いろんなブログ回って、いろんな人の意見を読んで、最近、つくづく思うことがある。
自分…自己評価低すぎ…
利用されていい人間なんて、この世に存在しないんだぞー
そんなんだから、ろくでもない男に引っかかるんだぞー
友達だと思っていた奴に利用されたりするんだぞー
その直ぐ『自分は○○だから仕方ない』って諦める癖やめれー
もっと毅然とした態度をとってもいいんだぞー
うん、最近、自分って、つくづくバカだと思うようになってきた。穴があったら入りたい…以前書いた過去話を全部抹消したい気分だ。
なんで、こんなに自己評価低かったんだろう?
我ながら不思議に思う。
まあダメだよ。自己評価低いのは。高すぎるのも問題だろうけど、低いのは、もっとダメ。自分を粗末に扱ってしまうからね〜
もっと自分を大事にしなくちゃね。自分の感情も大事にしなくちゃね。抑えすぎるのも問題なんだよ。それじゃあ、ロクな人間関係は作れない。
まあ、今更なんだけどね。
今更だけど…大事なことなんだと思うんだ。
自分が変われば、交流関係は変わる。
自分を大事にしていれば、自分も大事にしてくれる人と交流関係が結べる。
簡単なことなのに…気付くのに時間掛かったよなぁ…
真実を知ることだけが幸せではない。
最近、心の底から、そう思うようになってきた。
事実という過去があり、その過去は変わらないけれど、その事実の真意まで私は知らなくていいのだと思う。
それを知ったところで、私の今が変わるわけじゃないし、それになによりプラスになるとは限らない。
私は、悩む前のように、どんな形であれ自分は愛されていたと思っていた方が幸せなのだ。
まあ、愛されてはいても嫌なことは嫌なので、親が嫌いなのは仕方ない。そのことで悩む必要もない。
私が変わったとするなら、その一点だろう。
私の為を思って躾ていたのに、その躾を嫌だと感じ殺意まで抱いた自分は罪深き人間だという思い込みが無くなった…それだけだ。
嫌なら嫌でいい…実際、嫌だったのだから嫌でいい。どんなに私の為だとしても、嫌と感じた自分を卑下する必要はないのだ。
親…少なくとも父親は私を愛してくれていた…そう思う私は甘いのかもしれない。
ただ女の子の育て方が分からなかっただけ…ただ愛情の注ぎ方が分からなかっただけ…そう思う私は甘いのかもしれない。
それでも誰にも望まれていなかった…愛されていなかったと思って生きるよりは幸せだ。
それと同様に叔父のことも、そう思う。
真意など最早どうでもいいことだ。
私は愛されていた。
それが真実でいいじゃないか。
わざわざ傷口に塩を塗り込む推測なんてしなくていい。
可愛がってもらえたのは事実。その事実から短絡的に愛されていたと思ってもいいじゃないか、そう信じてもいいじゃないか。
優しく非の打ち所のない叔父…その叔父に可愛がられた私…そう思い続けて生きる方が私は幸せなのだから…
今の私の腰の様子では、カーヴィーダンスはちょっと無理っぽいので、それに代わる新しい運動法はないかと、今日は書店に行ってきました。
虎の子…出る出る(;_;)
(ガソリン代とかでお札が飛ぶのよ〜(;_;))
うん、でも自分投資なので仕方ないです。これも腰の負担を軽くして、足の痛みを取る為。可能性がある限りチャレンジせねば〜
で、見つけてきました。
お年寄りでも腰痛持ちでも出来る運動『骨盤足ふみダイエット』
(゚∀゚ノノ゙パチパチパチパチ
DVD付きですが、殆どDVDの出番ないです(笑)
一分程度のホントに簡単な動きなので一回やれば覚えてしまえます。
でまあ、これを毎日一回やればいいわけですね。それで痩せるし腰痛も改善するらしい…
というわけで、今日から骨盤枕に加え、骨盤足ふみです。
カーヴィーダンスは、もっと腰が回復するまで、お休みですね〜
まあ場合によっては、そのまま永遠にお休みでしょうけど…(¬_¬)