ズワイガニのお寿司です。あま〜くてふわっ‥です。どうぞ召し上がれ
先日ガソリンスタンドで女性店員に体調を聞かれた。
店員:「元気ですか?」(さわやかな笑顔)
私:「あ‥んー、まあ‥あんまり元気じゃないっすネ」(ちょっと照れる)
店員:「は‥?あの‥現金ですか、カードですか」
私:「はうぁっ」(赤面)
………
大丈夫か私?
さて、題名の「三脈の秘法」とは、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、昔の方が旅とかで出かける際、身に迫る危険、災害を察知するために行った危機事前察知の方法です。
やり方は、まず左手で右手首の脈をとり、そのまま右手で両頸動脈をとり、三つの脈が合っていれば安全、どれかずれていれば危険が迫っているというものです。
なぜそんなことで危険が迫っているのがわかるのか。わかりませんそれは。でも、昔からそれはやられ、結果が出ているから秘法として伝わっているのだと思うんです。
昔は旅に出ることには非常な危険を伴ったもの。
その中で編み出された、というか発見された方法なのでしょう。
ネズミとかの動物は災害の発生を事前に予知し、避難などし回避することが知られています。
関係ないかも知れないけど、例えばカマキリはその年の積雪量を予知し、雪が降っても埋もれないちょうどいい高さの位置に卵を産みつけるという。
そのように人間も顕在意識では気づかなくなっているがそうした危険的なものを察知する能力があり、脈とかに出るのではないかと、それは理論では説明できないが「あり」、だから「秘法」という名で伝わっているのではないかと、そう思うのです。
この秘法の効能については以前、私が何の時だかは忘れてしまいましたがかなり小さい頃に確かに「役立った」と思ったことがあり、それ以来ことあるごとに行っています。
実際、これで飛行機事故から逃れることができたという方の話も聞いたことがあります。
だから私はこの秘法については信用を置いているのです。
で、今度の木曜日となると思いますが私、心臓の3時間停止を伴う手術を施される予定であり、心臓停止というのは一種の危機なので、これが三脈の秘法の結果に表れるのか行って、その効果を確かめてみたいと思っています。
但し、心臓停止するとはいえ結果として生命の糸が繋がって離れることがない場合効果として出ないかもしれませんし、効果として例え出たとしても私としては手術を迎えざるを得ないわけで、そのままさようならをした場合、そうなると皆さんに結果を報告できなくなります。
まず、結果は必ず報告します。
あと、手術中、見た夢、心停止している時かそれ以外の時になるかはわかりませんが、手術中見る夢はできるだけ記憶し、できればあの世の辺りの状況を遠くから見て、その結果をこのブログの場で報告したいと思っています。
皆さんのパワーをください。お願いします。
夕食後はスタバで過ごすことがたまにある。
それにしても、女性はキャラメル・マキアートが好きなようですね。さっきから店員の方が連呼復誦している。
さっき「ケニア」ベンティサイズをオーダーしたらなんとアイスだった。ケニアの場合この真冬にアイスがスタンダードとは! 驚き。
私が驚いたらホットに替えてくれた。グッドサービス。
で、私、わるくてしかたなく、あくまでしかたなく、心踊らせながら目の前にあった「カフェ・ベロナ・ビーン・チョコ」を購入させていただきました。550円。
チョコの中心にはモチ、ベロナブレンドのカリッ、サクッとしたほろ苦くも絶妙の軽さの珈琲豆が入っています。
いやーしかし。女性店員間の、ベテランと初心者間のピリピリした緊張感‥こわっ。
まあ、かつて同じ店員さんがカップ値引き忘れたり、ポットの周りに付いた水滴を拭かなかったり、基礎とかお客の立場に立った配慮を忘れている場合などもあり、厳しさのある従業員教育は必要とも思う。
カップ値引きについて、タクシーとか理髪では必ずといっていいほどチップ忘れない私、カップ値引き20円忘れた店員に「これ、値引きってなかったんでしたっけ?」と言っちゃいました。何の脈拍変動させることもなく。私も年とったな。高校生の頃はそんなこと恥ずかしくて決して言えなかったのに。
でも今回は同じ店員さん、先回もカップ値引き忘れており、本人のためにも言いました。人はこうして経験を積んでいくのですオッホン。
さて、話は変わります。
先日書店で、たしか勝間和代さん著だったと思いますが「あなたに起こることはすべて正しい」という本をチラッと立ち読みしました。1500円くらいだったと思います。そのとき私、片手を塞ぎたくなかったので買わなかったのですが、内容にはすごく共感しました。
内容は題名のとおりです。自分に起こることはすべて肯定して最大限の力を注ぐこと、それが結局あれこれ考え、やるべきことを悩んで、やらないで終わるよりも、はるかに自分を伸ばすのだ‥といったことが書いてあったと思います。
まさに私が、わかっていながら日々悶々と悩んでいる回答そのものです。一言でいえばまさに「私に起こっていることはすべて正しい」。確信して、いい意味で諦め切って対処していこう‥そう思った次第です。
あとで本は買います!!
