「さて、何処から話しましょうか。」
一息吐いた女弁護士が、チョコレートを摘み上げながら、改めて口を開いた。
「何処からも何も、全部吐けや。」
未だ銃を握ったままの三途が睨む。
「全部、ね…。」
困ったように、首を傾げると女弁護士はチョコレートを口に運ぶ。
すると九井が小さく手を挙げた。
「あー、俺が進めても良いか?マイキー、それに百合さんも。」
九井に見比べられた二人、それぞれ頷く。
「百合さん。話の前に確認なんだけど、まず危険はないんだな。あの花とか、この部屋とか。」
「えぇ、大丈夫でしょうね。そもそも、梵天に危害を加える必要がないだろうから。もしその気なら、もうとっくにこのビル1つ吹き飛んでるわ。」
女弁護士は頬笑みながら、何て事無いように答える。
「えーっと、どう訊けば良いかな…百合さんは、誰が侵入したか、判ってるってこと?」
「個人の特定は難しいけれど、どこの団体、組織と言うべきかしら、それは見当が付いているわ。」
「知人って言い方してたな。百合さんの知り合いに関係してる奴等ってこと?」
「えぇ。ニューヨーク時代の知り合いよ。」
敢えて遠回りするように答える女弁護士に、九井は眉を顰める。
進行を買って出たものの、対話で女弁護士に敵うとは到底思ってはいない。しかしながら、殺気を撒き散らす三途はもとより、灰谷兄弟と昔馴染みの天竺出身の二人には厳しく、マイキーは論外。明司がいれば、役に立ったかもしれないが、こんなときに限って、遠方に出張中である。
訊くことは、訊かなければならない。
「単刀直入に訊く。それ、どの組織の誰?」
真っ直ぐに、女弁護士を見る。
女弁護士は、少しだけ考える素振りを見せてから口を開いた。
「銀行の頭取さんよ。今は、元頭取だったかも。」
「回りくどいのは無しにしようぜ、百合さん。ただの銀行役員が、梵天(ウチ)に侵入?」
三途を除き、幾ら毒気を抜かれた状態とはいえ、女弁護士が自分の置かれた状況を理解していないはずがない。
「ニューヨークの華僑銀行よ。」
「……………は?」
思わず漏れた九井の引き攣った声に、女弁護士は追い打ちをかけるように、丁寧に1人の男の名を口にした。
「…百合さん、冗談、だろ…?」
「本当よ。」
「誰だよ。」
「姉ちゃん、それ中華街の知り合い?」
九井一人が顔色を悪くする中、三途に次いで、無邪気に竜胆が問う。
「ば、馬鹿か、お前等!」
頭を抱え、叫ぶ九井だけが、事態を理解していた。
「世界中の華僑マフィアの元締めだろーが!海外マフィアもデカいとこの元締め位、頭入れとけ!」
「………は?姉さんが、華僑マフィアのボスとダチってこと?」
「まぁそうは言っても、Mr.とは年に数回、共通の友人と食事をする位で、私が親しくしていたのは、どちらかというと先代関係の方なのだけれど。」
「先、代、って……最悪過ぎんだろ…」
九井は、抱えた頭はそのままに、ソファの背に身体を沈めると、呻くように言った。
「灰谷兄弟、とんでもねー奴引き込んでくれやがったな。お前等の姉貴全っ然、パンピーじゃねぇじゃねぇか!」
蘭と竜胆は、姉を挟んで顔を見合わせ、それから、当の姉を見た。本人は、弟の視線を物ともしない。
「どこの組織だろーが、関係ねぇだろ。ラットはラットだ。使える情報吐かせて、さっさとスクラップだろ。」
九井の焦燥を余所に、三途は再度、女弁護士に銃を向ける。
「馬鹿三途、下ろせ!絶対殺すな!つーか、傷も付けんな!!」
灰谷兄弟が姉を庇うように身体を動かすより早く、マイキー越しに九井が三途の銃を掴んだ。
「はあ?日和ってんのかよ、九井。情でも移ったか。」
「違ぇ!状況も関係もわかんねーうちは、何もすんなってことだよ!」
九井は、三途とそれからマイキーを見た。
「はっきり言うぞ、下手打ったら、俺等梵天なんざ1日2日で壊滅するぞ。」
