今、質問アプリを利用している。
誰かが質問したことに、同じアプリを利用してる人が答えて相談にのっていくというものだ。
やっぱり、昔と同じ、おせっかいは変わらないんだなって思う。
でも、それは結局自己満足で。
私は見返りを求めるタイプなんだろうと嫌気がさした折のこと。
その質問アプリで、「こんな友達がいます」という書き込みを見つけた。
詳しく見てみると、その友達は、傲慢で目立ちたがりや、自慢話が多く、都合が悪いことがあるとトイレに逃げる、わがままな友達とあった。
そのワードを検索をかけてみると、自己愛性障害という言葉にいきあたった。
細かく見ていくにつれ、はっとした。
うちの父そっくりだ・・・・。
そして、私にも当てはまることがいくつかあると、ぎくりとした。
その自己愛性障害という病気は、一説には発達障害も隠れているという説があり、やはり私と私の父は発達障害なのかと感じざるを得なかった。
自己愛性人格障害の父親は、家庭では暴君の様に振舞う。気に入らない事があれば簡単に暴言を吐き、暴力を振るう事もあるらしい。
現にうちの父は、外面はいいが、家では鬼のような形相になることがよくあった。
気に入らないことがあると、家族とは思えぬ暴言でののしり、私は一番叩かれて蹴られた。
何度あの鬼の形相で、母に手を出しそうになったか。
また、彼らはアルコールに依存し易く、酔った勢いで暴力的になる事もあるという。
そう、これも該当する。
昔は付き合い程度にしかアルコールはやらなかった父が、今は早い時間から酒に溺れ、おおよそ自分の言動を覚えていない。
そのときの目付きは相当尋常でない目付きをしており、言動も輪をかけてエスカレートし、私は何度もからだがすくんだ。
父の描く「理想の父親像」は、金を家にいれるだけで、親子や夫婦との関わりは度外視というもの。
これも、自己愛性障害の中にはありがちだが、理想の父を自分の中で作り上げ、それを実現する為に母親と子供を支配下に置こうとする。
これに逆らうと、母もてがつけられないほど暴言を吐き、脅しをかけ、昔の母はよく泣き寝入りしたという。
暴力にでることがあるため、下手なことができない。
母親と子供が怯えながら父親に尽くさなければならないというモラハラを受けている様な状態、は自己愛性障害の父がいる家庭にある構図だ。
子供に無関心か、けなすか、誉めることがないこの父親のもとで育った子供は、劣等感を抱き易くなり、自尊心を持つ事が出来ず、同じ様に自己愛性人格障害等になってしまう可能性があるという。
父親から愛情を与えてもらう事が出来ず、母親が父親から虐待を受けている姿を見て、子供がトラウマを持ってしまうというのは、そういう人間がいる家庭ではありがちなこと。
過干渉な母と、暴君な父の話をしたとき、病院の先生は、私たち家族を、「機能不全家族」だといった。
まぁ、そうだと思うが。
色々両親からきいた話を総括すると、どうもうちの父も機能不全家族だったんじゃないかと思うし、母も微妙なラインの家庭で育ったんだな、と感じてるから、これはうちの両親が悪いというより、きっとその前、その前の代もそうだったんだろうな、と想像できる。
人は環境が作るものだ。
発達障害は生まれつきでも、たぶんそのあとの二次障害は、環境のなせるところが多いだろう。
なぜなら、二次障害は、環境を改めれば防げるものだからだ。
だから、こんなどうしようもない性格になったことを、私は決して恨んではいない。
誰も悪くないしどうしようもなかったんだと思ってる。
特に父の家系は、何代に一人、突飛拍子もなく変わった人間、問題だらけの人間が生まれてるらしいし、やはり、我が家に発達障害が関わっている可能性は拭えない気がする。
こういった家系に生まれたことは、不運でしかないが、これは無論自分だけではない話。
遺伝自体には罪はない。
きっとご先祖もさぞ苦労されたであろう。
話は戻るが、ふりかえれば、今でこそ少なくなったものの、私は過去、自己愛性障害の傾向が顕著だっった。
無自覚だったから、その影響でどれだけの人間が傷ついているかまで考えることができなかった。
だが、その行いの裏には、傷つくことをひどく恐れる自分がいたのもまた事実だ。
強い劣等感を補うがごとく、自分を隠し、自分を守っていた。
それと同時に、困っているとみえる人に関わり、余計なお節介をやいて、支配下においてしまうことで私は自分の価値を確認していたのだろう。
ただ必死だったから、自分がよかれと思うことをしていた。
しかし、本人は一生懸命で見えていないが、検討違いな親切をしてしまうことで、周りは甚大な被害を被った。
そして人間関係が壊れた。
これが、昔の私だ。
私は、自分のエゴで、私の父と似たような人がいる環境で育った人や、辛そうな人を見ていられず話しかけていた。
だが、結局助けるなぞおこがましい行いで、自分はなにもできない人間だった。
私は、父のように、相手をバカにしたり、ねたにしたり、暴言を吐くことはない。
