「マイキー、俺だ。入るぞ。」
「…何、鶴蝶。」
ソファーに横たわったマイキーは、不機嫌そうな視線を、入り口に立つ鶴蝶に向けた。しかし、鶴蝶の後ろから覗いた顔に、目を丸くする。
「こんにちは、万次郎くん。」
「あ?百合さん?」
「休憩時間なんだけど、一緒にどう?」
「え…あ、うん…」
女弁護士に微笑まれ、マイキーは徐に身体を起こした。
ゆっくりと杖をつきながら歩み寄ってくる女弁護士が座り易いよう、マイキーは目の前のローテーブルを少しずらす。
「有難う、万次郎くん。」
「ううん。珍しいね、百合さん。どうしたの。」
「そろそろ休憩時間と思ってたら、鶴蝶君が声を掛けてくれたの。」
「鶴蝶が?」
「あぁ、あんみつを3つ貰ったんだ。」
「鶴蝶くんと万次郎くんと私で丁度でしょ。」
「…そうだね。」
女弁護士の優しい笑みに、マイキーは目を細めて微笑んだ。
鶴蝶の懸念に反して、拒絶されることはない。
「今、お茶入れるから。マイキーも煎茶で良いか。」
「あぁ。」
飲み物を用意する鶴蝶を眺めていると、不意に女弁護士が小さく笑い声を漏らした。
「百合さん?」
不思議そうに自分を見るマイキーに視線を合わせて、女弁護士は微笑む。
「万次郎くんが横になってたから、ソファーが暖かいなって思って。」
「…何か、ごめん。」
「ううん、良いの。万次郎くんも暖かいんだって、安心しただけだから。」
「俺、冷たそうだもんね。」
「そんなことないわ。低体温そうな印象ではあるけれど、万次郎くんもちゃんと暖かいわ。恒温動物だもの。」
「…こうおん……ふっ、ふふ…」
「万次郎くん?」
突然笑い出したマイキーに女弁護士も、お茶を運んできた鶴蝶も目を丸くした。
「マイキー、どうしたんだ。」
「いやだって、百合さん…何だっけそれ、何か理科でやるやつだよね。何かもう一個なかったっけ。」
「恒温動物とセットなら、変温動物ね。恒温動物は自分で体温を維持出来て、変温動物は環境に左右され易いの。」
「えーっと、爬虫類とかだっけ。」
「そうそう、万次郎くんよく覚えてるわね。偉いわ。」
「昔、動物好きのダチがいたから。」
マイキーが何処か遠くを見詰めるような眼をしたことに気付いた女弁護士は、そっとその頭を撫でた。
「百合さん…。」
「鶴蝶くんがお茶も淹れてくれたことだし、あんみつ食べましょ、万次郎くん。」
女弁護士に促され、鶴蝶もソファーに着く。マイキーが端に座っていたため、真ん中に女弁護士、そして反対隣に鶴蝶という順になる。
ローテーブルに置かれた紙袋に手を伸ばすと、丁寧にあんみつのパックを取り出し、付属のスプーンと共に両隣に渡す女弁護士。
「私、あんみつなんて久し振りだわ。」
「灰谷…弟と食べたりしてないの?あいつら、何でも買ってきそうだけど。」
嬉しそうに蓋を開ける女弁護士に、マイキーは問い掛けた。
「あんみつは未だだったの。」
「…え。」
自分の分の蓋を開けた鶴蝶が小さな声を上げた。
「鶴蝶くん?」
「…灰谷達に怒られそうだ。」
深刻そうな鶴蝶に女弁護士は笑った。
「大丈夫よ。」
「俺も鶴蝶なら大丈夫だと思うよ。三途とかだとブチ切れそうだけど。」
「万次郎くんまで。」
二人の危惧を女弁護士は愉しげに笑っていた女弁護士は、未だ蓋を開けていないマイキーに気付き、優しく微笑み掛けた。
「万次郎くん、開けてあげる?」
「食べようと思ったけど…やっぱ、あんま食欲ない。」
「そう?餡子だけでもどうかしら。ね。」
黒い瞳とあった紫の瞳が酷く優しく細められる。余りにも優しいそれに、数秒の後、根負けしたようにマイキーは笑った。
「…開けて、百合さん。」
「えぇ。」
差し出されたあんみつから蓋を取ると、手早く別添えの白蜜をかける。次いでマイキーの手からそっとスプーンを取り、先端を覆っている紙の包装を外した。
「はい、万次郎くん。」
「ありがと、百合さん。」
マイキーは、スプーンを受け取ると、促されるように餡を掬い、口に運んだ。
「どう、万次郎くん?」
「…美味い。」
「良かった。」
変わらず優しく笑む女弁護士に笑い返すと、マイキーは再び餡を口に運んだ。女弁護士の隣で、鶴蝶の口角が安心したように上がったことには気付かないフリをする。
「じゃあ、私もいただくわ。ね、鶴蝶くんも。」
「あぁ。」
「私、白蜜って好きなのよね。」
蜜をかけながら嬉々として言う女弁護士に、両隣から相槌が返ってくる。
「黒蜜もコクがあって良いのだけれど、白蜜はさっぱりしてるところが良いの。」
