まず、普通の概念を棄てること。
人間関係は、自分がどう感じるかがネックだから、自分の基準を排除。
良いも悪いもない。
当たり前は存在しない。
人として、これをやって当たり前、普通だ、は、自分が培った基準。
目の前で起こるすべてに価値を感じる前に、ああそうか、こうなんだ。
と納得すると、怒りも悲しみも感じない。
怒りや悲しみに振り回されると疲れる。
あまり疲れると、どうでもよくなる。
人間や感情に振り回されなければ。
楽だ。
いかに疲れないように生きるか。
それが問題だ。
自分を一喜一憂させるすべてに疲れたら、でた結論がそれだった。
穏やかに問題なく生きられたなら、それが一番大事だ
悪意はないからたちが悪い。
こういう人がいる。
悪意があるとダメージを受けるけど、悪意がないといらだちやもやもやの原因になる。
重なると。
爆発。
結果的にどっちも追い詰められるのは変わらない。
近づかない。
関わらない。
これができたらほんとに幸い。
そうはいかないのが現実。
耳栓。
重宝する。
知らないことは、ある意味幸せだ。
傷つかないですむから。
知らなくていいの。
いさかいは望まないから。
今は体を守ることが優先
なにも考えずに生きていきたい。
そうすれば余計な感情に振り回されずに、ストレスも感じないで生きられそうだから。
一時心や痛みが不感症な時期があった。
あれくらいになれば。
些事に振り回されずにいられるんだろうか。
ひたすらにそうなってしまえば。
こころの影は一定から伸びていくことはきっとない。
穴はあいたままでいい。
他人のことを気にせずに。他人に振り回されずに生きていけたらいい。