画像は私の愛用品の長棹上皿天秤です。
これで珈琲豆が一定の重さになるように計ったりします。


さて。題名は私がしょっちゅう模索していることなんですがね。

ブレずに生きる方法。


自慢ではありませんが、私のような凡人となりますと、日常、生活していてしょっちゅう道を踏み外すわけですよ。

道を踏み外すとは、まあ、いろんな面で行動がブレるということです。
気持ちがあっち行ったりこっち行ったりと。

で、しょっちゅう無駄なことをして反省したり。

まあ、「人生無駄な行動なんて、ないよ」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、私はあると思ってます。

無駄足、やみくもに行動することによる空振り、目先のことのみにとらわれて大きなことを逃すこととか、それがそれにならなければ、それは合理的ですよね。(問題:前文の最後の「それ」とは何を表しているか20字以内で答えよ。)

冗談です。

とにかく、無駄が無駄に終わらなければそれは無駄で終わるより無駄ではないわけですよね。

ややこしいのですが、とにかく、無駄が無駄にならず結果として目に見えて成果が出たり、物事の目標が達成されたりするのであれば、合理的でしょうということです。

で、そうした無駄なことをしない方法があるんですよ。大きな意味で。

それは人生の目標を持つことなんですよね。当たり前のようなことですが。

人生の目標を持つことが大事、しかもそれは長期的な目標であればあるほどよい、最終目標となるものであればいちばんいい、と私は思っております。

ブレないためのいちばんいい目標、目的は、しぬときにどんなふうになっていたいか、ということだと私は最近思っております。


こんな話があるんですよ。
バイクでカーブを曲がる時に、目線がすぐ近くだと、バランスを崩して転んでしまうことがある、最も安定して曲がるためには目線をずっと先にやることだ、と。

確かに、直近の道路に小石があったり穴があったりするかもしれず、直近に目線を落とすのも必要かもしれない。でも、ほどほどに経験を積んだ人であれば、小石があっても穴があっても、何とかなるものです。
問題は、そうした小石、穴にだけに目をとられてバランスを崩して転んだりすることがあること。
目線をずっと先にやればバランスを崩しにくくなる。


大海原のはるか先に灯台があって、それを目標、目的にしていれば、目先の障害物を避け遠回りをしながらも、ブレずに合理的に進むことができる。

最近、しぬときにどんな状態であの世にいきたいか、笑って満足していくためには何をすべきか、それが究極の目標なのではないのかな、それを目標にすれば多くの無駄をしないで生きられるのではないのかな、とか思っているボスなのでした。