スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

190n)回想C

◆ 5月1日



夜の日付が明日に変わる頃、容態が急変。

病院から呼び出された。

夜中に一人焦りながら着替えて病院に向かった。



とても危険な状態。



わかってる



わかってるけど…



手術に1時間、一週間で退院できるはずだった。



ここの日記にも書いてるけど、写メってぃぃょ!
くらいな和みムードで
前日手術の説明は終わった。



なので、私も、そして今は意識さえない母はもちろん、
疑う事なくそう思っていたに違いない。



しかし、まさかのまさかなミス。



兄貴が大阪な為、全ての窓口がアタシだった。



けど、一週間経った頃、誰にも言えないストレスからか?胸の辺りが苦しく、不眠気味に。



安定剤は二回飲んだだけでやめた。



めまいはなくなったから。

そして、とうとう兄貴と、母の親友に全てを打ち明けた。



気持ちが少し楽になったが、兄貴が3日に来ると言う事でより安心だと感じてい
た矢先の呼び出し。


原因が未だわからないと言う…。



が、血液の病気に?



元々は血圧が高いのに低い。



上が50って…

低すぎだろ?



危険なので、兄貴に明日朝一で来る様に連絡してと言われた。



深夜に、兄貴、母の親友、明日仕事予定なので店長に。兄貴の嫁に。。。



パニックになりそうだけど、何とか冷静に落ち着かせて、2時頃には帰宅。



寝れなくて…



母が入院してから、携帯はマナーにしていない。



唯一、病院&ICUの中だけは電源オフ。

携帯の着信がある度、
心臓がバクバクする。



朝方までろくすっぽ寝れずに朝がきた。



会いたい人はいる。



甘えたい人はいる。



だけど今は我慢だ。



◆ 5月2日



夜病院から連絡が来た。



相変わらずICUに居て状態がよくなくて…
もう本当何で?



入院前の元の体に戻してくれって
何度となく
医者の首根っこ掴みかかりたいって思ったことか…



ケド、命を預けてるから…できないや…



失敗して最善は尽くしてくれてるのはわかるけど

深夜の呼出しで


[覚悟]


って何よ?


だって元気だったし、
手術もしなくても良かったけど、
簡単だし、
後々何か起きたらって、
大事を見てやった手術だったはず!



医者のオススメで手術した結果が今だ!



手術ってさ、今以上に良くなる為にするもんぢゃないの?



長生きする為に
未来の為にするもんぢゃんか!



てか、文句なんてここにしかぶつけられないケド…



とにかく、生きててくれたらぃぃ。



生きてさえいてくれたら、
何年かかってもまた回復してくれたら
女同士したい事がまだまだある。


ずーっと仕事で生きてきたお母さんと、
のんびり親子がしたい。


生きて


生きて


生きて


神様お願い


お母さんを助けて下さい。


毎回母のクダだらけな身体を見る度に変わってあげたいって思う。


血圧上が50…輸血してる。



人口呼吸器が外れてぬか喜びをしてしまった27日。



ICUに居る、この一週間頭ん中はお母さんだらけだ。


疲れか?

ストレスからか?

蕁麻疹がまたでてきた。



私は、自律神経を気をつけなきゃいけないな。



今は、私が、絶対倒れるわけにはいかない!


お母さんが助かるまでなんだってする。



お母さん。


生きて!