「九井、巫山戯たこと言ってんなよ。」
九井の手を振り解くと、三途の銃が、今度はその九井に向けられた。
「巫山戯てねぇよ。マイキーが無敵だろうが俺等が個々に優れてようが、物量か違うって話だ。」
「物量だあ?」
「構成員の桁が違うんだよ。下手すりゃ、華僑では、構成員じゃない奴ですら、同胞の繋がりで動く。」
九井の細められた眼が、三途を射殺すように見た。
「俺等が華僑マフィアとやりあってみろ。アリの大群に、熊が殺されるようなもんだ。」
三途は舌打ちすると、銃を下ろした。
九井の視線が自分に戻ったことを確認すると、女弁護士は口を開いた。
「一くん。ニューヨークにいた頃の私はただの弁護士よ。」
「百合さん、俺相手だからって舐めてもらっちゃ困る。マフィアと繋がりのある弁護士が、ただの弁護士な訳ないだろ。」
九井から向けられたことのない厳しい視線に、女弁護士は心底困ったという表情をした。
「本当に、ごく一般の弁護士だったのよ。法に触れるような仕事をした覚えはないわ。」
「今だって、百合さん、いつもギリギリのところで法に触れないようにしてるじゃん。」
「それは、そうなのだけれど。」
小さく唸ると、女弁護士は、一口珈琲を飲んだ。
「隠し立てすると、ややこしくなりそうだから、正直に話してしまうのだけれど」
一つ息を吐いてから、女弁護士は語り出した。
「私が親しくしていたのは、先代の姉にあたる人で、その人とは月に1回位、お茶をするような関係だったの。茶飲み友達とでも言ったところかしら。お喋りをしたり、中国語を教えてもらったりね。犯罪行為に加担したことや、それを求められたことはないわ。時々、頻度としては年に1、2回、パーティや会議に出てほしいと頼まれて対応してはいたけれど、それも表の範囲よ。勿論、私の存在を隠れ蓑にして、何かをしていた可能性は否定できないけれど。」
女弁護士は滔々と語る。
「私からは、仕事の関係でどうしてもアポを取りたい方へ繋いでもらったことが2回程あるわ。でもそのときも、あくまで市井の一弁護士としてよ。」
女弁護士の身の潔白を示すのは、悪魔の証明である。しかし同時に、黒と決めるには決め手に欠けている。
勿論、梵天らしく、疑わしきは罰する方法もある。三途はそのつもりだろう。しかし、九井は、そうしたくはない。
女弁護士が困るように、内心九井も困っていた。
「ねぇ、百合さん。」
九井の苦心を察したのか、大人しくカフェオレを飲んでいたマイキーが口を挟んだ。
「危険はないって言ったよね。じゃあ、その中華?華僑?マフィアの奴等、梵天に何がしたかったわけ。」
女弁護士は、九井から正面のマイキーに向き直る。紫の瞳が、真っ直ぐにマイキーを見詰めた。
「何も。」
それから、冷ややかなまでに真剣な紫が、ふっと和らぐと何時ものように穏やかな色を湛えた。
「強いて言うなら、私への激励かしら。」
女弁護士は、テーブルに置いていたメッセージカードを開き、一度マイキーに差し出そうとしてから、隣の九井に差し出す。
受け取った九井は、恐る恐るそれを開き、マイキーはそれを覗き込む。
「ココ?」
「あー、うん、そうだな。"祝
在新世界好運"…新天地で頑張ってください、ってところだな。」
「ふーん。」
九井からカードを取ると、マイキーは眺めながら、また女弁護士に問い掛けた
「なら、百合さんは?百合さんはどうしたいの。」
「私?」
「そっ。梵天抜けて、中華マフィアに合流する?」
マイキーの問いに、女弁護士は紫の瞳を真ん丸にしてから、笑った。
「イヤだわ、万次郎くんったら。私の望むことなんて、たった一つ。皆解っているでしょう。」
そして、両隣に座る弟の手をそれぞれ握り、自身の顔の横に持ち上げて見せる。
「蘭と竜胆と一緒にいること、それだけ。」
