「ん、書類おっけ。お疲れ、望月。」
「あぁ、宜しくな。」
提出した書類を揃える九井を見ながら、望月は神妙な顔をして口を開いた。
「なぁ、九井。」
「何。」
「参考までに訊きたいんだが…」
望月の様子に、九井は眼を瞬かせる。
「九井。お前、百合さんへのお返し、何にするんだ。」
「は?んな顔して、そんなこと?」
「大事なことだろっ!」
力説する望月には答えず、九井は親指で何処かを示す。
「…ん。」
「何だ?九井。」
「だから、ホワイトデーのお返し。あれ。」
「…んん?」
九井の指し示す方を凝視しながら、望月は首を傾げた。
「だーかーらー!コーヒーメーカー。」
「あぁ!百合さん、コーヒー好きだもんな。…っつっても、前から置いてただろ。」
「全自動ミル付きのやつに変えたんだよ。別に前のもちゃんとしたやつではあったけど、ミルなしだったからな。」
「ミル付きってことは、ここで豆挽けるってことか。」
「あぁ。」
九井は立ち上がると、給湯スペースに向かい、コーヒーマシンのスイッチを入れた。微かに音が響き、徐々に珈琲の香りが漂う。
「今、コンビニのコーヒーで、その場で豆挽くやつあるだろ。百合さん、あれ気に入っててさ。」
九井は、珈琲が注がれたカップを望月に差し出した。
「有難う。…うん、美味いな。」
「だろ。少しホワイトデーには早いけど、先週から使い始めてさ。百合さんも気に入ってくれたみたいで良かったよ。」
自分の分の珈琲に口を付けた九井は、ニヤリと笑った。
「百合さんの能率上がれば、俺の能率も上がる。強いては、梵天の稼ぎに繋がるってことだ。良い話だろ。」
望月は苦笑しながら頷いた。
「で、お前は何にするか悩んでるわけ?」
「…うっ…」
「別にホワイトデーのお返しなんて、んな、悩むことかよ。」
「昔馴染みのダチの姉貴に適当なモンやれねーだろ。」
「じゃあ、そのダチに訊けば?」
望月は項垂れる。
「あいつらに正解訊くのは何か駄目だろ。」
「そうか?」
九井が首を傾げれば、望月は重々しく頷いた。望月の様子に、天竺初期メンバーとしては、何か思うところがあるのだろうと、九井は適当に納得することにする。
「…あいつらの逆鱗に触れるとヤバイから、駄目なもんは訊いた。」
「訊いてんじゃん。」
「貴金属と宝飾品、服は自分達があげたいから駄目。」
「ぶれねぇシスコン兄弟だな。」
「靴は、まぁそれは俺もそもそも考えてなかったけど、義足のことがあるからって。」
「そりゃそうだな。」
「あとは高価過ぎなきゃ良いらしい。高過ぎるもんやると、百合さん、気にしそうだもんな。」
「あぁ、まぁ…。」
答えつつ、女弁護士の金銭感覚がかなりニューヨーカーであることを頭の隅で思う九井。あの人、弟と違って服に頓着しないからって、日常使いの服、良く判らないけれど、ちゃんとしたブランドで、ドルにゼロ三個付いてれば安心でしょうで買ってた人だぞ。それだけ稼いでただけとも言えるが…。
「高過ぎなきゃ、割りと何でもってなると、それはそれで困んだよ。」
「貴金属、宝飾品、服、靴以外って、それ、むしろ選択肢広がり過ぎだもんな。」
「だろー。」
望月は溜め息を吐いた。
「まぁ、コーヒーメーカーは駄目だって判った。考えてなかったけどな。」
「家電系は?百合さん、料理とアイロン担当らしいぜ。」
「家電は駄目って言われなかったけど、あいつら色々拘ってるっぽいから、下手なもん渡せねぇわ。俺が解ってねぇだけで、多分、百合さんが使うってなると一般的な使い勝手云々だけじゃないだろ。」
「かもな。」
「無難にハンカチにするかー。百合さん、タオルハンカチじゃなくて普通のハンカチ派だよな。」