数時間後…



始発の新幹線で兄が大阪からきた。



兄、兄嫁、母の親友と私。



私以外はみな病院の母とは初対面。



一同、信じられないって顔。



その後、一同泣いた。



兄貴曰く、
アタシの言ってた事がやっとわかったって。



てか、思っていた以上に酷い状態でショックだと。



兄『お前、毎日よく居られたな。俺はあんな姿ずーっとみたら倒れるだろうな』



末期癌の父の姿を見てるから、あの時より甘い考えでいたらしい。



私が、涙が枯れるまで、
車や布団の中、
待ち合い室などで泣いた事は兄貴は知らない。。。



今更、言う気もしない。。。



が、いよいよ危険な状態と言われたので、北海道の母の妹に知らせた。



すると…

『ユカチャンがついて居ながらなんで!!』

責められた。。。



その言葉が、弱った心のど真ん中に突き刺さった。。。




◆ 5月3日



人生でこんな選択をしなきゃならないなんて…


そんな事、想像した事もなかった。


私と兄貴と兄貴の妻、長女、母の親友で、病院で待ち合わせをした。


すると、主治医から


『お腹の中をみたい』

そう…手術したいと言ってきた。


昨日の段階では、もはや手術も無理だと言っていたのに…


昨日より血圧が安定している今が、ラストチャンスだとも言った。


もちろん、手術は身体に凄い負担がかかる。

今の母に耐え切れるのか?
とても不安だった。


ケド、手術しなきゃ確実に[死]があると、あの時、私も兄貴も思ってた。


昨日、今までの経過を、兄貴と兄貴の妻、私の前で話した時、
主治医ぢゃなくて、外科部長が、
私達に

『お母さんは今回の手術をしなきゃ、危ない状態になってた』と、

自分達には非が無いアピールを必死にいきり立ちながら話した。

心の中で

『テメェ、お母さんが元気になったら、覚えてろよ!』


って思いながらも、
今の母の命を預けてる奴だから、ただ聞いているしかなかった。


私は、悔しさで涙が溢れ、我慢できずに、その席を途中退室した。



そして、私達は手術の同意書にサインを。
速手術の準備に周囲が慌ただしくなった。
待ち合い室に居ると、
麻酔科の女医がきて、
私達に唐突にこう言った



女医『今、不整脈が出てきて、血圧が下がりはじめてきました。
麻酔をした段階で命がなくなる確率が50%ありますが、どうしますか?』
って。


胸を開ける前の麻酔の段階で既に命が半々だなんて…


究極の選択だ!


女医『もちろん、危険な状態になる前に手術途中でもやめます。
ただ、術中に死ぬ可能性もあります。』


私達は先程と話しが違うと思い、主治医を見た。


主治医は…

『先程お話しした時は安定していたのですが…』
だって。


兄貴と私は、覚悟を決めてお願いした。


手術前に、意識の無い母に、皆で命を削るかの如く精一杯のエールを送った。


手術が始まり、待ち合い室で誰もが手を合わせ祈った。


3時間…



ホント長かった。



そして、母は生きていた。



母の頑張りに、ただただ涙が溢れた。



その後の説明で、出血が酷く、
院内の血液では足りず、
部長『○○市の血液が、今夜全て使いました』

って。

ムカついたケド、生きてた事に胸を撫で下ろした。



医者の足元は血だらけ。

母の血の気のない顔に涙がまた…





189n)回想B


◆ 4月26日



今、母の居る病院は、7年前に父が末期癌と戦って他界した病院で、

私、個人的には違う病院がよかったんだけど、

母の掛かり付けの先生が紹介状書いたのがその病院だった。



母は、ずーっと大きな病気をせずに生きてきた。

がむしゃらに働く人で、一言で言うなら


[働き者]


だから、私がパートに働きに出た時には、
どうしても土曜日が出勤になってしまって、
末っ子が不憫だからと、協力もしてくれた。


そう…


孫が可愛くて、孫が宝物でさ。


だから私には孫の事では、厳しく怖い部分もあった。


母はいつも正しくて、
いつも優しくて…


ホントは、円形脱毛になるくらい神経が細やかな人なくせに、
頑固で強くて頑張り屋…


別に張り合うつもりはないんだけど、
張り合った所で、一生敵わないです。



そんな母が、一昨年心臓の疾患で救命救急に搬送された時は、
震えが止まらなくって、
マジで、ビビりマシタ。


だって、アタシん中に、
[母の死]って言うのは全然なかったから。


だから初めてそれを意識したのが一昨年だった。


当たり前ダケド大事にしなきゃって気持ちがいつも心ん中にあって、
とにかく一日一回は連絡をとってた。


私がママ友に裏切りを受けた時には、
良くしてあげてた母にまで嫌がらせがあって、
ホント悔しかった。



それでも母は

『子育てなんて一人でも頑張ってできる
わよ。
お母さんなんて、
仕事ばっかで友達なんて一人も居なかったでしょ?
居なくたって、
なぁ〜んも気にする事なんてない。
大丈夫
(o^∀^o)』