再度両隣から弟の視線を受け、心からの幸いとばかりに、聖母のように微笑む。
「もし、蘭と竜胆が梵天(ここ)が嫌だと言うなら、抜ける方策を考えるけれど、そういうこともないようだし。我侭なこの子達が大人しく所属してるのだもの、サボりはするけど、梵天が嫌な訳ではないのよ。」
朗らかな姉の言葉に、弟は視線を反らした。
「じゃあ、今のままで良いってこと?」
「えぇ、万次郎くん達が良いと言ってくれるなら。」
「良いよ。裏切った訳じゃないし、皆も良いだろ。」
マイキーの言葉に、九井は大きく頷き、鶴蝶と望月も安堵の表情を浮かべる。
三途は不満そうに鼻を鳴らしはしたが、銃を懐に仕舞ったあたり、首領の言葉に従うということだろう。
「じゃあ、そういうことで。これからもよろしくね、百合さん。」
「有難う、万次郎くん。」
「ん。ね、百合さん、チョコちょーだい。」
「どうぞ。」
マイキーがチョコレートを摘むと、次いで三途も手を伸ばした。
「っつってもよ、侵入者のことはどうすんだよ。そのままって訳にはいかねぇだろ。」
「それはそうだな。」
同じくチョコレートを摘みながら、同意した九井が女弁護士を見る。
「百合さんはどう思う?」
「そのことだけどね。」
自分もちゃっかりチョコレートを口に運んだ女弁護士は、珈琲を飲んでから口を開いた。
「何もしない方が良いと思うわ。」
「え?」
「は?」
声を上げた九井と三途以外も眼を丸くする。
「百合さん、どういうこと?」
「侵入者の特定は困難だろうし、特定したところで然程意味がないのよ。彼等は何処にだって常に居るのだから。」
「…なるほどね。そりゃそうだろうな。」
女弁護士の言葉に一人納得する九井を、三途が睨む。
「ちゃんと説明しろよ。」
「言ったろ。華僑マフィアは、数が違ぇんだよ。正式な構成員じゃない奴等も、いざとなれば同胞の繋がりで動く。だが、皆が皆、華僑だって看板引っ提げてる訳じゃねぇんだよ。」
九井の説明に、女弁護士は頷きながら珈琲を啜る。
「華僑とは全く関係のない場所、組織にいる奴、もしくは一般人として生活して奴が、求められたときだけ華僑として動く。それはつまり」
九井は言葉を区切る。
「当然、梵天内部にも居るってことだ。」
「…んなきな臭ぇ奴が、ここに出入りしてるっていうのかよ。」
「何人居るかもわかんねぇし、下っ端だの、日が浅い奴とも限んねぇ。極端なこと言えば、今この場…ややこしくなるから灰谷姉弟は抜きとして、俺等の中に実は華僑と繋がりのある奴がいたとしても何等不思議じゃねぇっていうレベルで奴等は存在してる。」
「はあ?!」
「例えだ、例え。でも、んなの、探し出してたらキリがねぇってのはマジ。何とか1人見付けたところで、他にも居るかもしれねぇし、新しく構成員になった奴がそうかもしれない。身辺調査なんて、大して役には立たねぇよ。幾らでも偽造出来るし、記録に載らない程度の糸みたいな細い繋がりもある。それでも、奴等にとっちゃ、同胞の繋がりなんだよ。」
怪談でも聞かされているような気分だったが、今朝の状況から、皆、九井の話を受け入れざるをえなかった。
「でも、心配する必要はないわ。万次郎くん…いいえ、首領と言うべきね。首領の元、慌てず騒がず、どっしり構えていれば良いの。」
女弁護士は、何時ものように微笑んだ。
「たかが蟻一匹に、梵天は狼狽える組織ではないと示す、ということよ。」
優しい声音でありながら、紫の瞳は、酷く真剣な色を湛えている。
「…それこそ華僑マフィアと繋がりのある百合さんが言うなら、それが最善手なんだろうな。マイキーも良いか?」
「俺等の中で一番頭の良い百合さんがそう言って、次に頭の良いココが最善だって判断するなら、良いんじゃない。」
首領の鶴の一声で、梵天のアクションは決まった。