私が飽きない食べ物のひとつ お刺身定食 です。いかがですか
想像してみてください。
あなたが1日中1枚のCDを繰り返し聞かせ続けられるとしたらどんなものを選びますか。
私はこの課題について4カ月以上考えてきました。
以前テレビを見ていたら、手術後意識が戻らなかった人の家族が、本人の好きだったCDを病床で毎日かけ続けたらある日、本人の意識が戻り、戻った本人が言うには「いつもそのCDの音楽は聞こえていた、元気づけられた」ということだったらしいのです。
で、そのことが頭に残っていた私、自分がいずれ手術後ICUに入り1枚のCDを数日延々と聞かせ続けられるとしたらどんなものがいいかと考えてきたわけです。
私はユーミンが大好きでCDは殆ど持っており各CD100回は聴いていると思うのですが、当初ユーミンの「ラブウォーズ」か「ザ・ゲート・オブ・ヘブン」にしようかと思ってました。ちなみに複数の医者に聞いたら「強いて言えばクラシックかな」と言ってました。
でも、ユーミンはすごくいいのですが、歌詞を延々聞かせ続けられるのはやはりどんなものでも飽きるだろうと思ったりしていたのです。そんなある日、私、間違って買ったCDがあったのです。それが「◆£※&◎■」です(皆さんの感性を阻害しないように伏せ字にします)
実はこのCD、最初聴いた時「しまった、なんだこれ」と思ったのです。でも、何度か聴いていたら好きになりました。買ったCDがハズレだったことは何度もありますが、今回のこんなことは初めてです。何回聴いても飽きない。不思議だ。なぜ飽きないのだろうか‥?
おそらくそれはビートの関係もあるのだと思います。あとやっぱり本人の築き上げてきた「快」の性質によるものなんでしょう。
ビートについては泣き止まない赤ちゃんに母親とかの心臓の音を聞かせると安心するのか泣き止むということがあるらしい。そのような種のことも関係しているのだと思います。もっとも今回のCDのビートは分120回ですけどね。
今回めぐり合ったCDは最初ピンと来なかったものなのですが私にとって凄くすばらしいものでした。
こうしたことって人についてもあるんでしょうね。ふつうに接している人でも、実はすごく味がある、見かけからは予想できないほどのすばらしい人がいるに違いないのだと思うのです。私はそうした人にめぐり会いたいものだなと思うのです。
あなたにとって「これはすばらしいCDだ」というのはなんでしょう。
さっき医者から手術をあさって16日にさせてくれないかと頼まれた。
1週間早められるのは困る。心の準備もあるし。
ふつう手術の数日前から断食とか点滴とかやって体を手術に合わせて迎えるもの。急にその日あいてしまったから頼むというのはどうか。それは病院の経営上の都合だろう。
私だって正月の体重増加の過少申告のつじつま合わせるのにあと1、2日かかるし。
おせわになっているみなさんに手術前のあいさつ記事も書いておきたいし。
だからだめと断ってみよう。
どうなるかなー
……と、さっきまで記事に書いて気持ちを整理しながら待っていたら「じゃあ来週にしましょう」ということになった。
とんだサプライズ。おかげであと1週間の心づもりが決まった。
そのことを看護師長ほか看護師に話したら口々に「それは変だ」「そんな、急にやりますという手術ではないよね」とか言ってくれた。同意というか賛同してもらえるのはうれしいものだ。
