◆ 5月1日



夜の日付が明日に変わる頃、容態が急変。

病院から呼び出された。

夜中に一人焦りながら着替えて病院に向かった。



とても危険な状態。



わかってる



わかってるけど…



手術に1時間、一週間で退院できるはずだった。



ここの日記にも書いてるけど、写メってぃぃょ!
くらいな和みムードで
前日手術の説明は終わった。



なので、私も、そして今は意識さえない母はもちろん、
疑う事なくそう思っていたに違いない。



しかし、まさかのまさかなミス。



兄貴が大阪な為、全ての窓口がアタシだった。



けど、一週間経った頃、誰にも言えないストレスからか?胸の辺りが苦しく、不眠気味に。



安定剤は二回飲んだだけでやめた。



めまいはなくなったから。

そして、とうとう兄貴と、母の親友に全てを打ち明けた。



気持ちが少し楽になったが、兄貴が3日に来ると言う事でより安心だと感じてい
た矢先の呼び出し。


原因が未だわからないと言う…。



が、血液の病気に?



元々は血圧が高いのに低い。



上が50って…

低すぎだろ?



危険なので、兄貴に明日朝一で来る様に連絡してと言われた。



深夜に、兄貴、母の親友、明日仕事予定なので店長に。兄貴の嫁に。。。



パニックになりそうだけど、何とか冷静に落ち着かせて、2時頃には帰宅。



寝れなくて…



母が入院してから、携帯はマナーにしていない。



唯一、病院&ICUの中だけは電源オフ。

携帯の着信がある度、
心臓がバクバクする。



朝方までろくすっぽ寝れずに朝がきた。



会いたい人はいる。



甘えたい人はいる。



だけど今は我慢だ。



◆ 5月2日



夜病院から連絡が来た。



相変わらずICUに居て状態がよくなくて…
もう本当何で?



入院前の元の体に戻してくれって
何度となく
医者の首根っこ掴みかかりたいって思ったことか…



ケド、命を預けてるから…できないや…



失敗して最善は尽くしてくれてるのはわかるけど

深夜の呼出しで


[覚悟]


って何よ?


だって元気だったし、
手術もしなくても良かったけど、
簡単だし、
後々何か起きたらって、
大事を見てやった手術だったはず!



医者のオススメで手術した結果が今だ!



手術ってさ、今以上に良くなる為にするもんぢゃないの?



長生きする為に
未来の為にするもんぢゃんか!



てか、文句なんてここにしかぶつけられないケド…



とにかく、生きててくれたらぃぃ。



生きてさえいてくれたら、
何年かかってもまた回復してくれたら
女同士したい事がまだまだある。


ずーっと仕事で生きてきたお母さんと、
のんびり親子がしたい。


生きて


生きて


生きて


神様お願い


お母さんを助けて下さい。


毎回母のクダだらけな身体を見る度に変わってあげたいって思う。


血圧上が50…輸血してる。



人口呼吸器が外れてぬか喜びをしてしまった27日。



ICUに居る、この一週間頭ん中はお母さんだらけだ。


疲れか?

ストレスからか?

蕁麻疹がまたでてきた。



私は、自律神経を気をつけなきゃいけないな。



今は、私が、絶対倒れるわけにはいかない!


お母さんが助かるまでなんだってする。



お母さん。


生きて!


数時間後…



始発の新幹線で兄が大阪からきた。



兄、兄嫁、母の親友と私。



私以外はみな病院の母とは初対面。



一同、信じられないって顔。



その後、一同泣いた。



兄貴曰く、
アタシの言ってた事がやっとわかったって。



てか、思っていた以上に酷い状態でショックだと。



兄『お前、毎日よく居られたな。俺はあんな姿ずーっとみたら倒れるだろうな』



末期癌の父の姿を見てるから、あの時より甘い考えでいたらしい。



私が、涙が枯れるまで、
車や布団の中、
待ち合い室などで泣いた事は兄貴は知らない。。。



今更、言う気もしない。。。



が、いよいよ危険な状態と言われたので、北海道の母の妹に知らせた。



すると…

『ユカチャンがついて居ながらなんで!!』

責められた。。。



その言葉が、弱った心のど真ん中に突き刺さった。。。




◆ 5月3日



人生でこんな選択をしなきゃならないなんて…


そんな事、想像した事もなかった。


私と兄貴と兄貴の妻、長女、母の親友で、病院で待ち合わせをした。


すると、主治医から


『お腹の中をみたい』

そう…手術したいと言ってきた。


昨日の段階では、もはや手術も無理だと言っていたのに…


昨日より血圧が安定している今が、ラストチャンスだとも言った。


もちろん、手術は身体に凄い負担がかかる。

今の母に耐え切れるのか?
とても不安だった。


ケド、手術しなきゃ確実に[死]があると、あの時、私も兄貴も思ってた。


昨日、今までの経過を、兄貴と兄貴の妻、私の前で話した時、
主治医ぢゃなくて、外科部長が、
私達に

『お母さんは今回の手術をしなきゃ、危ない状態になってた』と、

自分達には非が無いアピールを必死にいきり立ちながら話した。

心の中で

『テメェ、お母さんが元気になったら、覚えてろよ!』


って思いながらも、
今の母の命を預けてる奴だから、ただ聞いているしかなかった。


私は、悔しさで涙が溢れ、我慢できずに、その席を途中退室した。



そして、私達は手術の同意書にサインを。
速手術の準備に周囲が慌ただしくなった。
待ち合い室に居ると、
麻酔科の女医がきて、
私達に唐突にこう言った



女医『今、不整脈が出てきて、血圧が下がりはじめてきました。
麻酔をした段階で命がなくなる確率が50%ありますが、どうしますか?』
って。


胸を開ける前の麻酔の段階で既に命が半々だなんて…


究極の選択だ!


女医『もちろん、危険な状態になる前に手術途中でもやめます。
ただ、術中に死ぬ可能性もあります。』


私達は先程と話しが違うと思い、主治医を見た。


主治医は…

『先程お話しした時は安定していたのですが…』
だって。


兄貴と私は、覚悟を決めてお願いした。


手術前に、意識の無い母に、皆で命を削るかの如く精一杯のエールを送った。


手術が始まり、待ち合い室で誰もが手を合わせ祈った。


3時間…



ホント長かった。



そして、母は生きていた。



母の頑張りに、ただただ涙が溢れた。



その後の説明で、出血が酷く、
院内の血液では足りず、
部長『○○市の血液が、今夜全て使いました』

って。

ムカついたケド、生きてた事に胸を撫で下ろした。



医者の足元は血だらけ。

母の血の気のない顔に涙がまた…