる気がする
まだまだ父の笑顔や声、好きな食べ物や癖や匂い…色んな事が私の頭の中に映像と共に残ってる。
会いたいなぁ。
高菜サンとお墓参りに行くって約束してたけど、結局行けずに終わってしまった。
まぁ、行かない事が親孝行だって事なのかも知れないケド。
あの頃車を飛ばしながら、よく聞いてたのが、あゆの【No way to say】デシタ。
歌詞の一部分デスガ…
少しずつ認め始めた
癒されぬ過去の存在と
拒めない未来にいくら
怯えても仕方ないと
あとどの位の勇気がもてたら私は
大事なものだけを
胸を張って大事と言えるだろう
今頃だけど、大切なモノが少しずつ見えてきた気がする。
やっと少しだけわかる(気づく)目や頭が出来てきたのカモ知れない…
お父さん…
どうしてる?
まさか…
まるくまサンと仲良くしてたり?(°д°;)
それ…
ウケるんですケド〜W
会えるもんなら
会いたいなぁ…
ユカ