世の方々!。他人ならともかく、身内、恋人、友達がシュンとしてたらまずは同情ですよ。ここで反対のことを言ったら嫌われますからね。まずは肯定。で、相手が相当変な主張でない限りそっとしておくべきです。これは処世術でもある。どうしても意見があったら「こういう考え方もあるかも知れないけど、あなたが正しい」くらいに留めるべきです。私はそう思うな。
意見を戦わせる場合は別ですよ。念のため。
さて。私はかなりの間ダイエットをし続けパワーがありません。自業自得ですね。先日のエッチっぽい記事もご不快になられた方もいらっしゃるかも知れませんが、あれは私自身が笑うため渾身の気持ちで書きました。すみませんね。
さっき、最悪、歩かれなくなるリスクはあると医者が言っていたとおり危険な手術だと思っています。死にはしない手術です。それなら断りますから。
切る箇所は胸中心でなく、背中から肋骨に沿って切り、肺の方から入ります。胸部大動脈瘤を含み横隔膜までの大動脈を人工血管に置換するものです。いやだなあ。でも、切るのが胸中心でないのが救いです。
今週1週間は昨年申し込みしていながら体の関係で受験をあきらめた資格試験の問題集に集中し不安をそらします。もちろん他人様のブログは見させていただき元気をもらいたい。人生相談受け付けます(笑)これは大歓迎。
記事も何回か書きたい。
おやつ いかがですか
そろそろ準備を始めなくては。
毎晩深夜まで病室のブラインドの間から階下に広がる街並みの灯火を眺めていると、内省的になる。
こうした景色もスイッチ一つでオフなんだろうな‥とか思ったり。
実際そうなんだ。広がっている世界だって自分がなくなればおしまいなのだ。自分がいなくなればその後世界があり続けることだって自分では確認しようがないのだ。
仏教かなんかで三千世界とか言うけど、世界ってそんな感じで三千次元もあるのかも知れないな。人それぞれにあったりして。重ならず。確認しようがない。
世界があり続けるなんて確認しようがないのだ。
だから、今を大事に生きろとか、人生の主人公はあなただ、とか言われるんだろうな。
回りに配慮することはとても大事。ただ、自分をおろそかにしてはいちばんだめなのだ。
テレビを見ている人が画面を楽しまず撮影現場のことを考えていてはだめなのだ。
楽しませるためにつくられた映像を楽しまずテレビ機の仕組みを考えているのは無意味なのだ。
生きているうちに人生を使いきって楽しみきらなければだめなのだ。
来世があるから今はどうでもいいとか考えてはだめ。来世だってあると証明した人はいないのだ。
よく生きるための知恵、手段として楽しい来世があるから苦しくても頑張ろうと考えるのはいいかも知れないけど、それはあくまで手段にすぎない。
現世でいかに魂を使いきるかが大事なのだ。
だから、現世で起こることは肯定しきって対処すべきなのだ。
人生は楽しいことばかりあるとは限らない。苦しいこともある。
人は生まれたときにポーカーの時のように人それぞれのカードを与えられている。
苦しいカードだったらその後うまくいくように悩み考え予測や駆け引きをしながらやっていくしかない。
失敗してもそれは二者択一の自分の選択の繰り返しの結果。今さらどうしようもない。後悔しても無駄。同じ過ちをしないため反省するのは大切だ。
私にとっての第1ステージは準備。親の庇護、基礎固め。第2ステージは実力付け。第3ステージは還元。第4ステージは終末。
竹の節のように区切ってやった方がメリハリが出るし節があった方が丈夫。だからそう恰好つけたい。
これからは第3ステージかな。
あえて恰好つけてしゃべったり、さもそれがあるように言うのも刹那的かもしれないけど、そんな感じでバヤッと考えて生きるのも悪いことではないと思ったりしている。