巷でLINEとかSNSとかFacebookとかはやってるらしいけど、なにそれ食べれるの、といってしまうくらい興味もないしやる気もないし、第一その実態さえわからないしわかろうとも思わない。


個人情報をさらけ出すつもりは毛頭ないし、誰かと頻繁に情報でつながろうとか、そうでないとさみしいとか、便利だとか楽しいよ、とか、そんな話、聞いてもまったくやろうとも思わないし、興味もまっっったくない。


極端な話、スマホもなければなくてもかまわない。


ゲームなんて、まったくやらないし、やろうとも思わないし、これから将来も、ぜったいやらない、と断言してしまおう。やらない自信がある。まったくの時間のむだだし、やる意味がない。しぬとき、「はー・・ゲームに費やした時間、あのゲームでの想い出、楽しかったなぁ…」なんて、ぜったいぜったい思うはずがないし、もっともそう思えたならぜったいおかしい、と私は思う。


大事なのは、身近な人びととの関係、今ある場所でのなまなましい現実の経験。

スマホの画面による拘束はまっぴらごめんだし、そこに映るのは魑魅魍魎、妄想の世界だと思ったりしている。


以前には、京都大学霊長類研究所の、ボタンを押してお菓子の出し方を覚えたチンパンジーみたいに、暇があれば携帯を頻繁にいじっていたときもあったけど、あれは何かの依存症だったな、と今では思っている。



最近特に、身近な行動と経験が、実のある財産なんだな、と思ってきている。これが真実だろうと思っている。



画像はエビのにぎやか天丼。
こちらはちゃんと食べれるものです。