意図せず復讐 高校生編


話題:復讐
私は、すこぶる朝が弱かった。
夢見が悪いのもあるが、夜寝るのが遅いのだ。
そんなわけで、朝は毎日、父親が私の布団をひっぺがし起こしに来ていた。
そんなある日。
あれは暑い夏だった。
朝、ドンガラカッシャーンという大きな物音で目が覚めた。
ん?
布団がはがされた後はある。
父親が起こしに来たのだろう。
しかし、その父親が部屋にいない。
いつも小言を言うのになぁ…
そして、はたっと気がついた。
そういえば、真っ裸で寝てたんだった。
どうやら、父親は私の姿を見て逃げたらしい。それで、あの音か。なるほど。
それ以来、父親が私を起こしにくることはなくなった。

小さな復讐 中学生編


話題:復讐
思春期ともなれば、父親と一緒に入浴している人は少ないと思う。
私も、一人で入る派であった。
しかし、うちのお風呂は内鍵がなく、そのせいで毎日毎日飽きもせず、父親が覗きに来ていたのだ(これも性的虐待に入るので、思春期の子をもつ親御さんは、ご注意下さい)
父親は私が嫌がるのを楽しんでいたのだ。(元々、そういう性格の人)

そんなある日。
私がお風呂に入ろうとすると『俺も一緒に入ろう』とニヤニヤしながら言い出した。
軽く無視。
そして私は、着替えの準備をし風呂へと向かいながら父親に言い放った。
『あれ?一緒に入らないの?』
すると父親は顔を真っ赤に染め上げ『バカ!入るわけないだろう!』と。
だったら言わなきゃいいのに…
まさか反撃に出るとは思いもしなかったのだろう。
それ以来、父親が覗きに来ることも、私の入浴時に、からかうこともなくなった。
めでたし、めでたし

自慢の娘

話題:毒親
母親には友達がいないので、どうなのかは知らないが、父親にとって私は自慢の娘だった。
父親は友達が多く(極道&仕事関係)、よく友達が遊びに来ていた。
そこで話のネタになるのが私の話である。
普段は褒めてもくれないが、父親は友達に自慢気に私の話をした。
鳶が鷹を生んだ。
よく、そんな話をしていた。
そしてそのお友達に私は褒められるのだ。
何も感じなかったけどね。
私は父親の理想像を叶える娘。
そうでなくてはならなかった。
女に学は要らないといいつつ、こんな時だけ成績の優秀さを自慢するんだね…
まあ勉強しろなんて言われたことないけどね。逆に『するな!』と言われたけどね。
父親の誤算は、私が知識を蓄えすぎたことだろう。そして洗脳が解けたことだ。
それでも恐怖が先行し、逆らえなかったのは事実だけど。

いつからか…私は父親の自慢の娘ではなくなった。
私が言うことを聞かなくなったからだ。
暴力が如何に続こうが、人格否定が如何に続こうがだ。
私は、いい子ちゃんをやめた。
それでも長く続いた父親の理想像が私を苦しめ続けた。
長く長く…ね。
理由は簡単さ。
父親が私に教育した生きざまが男の場合には有効だったこと。そして、なってはいけない女の狡さを教え込んだことだ。(もろ母親のこと)
つまり私は、女としての生き方を誰にも教わらなかったのだ。
だから生き苦しかったんだよ。忠実に守ろうとしていたからね。
それが正しい生き方なのだと思っていたからね…ずっと…

父親と母親の差

話題:毒親
父親は、私の教育(主に極道の生きざま)に熱心だった。父親は極道に憧れていたからね。でもそれは女の生きざまとは違った。
しかし私は女でもあったから、父親は私に礼儀作法、家事を徹底的に教え込んだ。
まあ教育熱心が暴力や人格否定の免罪符になるとは思っていないが、母親よりマシだったのは確か。

私の母親は何もしない人だった。
私が帰ってくるまで何をしているのか?
というほど家事をしない人だった。
動き始めるのは、父親が帰ってくる時間ちょっと前。
さも家事をやってました。という風に動き出す。
尚、洗濯は土曜日の私の仕事だった。
私は、そんな母親からは何も学ばなかった。教える気もないのだから、学びようもない。
そして毎日の母親の日課が、父親へのチクりだ。何が気に入らないのか?父親が私に折檻するよう仕向けてくるのである。
私は母親が大っ嫌いだった。

因みにボコボコにされる場所は、腹、背中と場所が決まっている。
父親の意向で私はスカートだったので、足や腕、顔は狙わないのだ。(痣が見えるから)
ついでに言うと、ご飯を食べさせないなどということはしない。
私は幼少期に栄養失調で死にかけたことがあるためか、父親がソレをよしとしなかったのだ。
そう考えると、父親の方は、やはり行き過ぎた折檻のつもりだったのかもしれない。
救いと言えば、救いか…

母親の方は、以前にも書いたように、精神科の先生も認める頭のおかしい人なので、割愛しよう。
まあ、私がやられたことなんて、今思い返せば、たいしたことないよね。
今はもっと、酷いことされてる子がいるんだから。
私はマシだよ。ただ、父親の理想像を押し付けられただけ…
あとは私の嫌がることをされただけだよ。
だから、恨みもしないし、憎みもしない。
ただ私が勝手に苦しんでいただけかもね。そして条件反射だけが残った。

箝口令


話題:毒親
私は親に家のことを誰にも話すな!と命令されていた。
それが何故なのか?
分かったのは小学高学年末の頃だった。
その頃になると、イジメも減り、それなりに喋る同級生も増えていた。
どんな話の流れだったかは覚えていない。
私は同級生の口から衝撃的なことを聞いた。
『打たれたこと1度もないよ〜』
男女分け隔てなく誰に聞いても同じ答。
人格否定もなく、成績が良ければ褒められ、頭を撫でられる。ご褒美がある。
それが私以外の同級生の日常。
私の日常とは大違いだ。

私の日常?
親の理想通りにミッションをこなせないと、殴られ蹴られ、木刀で袋叩き、人格否定だよ。
成績がいいのは当たり前。だから褒められもしない。
基本、学校に行く以外の外出禁止。
家事は、やって当たり前。
私の日常は、朝弁当を作り、朝御飯を食べたら学校に行き、帰ってきたら親の理想通りに炊事場にたまった食器類を洗い、夕飯の下準備をし、それが終わったら宿題。
しかし、どんなに自分では出来たと思っても、毎日、親の理想通りではないらしく、父親が帰ってきたら、暴力と人格否定。
でも…それが当たり前だと思ってたんだ。
同級生の暮らしを聞くまでは。
だから、どんなに辛くても我慢しなくちゃいけない。不満を抱いてはいけない。だって当たり前だから。親は私のためにやっているんだ。
そう思ってた…
でも、そう言われれば、妹達は1度も打たれたことないなぁ…

私は知った。
何故、親が私に箝口令を強いたのか?
親も人に知られると、マズイことだと知ってたんだね。
知りはした。でも、もうその頃には私の心も麻痺していて、誰かに告げようなんて気はなかった。
私は親にとって、感情のない道具であればよい。それが私に認められた生きてていい証だった…
そんな昔の話。
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