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バリア

バリアって、嫌な言葉だ昔いじめにあっていた時も「ばい菌ばい菌」なんて言われて「バリア・・・」なんて言われながら逃げられたりさけられたり・・・いずれにしても良い連想を起こさせてはくれない言葉。
一昨日当たりから鼻水がたれだし風邪菌にやられていたママに今朝は朝から追い討ちをかけるような電話が・・・。しゃきょうからでした。ちいたんが随分小さい内から前もって、先回りしてお願いし続けてきたちいたんの外介助=ガイドヘルプについてだった。担当者はこちらの苦労も知っていたし良き理解者になってくれていました。「前向きに考えたい」「協力したい」といってくれていたのに上司の前にはその思いもくっしてしまったのかな?なーんて。ちいたんの介助のみならず、ちいたんがおんぶを嫌がり歩き出す時には今までのようなママ自身のガイドヘルプも難しい胸を伝えられてしまいました耳を疑いました。せっかく今後何の気兼ねも問題もなくヘルプを利用できるようにと、正直に前もって訴えかけた事が徒になってしまったような?仕方ない事なのかもしれないけれどしばらくショックで?動きがとまってしまったほどでした。こんな事になるならうやむやにして今まで通り暗黙の了解=黙認で型破りに親子揃ってヘルプして貰っていた方が良かったのかな?と。
親子揃って視覚障害の家族は今まで自治体では例がなかったようだけれど困っている人が目の前にいるのに、よくそれを手助けせずに冷たくできるなと悲しくなりました。
どうにかする、どうにかなる・・・それはそうでしょう。なんとしても、お金をつんでもちいたんは健全にのびのび育ててみせるつもりでしたが一番の協力者に裏切られたような寂しさがありました。「事故がおこってからでないと動いてくれないんですね?」「家にずーっと缶詰め、とじこめさせておくつもりですか?」なんて苦し紛れのひにくを言う事でしか今の悲しみ、いらだちを表現する事はできませんでした。ちいたんに別の介助者(しゃきょう系列のボランティアはだめのようなので身内など?)をつけた上ならママのガイドはできると言われましたが本当に自然に、自由にいきられないバリアを感じずにいられませんでした。おとたけさんの「五体不満足」にもかかれていたけど障害ってバリアって体の不自由な人にあるのでなくてバリアをあたえてしまう社会、制度にあるのではなかろうか?と本気で考えました。体の不自由な人が外へでても壁、障害を感じない世の中こそバリアフリーなんですよね
日本はまだまだだなと改めて感じています。同情や優しい言葉なんかがほしいんじゃないよぉ、おーいって感じです
バワーは使うけどちいたん・・・一緒に戦っていこうね。ママも逃げ腰な所があったけどこれから生きていくちいたんの世の中、社会の為にもうったえるべきはうったえるべきだなと感じています。
それでも決められたルールをとびこえ手を差し伸べてくれるヘルパーいえ友人といった方がいいのかな?もママたち親子にも数は少なくてもいるんです。謙虚で、心の底からママたちの苦労、生活を共に感じてくれる人が1人2人・・・とふえていったらいいな。デスクワークで紙の上でだけ仕事して、ボランティア精神にもえているだけのような日本社会のお役人さんたちぃ、どうか少しでもその顔をあげ腰をあげママたち親子と一緒に歩いて貰えませんか?共に歩いて、世の中のバリアを見つけてくれませんか?
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