心配だからこそ、声をかける。
だからこそ、最初は相手も胸襟を開いてくれることがままあった。
だが、気づかぬうちに自分のペースに巻き込み、相手を支配下において思い通りにしようとする。
これは接し方は違ったかもしれないが、私が父と同じ罪を背負っていることを意味する。
相手にとってはいい迷惑。
とんだ検討違いなわけだ。
そして、自分に自覚はなくても、気がついたら自分が台風の目になって周りを巻き込んでいく。
だからこそ私は友達を失っていった。
これが正しい己の姿だと思う。
自分が見えていない。
見えない自分の思い違いで動いている。
そして、相手から、自分がしたことの見返りを求めてしまう。
すべて勝手な自分の思い込み。
様々な人から指摘を受けたこと、そして、自分がいかに非力であるかの経験を経て、私はようやく、己がどこまでもなにもできないおせっかい人間だと気づいた。
遅いが、気づけた。
今得ている知識は、経験ゆえに気づいた客観的な自分の姿だ。
自信がないことは、余計なプライドやらがないぶん、下手に他人に関わらないから、問題を起こさない。
逆に自分を助けている。
自分のプライドと、人の目をやたら気にする余計な感情と無駄な期待は、自分の目を曇らせ、余計な所作につながった。
仕事を通し、やっと自覚できた自分、人間関係を通してやっと気づいた自分は、最後のプライドを粉微塵にし、自己評価がやたら低く、自信のない人間を築いた。
でもそれでいい。
諦めが今、ようやく、等身大の自分がどうすべきかを教えてくれている。
もしかしたらできるかもしれない、こうしてあげたい、いつかこうなるかもしれない。
数々の期待とエゴは、もうほとんどない。
これが邪魔してどれだけのものを失っただろう。
期待は正直どこまでいってもゼロでいい。
今までの経験から、自分が易いことすら困難を極めることは承知している。
自分にも期待できないし信頼はできない。
ただひとついえる。
今私は昔ほど自分が嫌いでない。
きちんと自分を見つめられるから。
自分の劣等感、自分の自信のなさ、逆に無意識にあったおごりの感情を、きちんと見つめないできたせいで、本来の自分が見えなかった
そんな必要のない自信が、今叩き潰されて、ほとんどなくなった。
才能なんてないのに。
昔ほめられたことを中途半端なプライドにして、それを手放せずにきた。
いい加減気づいていいのに、気づいてても捨てられなかった。
それが私を作るすべて、生き甲斐だったから。
そして、人を助けられるなんてとんだエゴ
本当に世話しなきゃいけないのは自分自身。
やっと気づけた自分。
だが、質問アプリで悩んでる人を放っておけない。
自分がしんどい思いをしたから、似た境遇のひとになにか言えないか、できないか、なんて。
まだそのおこがましい感情は続いている。
自分は専門家ではない。
この特性故、人の話を傾聴するなんて絶対無理だと、もういやというほどわかっている。
なのに。
まだ、気にしてしまう。
相談にのりたいなんて解決もできないくせによくいえたものだ。
解決をするのは本人しかいない。
人はカウンセラーを通して、自分にとっての本当の答えを見つけてるだけ。
なにかをしてあげたいなんて、まだそんな上から目線の考えがあるのかとあきれる。
なにかしたいのはかまわない。
人にさせていただくにならないなら、せめて自己満足でやりたい、にならないか。
自分のためと。
したいのは勝手。
しかし、相手はそれを望んでいるか。
ここまで考えが及ぶようになったのに。
気になるこの性分。
もはや病気である。
悪いことではないのだが、考え方は、まだ人になにかを支援できる立場の言葉ではない。
ただ、自分にできることが、専門家の仕事でないのはようやく理解できた。
だから、今私がしたいのは、少し前まで考えていたカウンセラーやセラピーの専門職ではない。
正確には、できない性格なのだとよくわかった。
アスペルガーも、ADHDも、人の気持ちには疎い。
人の目は気になるくせに、その実、自分の何がいけなくて人間関係がうまくいかないのかという、自分の行動には目が向いていない。
仮に理解してるように感じるのは錯覚だ。
人の気持ちに敏感は、他人を理解していることとは少し違う。
なのに、それがわからないまま、私は今まで自分がずっと人と接することが好きというか、得意なのかな、と思っていた。
接客はほめられたことがあるから。
だが、そこには、人間関係を育む上で大きなものが欠落しているということに気づかなかったという側面もあった。
自分が思ってやったことが空回り、勘違い、大きなミスにつながる。
気遣いができない。
考えればわかる、みんなの当たり前が私にはできない。
結果、自分の特性を理解した今、人間相手の仕事が私には向かないのだとわかった。
なのに、検索したら、悩んでるADHDのひとは、意外に接客業や看護師が多い。
みんな、私と同じような性格の人が多いということだろうか??