って言ってくれた。



子供達の運動会の時に、
大声張り上げて他の人に聞こえるデカイ声で嫌味言ったママ友(B子)にも、
乳癌を本当に心配してた私や
私の母が保険料を払ってたママ友(C子)にも
保険の事で色々プレゼントしてあげたB子にも、
それぞれが嫌な奴らとわかってからも
気丈に挨拶する母だった。



争い事が嫌いって所だけは、私も母譲りなんだけどね。


言われっぱなしも悔しいけど、母が1番の理解者で居てくれたから、辛くたって、乗り越えてこれたんだと思う。



でも今年の運動会は退院してても無理だろうなぁ。



私は、あの日以来、ママ友を作る(関わる)のをやめた。
私の関わりある人達にも、
悪口流されたから、
言い返す力すらなかった。



今、ドラマでもやってるけど、
上辺はよさ気に見えても、
腹の探り合いが普通にあるシビアな世界だったりもするから。


だから、今は、信用できてスゲー仲良しなママ友は0

(゜∇゜)



ママ友だった人達と顔を合わせるのも嫌で、
授業参観などに行く足も遠退いてしまった。



全くもって母親失格だ。



1番の被害者は、末っ子だったと思う。



つい、昨日までは、
親子して仲良くて、
いつもつるんでたのに、
ある日を境に他人って言うか、他人以上に他人だもん。


末っ子には何度も
『仲直りして』って言われたけど、

子供にまで『お金を借りて返してない』
なんて、有り得ない嘘を言われたり…
あんな最悪な奴らとこの先の人生まで絡むなんて
死んでも嫌だ!



けど、私が他のお母さんとあんなに親しく、いつも賑やかにしてた所が、末っ子はきっと好きだったんだろうな。



今は、全くしない事や、授業参観に参加しない事がホントは凄く嫌なんだと思うし、
我慢させてしまって、
母親失格だと日々思っています。



そんな中の今回な母の事。



ICUは、部屋ぢゃないから、荷物はほとんど引き取りマシタ。



一回に、2・3人ま。

面会は15分程度。

入れるのは中学生以上。



末っ子は入れマセン。



外からインターホンで入る。

最低限必要な荷物に、名前を書いておく。

必要な物を買い足し持って行く中に、
子供達三人の写真も入れた。


看護師さんが、良い写真って言ってくれた。


昨日より明らかに腫れ上がった顔と手。


人口呼吸器が入って、
クダだらけな姿を見てると涙が止まらなくて…


1番辛く頑張ってるのは母だから、
私が泣いちゃいけない。



18時過ぎに先生から話しがあると言われ、
待っていると、先生がきた。


藤木直人似のイケメン系だ。


先生の顔を見ると今は、ホッとする。


別にイケメンだからぢゃなくて。



日曜日に入院して約一週間が経った昨日(月曜日)

初めて数値が回復に向かっていると言われた。



張り詰めてた気持ちが一瞬緩んで、
その場で泣き崩れそうになった。



必死に堪えて、30分以上、
先生から一つ一つ説明を受けて、
不安が解消されていった。



やっと兄貴と連絡をとり、
母の話しをした。



ビックリしてたけど、私に労いの言葉をくれて。



とにかく、一週間ぶりに呼吸をした気分だった。



まだまだこれからダケド、母と子供達と頑張ります。




ユカ☆


188n)回想A

◆ 4月24日


この一週間はホントに怒涛だった。


ログ(Lのログ)にあんな風に書いといて、
日記に書かないのもなんなんで、流れを書きます。



日曜日に母が入院した。

盲腸くらいポピュラーな手術と主治医から説明を受ける。

時間も約1時間の手軽な手術とも。

そして月曜日に手術。

手術室まで歩いて行った。

手術室手前で、私は母に、
『頑張ってきて!』と声をかけた。

母は、少し照れた様に…
そして振り向かずに右手をソッとあげた。

そして手術。

結果、4時間半にも及んだ。

その間何度もナースステーションに通ったが、曖昧な返答しかない。

途中不安で気分が悪くなり、二回ほど吐いてしまった。

部屋に戻ってきた母は、別人の様にクダを沢山繋がれてた。。。



主治医が直ぐに別室で説明をした。


患部の癒着が酷く、切ってはいけない管を切ってしまった。

その為に開腹して腸と接続した為に時間がかかってしまったと…。



え?手術ミス?



