わご


うりずんの季節が来て、じきに梅雨だ。夏に向かっている。

同音異義語というものがある。
漢字は違っていても、和語(訓読み)での読み方が同じである場合、過去の人が、それを同じものだとみなしていたことが多い。

たとえば、草木が萌えるの「もえる」と、火が燃えるの「もえる」は、漢字が違う以上、使いみちも違っているが、古くは使い分けはされていなかったものだろう。

春になって若葉がいっせいに芽吹いて日に当たり光るさまと、炎が火花を撒き散らしながら燃え上がって光るさまとでは、大昔のひとびとは、おなじに見えたのかもしれない。

間違えやすいが、「日」の「ひ」という読み方も音読みではなく訓読みだ。
これは、「火」の「ひ」と同義だったに違いないと僕は思うのだ。
望遠鏡が発明されるよりずっと前、天文学が日本に渡るずっと前から、過去のひとびとは、あの天にある異様なほどにまぶしい太陽というものは「ひ」で燃えているものなのだと、ちゃんと知っていたに違いない。

そんなことをぼんやり考えながら歩いているのです。
どうしようもな。

だれのためでもなく。
晴れた日に草木を見ていると、生きてるんだな、と思えるのです。
そのために、出勤しているようなものです。