来週の今頃にはもう、さあこの保育園入園についての決定通知がついちゃうんだろうなぁ。そして恐らく希望通りの決定
まだまだ小さすぎるさあこを目の前に大手をふるって送り出す気にはやっぱりなれない。寂しい
寂しすぎるよ。親がそれでどうする?って旦那にも笑われちゃってるんだけどね。母乳もあふれてまだまだ体の生理的にだって離れる事なんて考えられない乳飲み子。さあこが不憫で不憫で
だけど見えない母親のそばにいて知りたい事も知れず覚えたい事も覚えられない方がもっと不憫なのかな?色々考えちゃいますね
悔いなく選択したい。悔いなく子供にむかいあいたい。それでも本当答えなんてみつからず模索しながらの毎日ですね。
結局は毎日なんて預けないんだから、都合悪い日だけ利用させて貰おう、あきのある今の内に申し込まなきゃなんだし・・・そんな風にして申し込みました。嫌々だったしいくら良い園を見つけられても心のそこからうんっなんて、預けたいなんて思えなかった
でもそんな日々の中である出来事がありました。ここでも書いた事あったかもだけど・・・。
お友達ママと買い物へいったんです。さあたんのお洋服選びに
もうママなんかより子育て経験も多様でベテランのママ。ママになんか絶対たちうちのできない穏やかで器の広いベテランママ。そんな事はもう100も承知の方だったけど、でもね・・・更にママ動けなかった
動けないくらい、目から鱗のようにハッとするのと入りすぎてた力がハラハラぬけるのと。さあこの目の前に何着かの洋服を並べて眺めさせてたんです。「どれがいい?どれが好きかな?」って。ママにはできない
ママにはしてあげられない光景をそこにみてしまってママは動けなくなってしまったのでした。お洋服を選ぶ時もちろん女の子だしおしゃれにも興味もってほしいし本人に選ばせるなんて当然の事です。けれど・・・ママは子供の洋服かいにいったってまずは自分がどんな色でデザインかを理解するので一苦労だし、ましてやそれを子供の鼻先に並べて「どう?」なんて。子育ては勝ち負けなんかじゃない。それでもかなわないって思ってしまったのでした。
見える見えない関係なく人それぞれ得手不得手もあってできる事できない事もあります。けどその前にやっぱり見える見えない、ででも限界と可能があるのも現実なのかなぁって。悔しいけど、いやその時ママは悔しさなんてなかった。凄く謙虚になれたし素直になれた。ママにはできない事がある。見えない事でできない事があるって思ったんです。恥ずかしい事じゃないし、いや親としてかけているという事なんだから恥ずかしいのかもだけど
事実は事実としてうけとめてできない部分を周りに補って貰おう、それがさあたんの為に、成長に繋がるんだからって思ったんです。その小さな出来事がまた保育園への道のりに背中をおしてくれて。
そんな事があったってまだまだ手離す事に違和感と寂しさがあるし入園を決意しきるにいたっていないような
もうすでに申し込んじゃっててすぐにでも返答がかえってきちゃうっていうのにさ。
見えないでできない事がある、してやれない事があるって認めたんだからもう子供をこれ以上うむ事など許されないのかな?無責任にうみおとしてるだけで周りに預けてるって思われちゃうのかな?そんな寂しい悔しい思いがわいてきてしまったりするけどそんな風には思いたくないな。見える人だって完璧璧な子育てはできない訳で周りに補って貰ってる所だってあるんだもんね?だけど・・・見えない事で子育てに限界を感じるならやはりママは無責任なのかな?あぁ苦しいですね親って。
無責任といわれても、力不足でももうママには進んでく事しかできないんだね。保育園もまた1つの世界、窓口と思ってママも明るい気持ちで世界を広げていきたいって思ってます。考えこみたくなる時もあるけど軽く笑って受け流す事もあったりして・・・。そんな風に行きつ戻りつやっていけばいいんだよね。完璧になんてできなくったって、劣ってばかりのママだったとしても子供たちを愛する気持ちさえあれば
きっと楽しく仲良く進んでけるよね。まぶしい未来が開けてくかな。
何がいいたかったって暗い記事になってしまったようでいがいに、意固地に無理な力をいれてしまってた自分に気づけた事、限界は誰にだってあるんだよって、謙虚になる事ができた自分自身にも成長を感じられ嬉しかったりしたのでした