「あ、ハンカチは三途と被るぞ。」
「は?」
「花の刺繍入れたハンカチやるって百合さんに宣言してた。」
潔癖症の三途らしく、気に入りのブランドがあるらしい。
「三途か…ハンカチなら何枚あっても困りはしねぇだろうけど、誰かと被るのはな…。」
「ちなみに鶴蝶は、チョコレートフォンデュマシン。竜胆と買いに行くってさ。」
「は?九井、お前、皆のお返しに把握してんのか。」
「おぅ。偶然耳に入ってきたとかだけど。明司は夕飯奢るって言ってて、マイキーは姉弟3人揃っての三連休。」
「マイキーの、それ、お返しって言えるのか。」
「まぁ、首領だからな。あ、灰谷兄弟が何やるかは知らねぇ。」
望月は困ったように腕を組んで唸り出す。
「皆、もうちゃんと決めてんだな…。それ以外で何やれば喜んでもらえんだ。」
「百合さんの好きなもんやれば良いじゃん。」
「百合さんの好きなもんつったら、チョコとコーヒーだろ。」
「あと、仕事と弟。」
「仕事と弟はどうにもなんねぇだろ。いや、弟はマイキーからのお返しになってるが。」
「参考までに。」
九井は軽く笑う。
「残ってる百合さんの好きなもんっつったらチョコか。まぁ、お返しにチョコってのは悪くなさそうだが、百合さん、こだわりありそうだからな…。」
「それなら、百合さん、あんまこだわりないぞ。机に入れてんのは高いやつだけど、駄菓子とか遠足のおやつみたいなチョコも結構食ってる。」
「そうなのか?」
驚く望月に、九井は頷いてみせる。
「マーブルチョコ結構好きらしいんだけど、ニコニコしながら摘まんでるの初めて見たときは、三途の薬かと思って焦ったわ。」
「…マーブルチョコ…何か可愛いな。」
「でも、今はチョコは止めといた方が良いぞ。」
ふむ、と考え出した望月を、止める九井。
「何でだ?」
「この間竜胆に、食べ過ぎって割りとガチめに叱られてた。最近休みの日とか、バレンタインのときに自分用にって大量に買い込んだチョコ、20粒入の一人で二箱とか空けてるらしい。」
「…それは、チョコといえど食い過ぎだな。」
「鶴蝶のチョコレートフォンデュマシンも、竜胆がOK出すまで使わないってさ。」
望月は大きな溜め息を吐いた。
「結局振り出しじゃねぇか。」
すると、真面目な顔をした九井がすっと指を立てた。
「俺、一つだけ案あるけど。」
「え、何だ?あるなら先に教えてくれよ。」
「幾ら出す?」
「お前…」
呆れたように、再度、でも先程よりは小さく溜め息を吐きつつ、望月は財布を取り出した。
そんな望月を笑いながら、九井は立ち上がる。
「冗談だって。」
「あ?んだよ、案ねぇのかよ。」
「いや、案はある。特別にタダで教えてやるよ。」
そして、九井は給湯スペースの前に立ち、望月を見遣る。
「これ。」
「…は?」
トントンと軽くコーヒーマシンを叩く九井に、望月は疑問の声をあげる。
「コーヒーだよ。」
「家用買えってか?いくら百合さんが気に入ったからって、それじゃ二番煎じだろ。」
「ちげーよ、本体じゃなくて中身。豆。」
「豆?………珈琲豆か!」
「そっ。」
もう一杯珈琲を抽出すると、九井は戻ってくる。
「ちゃんと豆も用意はしたんだけど、これが思ったより一度の消費量が多くてさ。近いうちに買い足さなきゃなんねぇんだよ。だから、お前のホワイトデーのお返しにしてくれると丁度良いんだ。」
「成る程。そういうことなら、珈琲豆にする。助かった!タダで教えてくれて有難うな、九井。」
「まぁ、俺も飲むことになるしな。情報量と相殺ってこと。」
笑って九井はまた、珈琲に舌鼓を打った。