今もその人らが、苦しみながらがんばってるなら、素直にすごいと思う。
人と関わるのが好きなのに、人とうまくやっていけなくて悩む。
この悪循環は、もって生まれたものがある以上、逃れられないものだと思う。
それを理解して働いている人がどれだけいるだろう。
もっと自分の特性をいかせる仕事はないか・・・
ちなみに、ADHDの人には、教師、研究職、医者が多い。
ただ、こういう人たちは、学歴というか、勉強ができる人だ。
では、私のように学歴が低いものにとっての適職とはなんなのか。
本当にそれは今でも考える。
今わかることは、サービス業ではないんだろうな、ということ。
そして、私には、上記の職業のような人たちのような専門の強みがない、ということ。
私にあるのは、無駄な共感性。
そして、人をやたらめったら気にしてきたために備わったか、の微妙な分析の心得。
そして、自分と同じ境遇の人らになにかできないかという意思。
これは、才能でなく、経験からくるものだ。
保育をしたかったのは子供が好きだからではない。
虐待などで辛い思いをした人が私の周りに多かったから、子供の頃からの心理に興味があった。
それだけのことだ。
人の性格を分析するのが好き。
占いが好き。
これを考えるなら、研究職が多いADHDの性分故だと納得もできる。
趣味で占い屋でも始めようか。
中学頃は、自分で考えた占いで人を占ってわりとあたってたことを思い出す。
父と同じものを背負い、特有の個性がある私に、適職なんかあるんだろうか。
なんでもノートに、色々書き出してみようか。
話がとびとびでいつものごとく支離滅裂だが、こんなまとまりのない部分も自分の性分が絡んでるんだなぁと最近ちょいちょい思う。
もう少し、つめて考えてみよう。
エンディングノートは、やっぱり飽きっぽくて、あのあと結局本を読むだけにとどまった。
過度の飽きっぽさ、過度の短期集中というかのめりこみ。
これも昔から。
ああ、自分、なにしたらいいだろう、て思ってたら、昨日、久々に汐さんに会って、自分の考えが整理されたのか、やりたいことにたいしてまた意識が向いた。
もとの位置にかえってこれた、そんな感じだ。
自分の性分はもうわかってる。
集中が折れたなら、修正しないで潔くやめる。
やめたあとでもやれるなら、そのときにやる。
やりたいときはやりどきだ。
今思えば、テスト勉強もそうすりゃよかったのかもしれない。
集中力がなくなった教科をずっとやるのなんてやめて、教科を変えてみるとか、切り替えができてたなら、もしかしたら、もう少し集中して勉強できたのかもしれない。
自分の特性を理解して楽になるひとと、自分にあるものをわかってて認めたくない人がいるけど、今の私はどちらかというと、楽になった人間の方だろう。
特性を認めてしまえば、対策を練れるし、自分にあった生き方を選択していける。
大事なのは、障害者手帳じゃない。
私は軽度すぎて手帳ももらえないかもしれない。
だから、生きにくい世の中でいかに自分が生きやすい環境を作るかがこれからの私の課題。
その先にあるものはわからないけど、きっとそれは、今まで以上に悪いものではない。
手帳があるからこそ優遇されることもあるが、現状うまくいってないケースもあるようだし、手帳にこだわる必要はない。
ただ、私がセカンドオピニオンを求めるのは。
誰より、自分の過干渉な母親に自分への接し方を少しでも改めてほしいという願いがあるからだろう。
父はもう諦めてる。
そして、自己愛性障害は、なおらないケース、病院から断られるケースも多いときく。
父には理解は求めてない。
話が通じないのだ、そもそも。
だが、母は。
いや、父以上にいまだに関わりが多い母には。
理解しろというより、対応を考えてほしいと診断が出たら言いたいだけだ。
無理だろうとは思うが。
あの過干渉がへったなら。
どれだけ楽になるか。
いまだに親が苦手な私は、それでも、子供ながらに親孝行しなくてはと思っている。
形だけでも。
世話になった自覚があるから。
どんな親でも親は親だ。
子供としてのつとめは果たしたい。
それは好き嫌いとは関係ない私の義務感だ。
嫌いなんじゃないのだ。
関わるのが難しいのだ。
関わりたくとも。
それだけだ。
そんな様々な思いを抱えた過去がある。
いろんなことに苦しんで悩んだ過去がある。
そしていまだにそれは私のトラウマだ。
過去に戻りたいという人は、今に満足できていないケースが多いが。
私は二度と戻りたくない。
二度と、過去に味わった様々な辛苦をもうなめたくないから。
乗り越えて乗り越えて今がある。
今ようやく自分を知れて、自分を知ることで自分をみなおして、ましになってきたことがある。
もう、たくさんだ。
その先にあるものがなんであれ、過去をふりかえる材料が、今の私には過去を懐かしむものではない。
どう生きたかはどうでもいいといいたいが、生きた軌跡に、自分の生まれ持ったものの片鱗を垣間見る。
そして、苦しんできたわけを知る。
だからこその、どう生きたかより、どう生きるか。
私が生きているのは常に今だ。
未来でも過去でもない。
やっと昇華できてきたものがある今を。
私は大切にしたい。
特性を理解すれば、その先をもっともっと変えていける。
同じことを繰り返さない。
昨日の自分は、さようならだ。