一瞬頭に浮かんだが、とにかく命に別状なくちょっと治りが遅いくらいに思っていた。


火曜日、『痛い!痛い!』母は凄く辛そうだ。意識はちゃんとしてて、帰るのに躊躇してしまった。


水曜日
相変わらず痛がってはいるが、元気がない…
主治医も難しい顔をしている。
不安がよぎると同時に、私がめまいが酷くなる。


木曜日
頭痛と吐き気のまま出勤。

職場に来たが、めまいが治まらず、薬局で薬を買うが、効かない。


昼頃病院から携帯に連絡がきて、4人部屋から個室に移動すると言われた。


それと母が私を呼んでいると…


仕事を早退できずに、途中途中不安が襲うが何とか仕事をして、終わったらソッコー母の病院へ向かった。


ショックだった…。


母がわけのわからない事ばかり言う。


無いものを探してだとか、仕事に行くだとか…


手術の後によくある症状でボケたわけではないと主治医に言われた。


とにかく母を落ち着かせて、安心させる事で精一杯だった。


病院を後に初めて涙が溢れた。


こんなはずじゃないのに…
帰宅すると子供達が、犬のウンコの片付けのなすり合いをしていた。

これから大量の洗濯物をたたんで夕飯を作らなきゃ…

朝5時50分起きでお弁当二人分作って、子供達三人を送り出し、仕事に行き、帰宅してマクドナルドなど置いて直ぐに病院。


病院から帰宅したら子供達がくだらない事で喧嘩していた…


私は、めまいが酷く、もう限界だった…


家に入る前に玄関の扉を前に泣いた顔を見せない様に5分くらいしてから帰宅した…


なのに部屋はちらかり、お腹空いた〜と言い、ウンコの片付けのなすり合いをしている子供達を見て…


『おばあちゃんが大変なの。
おばあちゃんが大変でママは凄く疲れてしまってるの。

お願いだから少しは協力して!

おばあちゃんが治るように祈ってよ!』



無意識に、号泣しながら子供達に訴えていた。



子供達は、尋常ぢゃない私を見て、それぞれの部屋で泣いていた。


それから黙って、洗濯物をたたんだり、お風呂を掃除したり…
協力してくれた。


言ってしまった事に後悔しそうだったけど、言ってよかったって思った。


金曜日
病院からは連絡はない。
病院に行くと、母はぼ〜っとしていた。
うつらうつらって感じ。
昨日まくし立てる様に言ってた事の確認もないので、私からは触れずにいた。
ただ、体で呼吸をしていて苦しそうに見えたので、何度か
『苦しくない?』
って聞いたけど、わずかに首を横にふる。


大丈夫なのかな?
主治医には、数値が良くない事や、脈も早く、安定してない事を言われ、凹んだ。


めまいが酷く、サンハン機能?と思い、耳鼻科で検査を受けた。


結果、[ストレス・心労]が原因と言われた。


安定剤を処方され飲むと楽になった。



土曜日
自律神経がよくないのか?
仕事中に突然泣きそうになる。

グッと堪えて接客する。
接客してる方が楽だったりする。

そして仕事終了後、私は一つの決断をした。
今まで経過がおもわしくない母の見舞いは私一人で行っていた。
が、
今日子供達三人を連れて行こうと決心をした。

それは、子供達が何よりおばあちゃんが好きで心配で会いたがっていた事が1番。そして、現状を知り、協力し合う事なども考えた結果だった。
点滴5こに、クダも5本、意識もイマイチで、呼吸も辛そうな母に会わせるのは、忍びない気持ちもあったが、
まだ長引くかもしれないので、個室に移った今にした。


実際行ってみると、母は眠ったままで、肩を揺すっても、耳元で、それぞれが声をかけても、目を覚ます事はなかった。


起きてるのではなく、寝てる事で、子供達はあまりショックはなかったようだった。


日曜日(今日)
朝10時に主治医から携帯がきた。
今から人口呼吸器に変える為、ICUに移動します
と言う話しだった。



ICUと聞いて、一瞬固まった私がいた。


一般病棟とは違い、いろんな決まりがあるらしく…


あ!私は主治医の前では絶対に泣かない。


まだ、心の中に、医療ミス?って疑問が拭い切れてないからだ!


