最近エムブロさんの広告に、なにやら青少年の健全育成に抵触するような、いや〜な雰囲気のあるものがあるな…と思っているのは私だけではあるまい。
広告の意図は、「ここをクリックしてエッチなマンガを見なさい」ということなのか。「読者にはエッチ的な需要が高い」と踏んでいるのか、これは非常に問題なことですよ。
‥などと思っているボスです。泣き虫ボスですよ。
チワ
さて。話は変わります(変わるのかっ)。
はい。アッサリ変わります。今日は疲れているのです。
ところでみなさん。今日は小さいことを書きますね。暇つぶしとしてください。
みなさんは「フルーツ生ジュース」の概念、いかがお考えですか。
私は以前、そう。数回前の記事に、「最近サギまがいの被害に会い、実害600」などと書いたことがあるのですが、今日の記事はそのことについてなのです。
実害600とは、600万円のことでも60万円のことでもありません。だとしたら私はもうしんでいる(北斗の拳のケンシロウか(笑))。実害とは、モチ、600円のことなのです(小さっ)。
実はこの前、とあるお祭りに行きましたら、「フルーツ生ジュース」と看板出した露天(店)があったんですよ。画像のお店です。雰囲気だけわかる程度に編集しております。
お店の前には、りっぱなメロン
とかパイナップル
、オレンジ
、バナナ
が飾ってあり、ジュースの値段は300円となっておりました。で、看板に「フルーツ生ジュース」ですよ。
これらを見ると、いかにもこのジュースはここに飾ってあるフルーツを使用した果汁80パーセントくらいのジュースだと思うじゃないですか。人って。
私もそのうちの一人でした。
その日は暑く、私は、別の所に待たせている知人を喜ばせようとこの「フルーツ生ジュース」を、暑さでのどかかわいて並んでいる多くのお客に混じって並んで、買ったわけです。メロン
とパイナップル
を。
で、知人に「どっちがいいか」と選ばせて、お互いに飲みました。一口。
ところが、それが非常に甘いんです砂糖水みたいに。思いっきり安っぽく甘ったるいんです。で、氷が半分以上を占めているんです。超甘く量は少ない。
残しましたよ。知人にも、私は面目が立たなかった。ガックシです。
で、「しょうがない」と、カップを捨てるところを探したけど、なくて、ジュースを売った女性からカップを捨ててもらおうと、その露天の後ろ側に回ったのです。
案の定でした。
盛んにジューサーをギュンギュン言わせていたのは単なるパフォーマンスで、実際はお客に見えないようにして少量の液体と牛乳らしきものと、UCCガムシロップをまぜ合わせ、あわただしく調整作業をしているではありませんか!!
その姿は裏から見るとこっけいでさえあったものです。
「 だ ま し や が っ た な 」
目だけ笑い、唇を白っぽくして怒りましたよ(表現はモチ冗談です。実際はあきらめに似た気持ちでした)。
皆さん。「フルーツ生ジュースの概念」って何なのでしょう。何パーセントくらいまで「フルーツ生ジュース」と言えるのでしょうか。これってサギじゃありませんか。金額的には少ないけど、でも、ガムシロップ水にしては中途半端に高くして二重の騙しを講じているんですよ。「ここでは表に陳列しているりっぱなフルーツを使うのだ」という期待を持たせて実は妙なジュースと牛乳と、たっぷりのシロップでお客をだましているんですよ。ギュンギュンとジューサーを鳴らす小細工までしながらですよ。
………
それにしても、600円の損害にこだわる私は小さいですか。
いや。実は、ほんとうは、私がここでいちばん申したいのは、ここにはすごい真理があるということなんですよ。600円で得られる最高レベルの真理、真実が。
それは、「表にこれがあるからといって、これを使っているわけではない」ということなんですよ。
表に「フルーツ生ジュース」と書いていても、「フルーツ生ジュース100パーセント」というわけではない。表にりっぱなフルーツが飾ってあっても、「このフルーツを使ってます」と言わない限りは、そのフルーツ、使わなくてもウソをついているわけではないということです。
確かに、看板を掲げる限りは商法上その看板のものを売らなければならないでしょう。でも、表にりっぱなものを飾っていても、必ずしもそれがそのモノとか、人とかを表しているとは限らないのです。
世の中、思えばそういうことは山ほどありますよね。
高級外車を乗り回している若者は必ずしもリッチマンではないとか、ゴージャスな身なりの人が必ずしも金銭的に潤っているわけではないとか、格調高い書籍棚をバックにテレビに映っている人が必ずしもそれらの本を読んだりしているわけではないとか、さまざまありますよ。まさに羊頭狗肉の人々、様相は社会に山ほど存在しているのです。
以上、600円でなかなか勉強になったボスでした。