実はクリスマス設定っていう、ね…。
2024-2-26 22:33
付添い
空になったカップを揺らしながら、女弁護士は黙考する。
大変美味しかったといえ、既におかわりをしており、更にもう1杯とお願いするのは流石にマナーが宜しくないだろう。しかし、本日のパートナーはまだ戻ってくる様子は無く、正直手持ち無沙汰だ。
今夜は、あくまで一般人の付添いである。絶賛挨拶回り中のパートナーのように、自分も顔を売っておいて良さそうな人材は何人かいるものの、後々各方面に迷惑をかけることになっては申し訳ない。裏社会に身を置いているとはいえ、その辺りの分別は忘れていない。
小さく溜め息を吐いたとき、隣のテーブルから何やら揉めている声が聞こえてきた。
聞き耳を立ててみれば、問題自体は大したことはないようだが、どうにも言葉が通じ合わないらしい。しかし、女弁護士にとっては、日常会話程度ならば可能な言語である。
ふむ、これくらいならば大丈夫だろう。
暇を持て余す自分自身を納得させ、女弁護士は杖を手に取った。
『大丈夫ですか?』
微笑んで、声をかければ、店員と揉めていた女性が女弁護士を振り返った。
『私にお手伝い出来ることはありますか?』
杖に体重をかけて立ち上がり、隣のテーブルに歩み寄る。困り果てていた店員に、安心させるよう目配せをしてから、女弁護士は女性と言葉を交わす。
「………ということのようなのですが、ご対応いただけますか?」
「は、はい、ただいま!少々お待ち下さい。」
女弁護士が通訳してやれば、店員は直ぐ様立ち去った。そのまま店員が戻ってくるまで、女弁護士と女性客は歓談する。
暫くして店員が戻って来ると、二人に礼を述べられた女弁護士は自分のテーブルに戻る。
まだ本日のパートナーは戻ってきていないが、少しは良い時間潰しになったと思いながら、席に着く。
ついカップに手を伸ばし、それが空だったことを思い出すと、小さく溜め息を吐いて、壁の水槽を眺めた。
硝子越しの水の中では、小型の鮫が悠々と泳いでいる。
そういえば、弟と水族館にはまだ行っていなかったな、ということと、次の休みは泳ぎに行こうか、ということをぼんやりと考える。
「失礼します。」
ぼーっと水槽に視線を向けていた女弁護士は、少し吃驚して顔を向けた。
自分の隣に、酷く大柄な男が立っている。長弟よりも背があるのだろう、少し首が痛くなりそうだ。
「はい?」
「オーナーの柴と申します。」
心中を察したのか、女弁護士が差し出された名刺を受け取ると、男は軽く頭を下げてから、膝を折った。
「先程は、スタッフにご助力頂いたとのこと、誠に有難う御座いました。お食事中に、ご迷惑をおかけして、申し訳ございません。」
「いいえ、もう食事は済んでおりましたので。わざわざご丁寧に有難う御座います。」
「いえ、助かりました。正式オープンには、より語学に堪能なスタッフを充実させたいと思います。」
「えぇ、是非そうなさってください。とても美味しいお料理にデザートでしたもの、私としても色んな国の方に味わっていただきたいです。」
女弁護士が微笑むと、男も笑む。
「有難う御座います。もし宜しければ、お名前をお伺いしても宜しいでしょうか?」
男が問い掛けたとき、暢気な声が割って入った。
「百合先生、ただいま。って、大寿くん?」
「…三ツ谷?」
「おかえりなさい、三ツ谷くん。」
「え、百合先生、何かあった?大丈夫?」
新進気鋭のデザイナーであり、女弁護士の今夜のパートナーである青年が戻って来るなり、驚きの声を上げた。
「大丈夫よ。オーナーがご挨拶にいらしてくれただけで。三ツ谷くん、柴さんとお友達なんでしょう?」
立ち上がった男は眉間に皺を寄せ、青年を見下ろす。
「…やっぱりお前のツレか。三ツ谷のテーブルだと思ったんだ。」
「そうだけど。え、何でガン付けられてんの、俺。」
へらっと笑う青年に、男は溜め息を吐いた。
「…隣のテーブルでトラブルがあって、お前のツ…パートナーに助けていただいたんだ。」
「え?百合先生、仕事しちゃった?」
「ちょっと通訳をしただけよ。」
「英語?」
「ロシア語。」
「ロシア語も喋れんの!すげぇ。」
「ロシア人の友達がいて、教えてもらったの。」
「へぇ。さっすが、百合先生。ダチもワールドワイド!」
軽快に言葉を交わす二人を、男は不思議そうに見ている。青年に、こんな知り合いがいたとは驚きである。
「あ、失礼しました。私、薄墨百合と申します。」
視線に気付いた女弁護士は、名刺を渡す。
「頂戴します。…Lawyer、弁護士さんでしたか。だから、"先生"なんですね。」
「はい、日本ではフリーで活動しております。」
「日本では?」
「百合先生、アメリカ在住なんだよ。弟さんが日本にいて、時々手伝いに来てるんだって。」
青年の言葉に、男は再度不思議な顔をした。
「大寿くん?」
「…何処でこんな人と知り合ったんだ、お前。」
「坂道の下。」
「は?」
青年の言葉に、嘘偽りが無いと知らない男は、凄むような声で聞き返した。そんな男にケラケラと笑いながら、青年は自席につく。
思わず小さく笑いを零した女弁護士は、改めて男を見上げた。
「こんな立派なレストランを経営されてらっしゃるから、既に顧問弁護士はいるとは思いますけど、企業法務も対応可能ですので、柴さんも、何かお困りになったら、ご連絡くださいね。」
「有難う御座います。顧問はおりますが、何かあったときは、ご相談させていただきます。」
男は深々と頭を下げた。
「それと先程の件ですが、心許の謝礼としまして、正式オープン後に改めてご招待させていただけませんか。是非、弟さんといらしてください。…三ツ谷とでも構いませんが。」
「そんな、大したことはしておりませんので。なかなか日程も合わないと思いますし。」
申し訳なさそうに手を振った女弁護士は、「あっ」と小さな声を上げた。
「謝礼というのでしたら、この珈琲、もう1杯おかわりいただけませんか?とても美味しかったので、宜しければ豆も教えていただけると嬉しいわ。」
嬉しそうに微笑みながら、女弁護士は望みを叶えたのだった。
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