だけど、今は主治医や看護師さんを信じるしかない。


だから、言われた事には納得し、できる限りの事はしてる。



病院に向かう少し前にまた主治医から携帯がきた。



無事にICUに移った報告と、人口呼吸器に変えて、数値が良くなったと言われた。



手術後に初めて聞く回復の兆しだった。

泣くのを堪えて、ありがとうございます…と、
引き続きお願いしますと伝えた。


そして人生初のICUに入った。


数値が良くなったと聞いても、あのICUの独特の空気は、なんとも言えない感じだ。


一通り説明を聞き、帰宅した。


そして今、この日記を書いている。


今回のログが、何か意味深な感じに捕らえられた方もいたと思います。


一通りの流れは、この書いた通りです。


引き続き、母の回復を祈りつつ、頑張っていきます。


ログや日記を読んで下さり、ありがとうございました。



ユカ☆



187n)回想@

L(サイト)に書いてた日記を書いていきたいと思います。


これは真実の記録デス。


◆ 4月18日

1時間の手術が4時間…
かなり酷くて途中から開腹に…

正直、今目の前の母の姿を見ると、言葉にならないとゆ〜か、詰まります。

待ち時間があまりに長く不安で、トイレで何度か吐いてしまいマシタ。

でも
泣きません。

悲しいけど、泣きません。

だって
助かったから。

明日からリハビリとかやらなきゃならない事が増えてしまうけど、
頑張って、また一緒に出かける事を目標に、
二人で頑張ります。





◆ 4月19日

身体中クダだらけ
首を立てか横に振るのがやっと…

それでも[生きる]んだょ

神様、どうか助けて下さい

今、こんな時だから、周りに余計な気配りや心配をかけたくないデス。



関西に単身中の兄貴にも伝えてない。


母の頑張りと私の祈りで乗り越えられるって信じてマス。


今思います。

生きるって普通な様で普通ぢゃないんだよね。


クレーン車が突っ込んで、小学生6人が亡くなった。。。


病院の人達は明るい。

被災地の人達も明るいんだよね。

皆さん凄い。

一生かかっても味わえない事もある。

良い事も悪い事も。


さて、頑張ります!!



◆ 4月20日


母の見舞いの前に書こう。

つい下向き加減になってしまうから
(*´∀`)>゛

イケナイよね?

今日発売の浜崎あゆみのCDBOX欲しい。。。


てか、日記には、好きな歌を書いたり良くするんだけど…

この歌♪知ってる人少ないと思う。

古いから(笑)

なんか最近、昔をフッと思い出す事が増えた気がする。

歳のせい?ってのも確かにあるんだろうけど…

何かと便利になりすぎた現代に違和感を感じつつも、利便性に流されて過ごしてきてしまった気がします。


震災やら母の入院やら…
そゆ中で、もっと[原点]を見つめ直したい気持ちが溢れてきて。

そこには、やはり[人]との繋がりだったり、
思い出や生きてきた証だったりね。


で、この歌。

若かりし頃、一応サーファーだった私。

今回みたいな津波の恐さは知るよしもなかったけど、
波で何度も怖い経験はあります。


けど、海には沢山の思い出が詰まってます。

この歌は当時まだ子供だった私が[青春]に憧れてた頃の歌。

青春なんて言葉は、ダサイ?クサイ?死語?なんてこっぱずかしい気持ちさえ最近なくなりマシタ(笑)

あの憧れが、もうずーっと過去になってしまった今、改めて聞くとなんかジーンときます。

私にとってはですが
(´∀`)



【海を抱きしめて】



生まれて来なければ よかったなんて

心が つぶやく日は
人ごみに背を向け 会いに行くのさ

なつかしい海に



幼な児よりも ひたむきに
遠い名前を叫んで

汗ばむ心潮風が 洗うにまかせれば

いつのまにか生きることが また好きになるぼくだよ



誰かがぼくよりも まぶしく見えて

心が うつむく時

カモメの笑い声 間きに行くのさ

いつもの渚に



なんて小さな 悲しみに
ひとは つまずくのだろう

船乗りたちがするように 海を抱きしめれば


忘れかけた大らかさを またとり戻すぼくだよ



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
YouTubeにあるかな?
帰宅したら検索してみよう♪




ユカ


前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2011年06月 >>
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30