寒天を食べると女弁護士は嬉しそうに笑う。
「美味しい!ね、万次郎くん、鶴蝶くん。」
「そうだね。」
「あぁ。」
にこにこと交互に笑い掛けてくる女弁護士に二人も笑う。
マイキーも食欲が出てきたのか、着実に食べ進める。一早く餡が無くなったのを見て取ると女弁護士は優しく声をかける。
「万次郎くん。もう少し餡子食べる?」
スプーンで掬った餡を示す女弁護士にマイキーは眼を瞬かせた。
「…良いの?」
「私が口を付けたのに抵抗がなければ。」
「もらう。」
半分以上空いた器を差し出すと、女弁護士は器用に餡を移した。
「どうぞ。」
「ありがと。」
本の少しではあるものの、眼を輝かせて、嬉しそうに笑んだマイキーに女弁護士は内心驚くも、微笑みを崩すことはしない。
「鶴蝶くんも、何かいる?果物とか、求肥とか。」
突然話を振られた鶴蝶は驚きながら、慌てて飲み込んで口を開いた。
「いや、俺は…」
「遠慮しないで。鶴蝶くんは何が好き?」
「…えと………豆。」
「は?鶴蝶、豆好きなの?」
鶴蝶の呟きに、女弁護士より早くマイキーが答えた。言外に「変な奴」と言いたげなその声音に、鶴蝶は少し赤くなって口を開いた。
「他が甘い中で、少ししょっぱくて美味いだろ。」
「そうね、アクセントね。」
フォローするように鶴蝶に笑んだ女弁護士は、遠慮する暇を与えずに自分の赤豌豆を鶴蝶の器に移した。
「鶴蝶、俺のもあげる。」
「あ、あぁ。」
腕を伸ばして赤豌豆に乗せたスプーンを差し出すマイキーに、鶴蝶は大人しく器を差し出す。嬉しいはずなのに、どうにも素直に喜んで良いのか複雑な心持ちである。
「くれてばっかだけど、百合さんは何か欲しいのないの?」
「ん?私は大丈夫。二人が好きなものを食べてくれるだけで。」
にこにことあんみつを口に運びながら、女弁護士は答える。その様子に、マイキーと鶴蝶は少し眼を合わせてから、各々再びあんみつを食べ出した。食べながらマイキーは口を開く。
「蘭と竜胆にも、いつもこんな感じなんでしょ、百合さん。」
「こんな感じ?」
「こうやって二人の好きなもの分けてあげたりして、いつも気遣って。」
「んー、そんなことないわよ。」
女弁護士の返答にマイキーと鶴蝶は少し驚く。普段の様子から、女弁護士が弟を目に入れても痛くない程に可愛がっていることは周知の事実である。
「食べ物は良くシェアするし、好きなものを譲ったりはするけれど、私からするのと同じかそれ以上に蘭と竜胆も私にそうしてくれるし。」
紫の瞳が穏やかに緩む。
「それにしたって、お互い気を遣っている訳じゃなくて、私も蘭も竜胆も、自分がそうしたいからそうしてるだけなの。」
女弁護士は小さく声を上げて笑う。
「ほら、蘭も竜胆も、気を遣うとか余り出来ない子でしょう?」
女弁護士の言葉に、マイキーは大きく、鶴蝶は複雑そうにしながらも、それぞれ頷く。
「私達姉弟は、自由に素直に自分のしたいようにしてるだけ。」
穏やかに、幸せそうに微笑む女弁護士。それがどうにも眩しく感じて、マイキーは思わず眼を細めて、視線をそらした。
「万次郎くんと鶴蝶くんにしたのも、気を遣ったんじゃなくて、私がそうしたかっただけ。だから、二人とも気にしないでね。」
「あぁ。」
「…うん。」
そこから三人は静かにあんみつを食べ進める。時折、女弁護士と鶴蝶が交わす言葉か小さく響く。
「ごちそーさま。」
一早く食べ終えたマイキーを見て、女弁護士は微笑んだ。
「あら、万次郎くん。付いてるわ。」
「え?」
女弁護士はさっとハンカチを取り出すと、マイキーの口元をそっと拭った。
「はい、取れたわ。」
笑い掛ける女弁護士を、マイキーは眼を見開いて見詰めた。
「万次郎くん?」
応えるように、マイキーは、音を伴わずに一つの名前を紡ぐ。
マイキーがもう呼ぶことのない、その名。
思わず手を伸ばしかけた鶴蝶を、マイキー自身の笑い声が遮った。驚いた女弁護士は、はっとすると慌てて口を開いた。
「ご、ごめんなさい、万次郎くん。私ったら、つい…別に子供扱いしようとした訳じゃないの。」
「今の、蘭と竜胆にもいつもやってんの?」
「いつもということはないけれど…と、時々、かしら…。」
少し赤くした顔を背けてぼそぼそという女弁護士に、マイキーはまた小さく声を上げて笑う。それから、穏やかに微笑み、女弁護士を見た。
「いいね、キョウダイって。」
マイキーの言葉に、女弁護士も微笑んで頷いた。